第63話 孵らぬ卵と叶わぬ夢

「ハルさん精霊力って英語だとなんて表現するんでしょう? 魔力はMagic Powerかな? ビジネス英語じゃ出てこない単語だからなあ……」


「魔力だとMagical Powerになるんじゃないでしょうか? 消費する力についての表現なら、Magical Energyとすべきかもしれません。精霊力はそうですね、Spiritual Powerじゃないでしょうか?」


 ハルさんに教えて貰いつつ『組織』への報告書を纏める。巨大蟻や『闇の森』、黒土に対する報告書を作ろうとすると、必然的に魔力や精霊力に触れざるを得なくなり、前述の会話となっている。

 宴会から明けて時間的には朝。朝食を済ませた後に報告書を纏めている。本来技術的な報告はドクの仕事であるはずなのだが、あの天才様は余人には理解できない文章を書くため俺にお鉢が回ってきている。


 街では今も巨大蟻の解体が行われている。体長5メートルを越える巨大な雄蟻や、40メートル級の女王蟻ほどになると筋肉に渋みを持つようになり、乾燥させて干し肉にし、渋味を抜かないと旨くないとのことだ。

 脚の先端部分や、背甲、首辺りの筋肉は巨大蟻でも美味しいらしいのだが。口に収まりきらない程の脚肉を思いっきり頬張るという夢は叶いそうにない。いや、乾燥させた干し肉をだし汁で戻せば可能かも知れない。干し肉の購入を検討する必要がある。


 だし汁と言えば、アパティトゥス老人がいたく椎茸を気に入り、是非とも分けて欲しいと言われた。しかし、俺が仕入れた生椎茸と干し椎茸には数に限りがある。とても地妖精の需要を賄えるとは思わない。

 そこで椎茸の人工栽培を伝授してみた。生椎茸から胞子を採取し、オガクズと『闇の森』の黒土を使って培地を作り、菌糸を育てて貰っている。上手く種菌の栽培に成功すれば椎茸取り放題だ。


 他にも地球産の植物のうち、栽培可能な状態で持ち込めた物は少量ずつ提供して栽培して貰っている。有力なのは玉ねぎ、にんにく、じゃがいも、サツマイモ等の繁殖部位がそのまま可食部位になっているもの。

 例外的に種もみとして持ち込んだ米は、水田という特殊な栽培方法を地妖精が学ぶ時間がないため、あえて外してある。これは『闇の森』の黒土を使った水耕栽培で少量の栽培を試みて、上手くいきそうなら徐々に広げていく方針だ。

 調味料として醤油・味噌も普及させたかったのだが、如何せん大豆がない。地妖精が育てていた巨大空豆のような豆を煮て、そこに持ち込んだ味噌を混ぜ込み、味噌もどきを作って貰ってはいるが、成功するかは判らない。


 報告書を纏めながら、そんなことを思い返していると、アベルが現れ手を鳴らして注意を惹く。


「よーし、皆聞いてくれ。取りあえず我々の生活基盤は出来た。蟻の素材やら何やらを大量に提供した報酬として、街への永住許可に水の利用等の便宜を図って貰えることになった。

