第107話 Silent assassin

 それは突然の出来事だった。やることが無くなり、油梨を捨てていた河川の調査に繰り出した俺とアベルとヴィクトルが、渓流を流れに沿って下流へと向かっていたその時、突然視界がブレると共に最後尾を歩いていた俺だけが二人から引き離された。

 『ラプラス』に設定した追従型周囲警戒モードの強制転移が発動したのだ。大きく引き離された俺が目にしたものは信じがたいものだった。

 大木の幹に上下さかさまに張り付いた姿勢で、片方の鎌を振り下ろした状態の巨大なカマキリだった。


 隊列が乱れた事を検知したPDAが発した警告で振り返るまでアベルにもヴィクトルにも気取られず、最後尾の俺のみを狙って一撃必殺の攻撃を繰り出した無音の暗殺者は特徴的な逆三角形の頭で俺を補足すると呆気に取られているヴィクトルに向けてもう一本の刃を振り下ろした。

 巨体から繰り出された斬撃は咄嗟にアベルがヴィクトルを突き飛ばしたことで空を切った。アベルがM4カービンライフルを構えて牽制射撃を繰り出す。5.56ミリ弾の3点バースト射撃はしかし巨大カマキリが持つ緑色の装甲を穿てなかった。

 確かに命中したはずの弾丸は角度が付いた装甲に滑らされ致命傷を与えられない。反撃を受けた巨大カマキリはその巨体からは信じられない動きで地上へと滑り下りるとアベルに対峙した。


 地球で見たカマキリというのはスマートな印象を抱かせるスピードタイプの昆虫だったが、こちらの巨大カマキリは違う。喩えるならば多脚型の重戦車だった。

 地球のそれは針金のように細い脚を持つのだが、こちらの脚はカブトムシのように太く存在感のある脚をしていた。鋭角で構成される胸部の装甲とは異なり、丸みを帯びた装甲で覆われたヤドカリに似た歩脚を伸ばすと一瞬で恐ろしい加速をする。


「アベル! 腹だ。大きくて柔らかい腹を狙うんだ!」


 致死性の掴みかかりを間一髪で躱したアベルが横に飛んだ勢いのまま腹部を銃撃した。またしても信じられない事が起こった。体が伸びきった姿勢では動きようがないと思われた巨大カマキリが銃撃を回避した。

 馬ほどもある巨体だと言うのにも関わらず翅を広げると飛翔し、樹上へと飛び去ると姿を消した。そしてPDAから警告音が鳴る。嫌になるほど繰り返された訓練で身に付いた条件反射が体を動かし、耳を覆って地に伏せる。

 辺りを轟音と閃光が塗りつぶした。ヴィクトルが携帯していたフラッシュバンだ。伏せていた俺の体が浮き上がると、荷物のように担ぎ上げられ近くに樹木が無い岩陰に放り投げられる。

 後を追って滑り込んできたアベルとヴィクトルが周囲を警戒し、追撃が無い事を確認するとハンドサインで指示を出してきた。


 俺は常時装備しているゴーグルの特殊機能を起動する。赤外線視界で周囲を警戒すると、居た! 俺が伏せていた場所の真上辺りに赤く見える脚と翅付近が茂った葉に紛れて見える。

 昆虫は変温動物であるため、体温が低いのだが運動する部分は熱を持つ。あれだけの巨体を飛翔させる翅付近の筋肉は発熱し、その存在を俺に教えていた。

 二人のPDAに映像を送り、状況を共有する。敵は動かず待ち伏せをする戦法のようだ。赤外線視界から赤色が失われつつある。発熱していた部分が冷え、外気温と同化しつつあるのだ。


 アベルがハンドサインで行動を指示すると俺たちは行動を開始した。成功率が高く、一番生存率も高い行動。そう撤退だ。

 本来は追跡者が居る状態で撤退戦というのは非常に難しい、襲撃を警戒しながらも追跡を撒きつつ逃走せねばならない。

 しかし逃げる事にかけては並ぶもの無しと言われた俺が居る。自身の転移を『ラプラス』に任せ、二人を視界に入れると森都へと転移した。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 森都へと戻ると早速情報解析に掛かる。『ラプラス』の記録ログから遭遇地点及び最終転移地点を拾い上げ、周辺地図のデータに入力してマーカーが表示される。