 チーム以外の医療スタッフには先に意見を聞いたのだが、彼らは地球に戻る目処が立つまではここで生活することを希望した。


 地妖精達は魔力を循環させることで病気にはならないらしいが、子供や老人になると病気も僅かに発生するし、怪我は誰にでも起こり得る。

 このため地球の医療技術を生かして、ここで医者として活動しつつ、我々を支援してくれることになった。

 言語の壁については、この数日でハルとシュウがかなり解析してくれたため、片言ではあるが意思疎通が出来るようになっている。


 そこで我々はどうすべきか、どうしたいかについて各員の意見を聞きたい。

 まず俺はチーム全員を無事地球に帰す責任があるため、元地球人であり魔術を伝え、もしかすると地球に帰れたかも知れない『魔術師』の足取りを追いたいと考えている。

 まあ答えが判り切っているカルロスから聞こう、君はどうしたい?」


「私は家族の復讐を誓った。復讐する相手はこの世界にはいない。地球に戻れる可能性がある方に賭けるのは当然だ。チーフと行動を共にしよう」


「判った。ドクはどうする? 装備や設備の関係があるから、できれば同行して欲しいんだがな」


「俺様もゴリラチーフについていくぜ。命の水ドクペには限りがある。無くなったら生きてはいけないからな」


「良いだろう。よろしく頼む。次はヴィクトル。君はどうしたい?」


「私は元々死んでいた身です。そしてチームに命を託すと決めました。私はチーフの方針に従います」


「判った、ありがとう。ウィルマ、君はどうする? 君に関しては最も日が浅く、言うなれば事故に巻き込まれたようなものだ、残るのならば反対はしない」


「私もチーフの方針に従う。弱肉強食の自然が相手だ、私のスキルを活かせる場面もあるだろう。『偉大なる精霊グレートスピリッツ』の導きもある、不安など感じない」


「そうか、ではよろしく頼む。シュウとハルについては申し訳ないが強制参加だ。シュウは事の発端だろうし、シュウが居るならハルもついてくるだろう?」


「いや、ハルさんは医療スタッフと共に街に残って待っていてもらった方が安全じゃないですか? 未成年の彼女に危険を背負わせるわけにはいかないでしょう?」


「いえ、シュウさん。私は一緒に行きます。戦闘では役に立ちませんが、それ以外のことは何でもするつもりです。私もチームの一員なんです、仲間外れは御免です」


「よし、判った。結論は出た。チームは揃って行動する。当面の目標は『魔術師』の足取りを追う事だ。この世界についての知識や地理を仕入れないといけないのでシュウとハルには頑張って貰うことになる。


我々は作戦行動に必要な備品の点検、資材の確認をして、どのぐらい現状戦力を維持できるかを割り出す。武器、弾薬、食料に水、医療品に生活用品に至るまでチェックして継戦能力を把握する必要がある。


シュウはアパティトゥス老人が呼んでいたため、そちらに向かってくれ、それ以外の人員は残ってくれ、各自に作業を割り振る」


 アベルの発言を受けて、皆が動き始める。俺はハルさんを呼び止めて食い下がる。


「ハルさん、本当に残らなくても良いんですか? 未知の世界ですからどんな危険があるか判らないんですよ?」


「シュウ先輩。チームは家族です、家族は一緒に居るものです。違いますか? ここが安全である保証なんてありませんし、危険が迫った時は守ってくれますよね?」


「ははは、そう言われては男として否とは言えませんね。判りました、そこまで覚悟されているなら力の及ぶ限り守ります。まあ偉そうな事を言いましたが、逃げるのがメインなんですけどね」


「ふふっ、期待しています。シュウ先輩の傍が私の安息地ですからね。それよりもアパティトゥスさんの方へ行って下さい。私は私の作業をこなします」


「判りました。行ってきます」


 俺はハルさんに短く告げると、スカーレットだけを伴ってアパティトゥス老人の待つ、女王蟻の前へと向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「よく来たのう、お客人。シュウとか言ったか? お前さんに渡す物があるんじゃ、ちょっとこっちへ来てくれんか?」


 俺を見るなり、アパティトゥス老人が切り出した。そう言えば名前を呼ばれるのは初めてかも知れない。頷いて彼の後を追うと、女王蟻の前に台座が設けられ、そこに巨大な球体が鎮座していた。


「こうして見ると綺麗なもんですね、透明度の高い黒水晶モリオンみたいでもあり、黒瑪瑙オニキスのようでもあり、『孵らぬ種の卵』と仰っていましたが、宝石の一種なんですか?」


「いや、正真正銘の卵じゃよ。創造神はこれを使ってわしら妖精族を生み出したと言われておる。年月とともに分化し、今では地・山・森・水と別れてはおるが、元々は同一種族じゃったらしい。言語が妖精族で共通なのがその証拠とされておる」


「これが原因で蟻が巨大化したんですよね? こんな街の中に置いて問題ないんですか? 魔力は放射されているんでしょう?」


「これだけが原因で巨大化した訳じゃないのじゃよ。これは言わば生命力の塊じゃから、付近の生命を活性化し続けるんじゃ。お前さんたちもこれの傍に居れば、病気に罹ったりせんじゃろう。恒常的に発される治癒魔法のような物じゃからな」


「治癒魔法! 回復魔法があるんですか? 魔法って事は我々にも使える可能性がありますよね?」


「いや、残念ながら回復魔法と呼べる物は存在せん。『魔術師』が編み出したのは、魔力を使って己自身を健康に保つ『恒常発動魔法』だけじゃ。わしらが最初に学ぶ魔法であり、一番使われている魔法でもある。


 まあ、魔法の話はええわい。本題はこの『孵らぬ種の卵』じゃ。これは前の持ち主から奪った者が新たなる持ち主になるんじゃよ。つまり、これはお前さんの物じゃ、持っていくとええ」


「え!? 困りますよ、こんなもん貰っても場所取るだけですし。あ、でも病気にならないなら医薬品の節約にはなるか。そうですね、一応仲間に確認してみます。

 しかし、こんな球体から生命が生まれるなんて信じられないですね。これが神に至る足がかりですか、どうやって使うんですか?」


「それが判れば、わしが神になっておるよ。親方やら地妖精の学者やらが寄ってたかって調べておったが、何も判らんかったんじゃ」


 そう言いながらアパティトゥス老人が球体をバシバシと叩く、割とぞんざいな扱いに苦笑しつつ、俺も触ってみる。

 つるりとした表面は冷たくもなく、温かくもなく、これに似たものを触ったような既視感すら感じる。何処だっただろうか?


「そう言えば異世界と言えばエルフって言うぐらい、我々の世界では定番なんですけど、こちらの森妖精って言うのはどんな種族なんですか?」


 そう訊ねると、アパティトゥス老人が滔々と語ってくれる。

 曰く樹木の権化である。森に寄り添い、森と共に永遠を生きる種族であり、寿命があるのかすら判らない。

 少なくとも4000周期を生きた古老が居り、樹上に都市を作って生活しているとのこと。

 外見は透き通る緑の髪を持つ、美しい男女であり老いとは無縁である。長すぎる寿命のせいか、タイムスケールが他種族と噛み合わず、衝突を起こすことも少なくない。

 社会的には長命ゆえに極端に子供が少なく、生まれた子供は成人するまでずっと森の都市で育てられる。結婚と言う概念を持たず、長い寿命の時々で気に入ったパートナーと生殖をする。そもそも生殖活動自体を滅多に行わないため、極めて人口が増えにくい。


 『魔術師』が森妖精に出会えていれば、魔術も伝わっているだろうが、地妖精とは没交渉であるため、詳細は不明とのことだ。


「そうですか、私が想い描いていたエルフのイメージとはかなり違いますねえ。金髪碧眼笹穂耳で、美しい容姿を持ち、優れた魔法の使い手であり、気高く生きるそんな印象でした。


 まあ私の国というか地元では、もっとこう男の夢を体現化したようなエルフも想像の中に居ましたね。褐色で銀髪銀眼で巨乳のまさしくおっぱいエルフ――――」


 バシャッ! 唐突にそんな水音がした。


「バシャ?」


 恐る恐る振り返ると、巨大な球体は何処にもなく、漆黒の液体が流れていた。不意に足元を掴まれる。

 視線を足元に落とすと、褐色で銀の髪をした全裸の少女が俺の脚を掴んでいた。アパティトゥス老人も大口を開けて絶句している。


「え? えぇ~~~~~~~~~!!」


 俺の間抜けな悲鳴が虚しくこだました。

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