 ヒュー! ドクの口笛に振り返ると、折しもアベルの銃撃が巨大カマキリに弾かれているシーンがスロー再生されていた。


「見ろよチーフ! こいつぁすげぇぜ! 自然の産んだ脅威のメカニズムって奴だな。装甲表面を覆う微細な毛が銃弾を滑らせて逸らし、衝撃は変形することで受け流している! ほら、ここだ!」


 確かに緑色の装甲が凹み、銃弾が逸れた後に元に戻っている。


「んで、これだ。よーく見とけよ、ここだ! 地面の方を良く見ろ、埃が舞っているだろう? これは多分圧縮空気を叩きつけてるんだな。あの巨体が翅だけで飛び上がるのが不思議だったんだが、これで最初の加速を付けてやがるんだ」


 言われてみると確かに奴が飛び上がる前に地面に不自然な気流が発生している。その後発達した歩脚で地面を蹴り、一気に体を空中へと押し上げ、翅は滑空の補助として使われているようだ。


「しかし厄介だな。カマキリは自分より小さいものを見ると襲い掛かる習性がある。そして待ち伏せからの急襲を仕掛けてくるんだが。初撃が事前に察知できねぇ。体温は周囲と同化するし、保護色になっている奴を見つけるのは困難だ。しかも鎌を構えてから一撃を仕掛けるまでの所要時間が0.1秒未満だ、とても反応できねぇ」


 恐ろしい暗殺者が居たものである。群れを作らないのがせめてもの救いではあるが、こんな化け物が居るのでは迂闊に出歩くことも出来ない。

 最初に襲われたのが俺でなければ、アベルかヴィクトルのどちらかは負傷、最悪の場合は死んでいた可能性すらある。蛾の繭採取を検討した際に話題に上った巨大カマキリが奴だったのだろう。

 たまたま生息域から遠出した個体と遭遇したのであれば良いのだが、何らかの要因で生息域を移動している場合は拙いことになる。今回探索していた川沿いは、『龍の祭壇』への通り道でもあるのだ。

 今回はカマキリだけだったが、生息域を共にするマヒ性の毒鱗粉を備える蛾と連携を取られると手に負えない。


 まずは確認のためアリエルさんを訪ねるとPDAを示して巨大カマキリを見て貰った。確かにアリエルさんが以前言っていた、白い繭を作る毒蛾と共生するカマキリだそうだ。

 しかし、このカマキリはもっと奥地に生息しており、あまり水場近くに姿を見せることも無いと言っていた。俺は『カローン』内にある『G-Ⅱ』のデータベースにアクセスし、カマキリの生態についての資料を調査する。

 そこで興味深い一節を発見した。カマキリはハリガネムシという寄生虫に寄生されると、寄生虫が分泌する特殊なたんぱく質に行動を操られ、寄生虫が産卵を行うための水場へと誘導されるとあった。


 ハリガネムシというのは類線形動物の一種であり、バッタやカマキリのような節足動物に寄生する。子供の頃に車に轢かれたカマキリの死骸からうねうねと動く針金のようなものが這い出ていくのを見た事があるが、あれがそうだったのだろう。

 こちらの世界に来て以来、動物からも魚からも寄生虫を発見できなかったので、いないと思いこんでいたのだがひょっとすると寄生箇所が違っただけで居たのかも知れない。

 いずれにせよ『龍の祭壇』への道程で、巨大カマキリが邪魔になるのならば排除せねばならない。我々が出発するまでに寄生虫が抜けだして、宿主が死んでいれば問題が無いのだが、希望的観測は危険だろう。

 敵が一匹のみとも限らない。カマキリ及び蛾の生態について、地球に生息する種の資料ではあるがしっかりと確認して対策を練る必要があるだろう。

 すんなりと龍に会えるとは思っていなかったが、妙な雲行きになってきたものだ。苦笑をすると資料を纏めて、チームが待つミーティングスペースへと向かった。

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