異世界編

第52話 遭難一日目

 夢を見ていた。寒さの厳しい冬に毛布に包まって眠る夢。温かく柔らかで花のような良い匂いがする毛布を抱きしめ頬ずりする。


「え!? シュウ先輩! あの! あの! 皆が見ていますから!!」


 ん? 毛布が喋った? 段々と意識がはっきりしてくる、毛布にしては厚みと弾力があって、なんだか腕の中でゴソゴソ動く。

 目を開かなくても左側は見えるから、横着をして視線をずらす。物凄い至近距離にハルさんが居た。一気に目が覚める!


「うわっ! ごめんなさいハルさん! 寝ぼけてました。いたた…… あ、そうか、頭を打ったのか…… ハルさん、怪我はないですか?」


「シュウさんが庇ってくださったので私は大丈夫です。私よりもシュウさんは大丈夫ですか?」


「なんだか硬い物に頭をぶつけたところまでは記憶があるんですけどね。ん? なんでこんなところに業務用冷蔵庫があるんだ?」


 本来居住用区画のミーティングスペースには冷蔵庫など無かったはずだ、ドクに視線を向けると露骨に目をそらされた。

 なるほど命の水ドクペ用か、更に追加したんだな、まあ指摘はしないでおこう。


「そうだ! 何が起こったんだ? 皆は無事かい?」


「ああ、全員無事が確認できた。これより緊急事態対応マニュアルC-2に従って対処する。ドク、遮蔽モードを一部解除して車外カメラ映像を出してくれ」


 アベルの声を受けてドクがPDAを操作する。ミーティングスペースに備え付けられた2枚のモニタにそれぞれ4分割された映像が表示される。『カローン』のみで、『エレボス』『ニュクス』は遮蔽モードのままのようだ。


 モニタに映る映像は明らかに異常だった。俺たちは先ほどまでソノラ砂漠に居たはずなのに、熱帯雨林を思わせる巨木だらけの密林の風景が映っていた。

 地表付近にも異常があった。『カローン』の周囲をかなりの範囲表示している映像には地面がくっきりと二色に分けられているのが見えた。

 車の近くは見慣れた砂漠の砂地であり、一定距離を離れると線を引いたようにくっきりと境界を分けて黒土に変わっていた。

 コンテナ上端に付けられたカメラからの上空映像はもっと判り易く。樹木の天蓋が円形にスッポリ穴が空いており、そこから空が覗いていた。


「ドク、車外の大気サンプルを取得して成分分析を行ってくれ、その間に今後の方針を立てる」


 アベルが指示を出すと、ドクはサンプル採取用のマニュピレータを操作すべく、最下層のマシンルームに向かっていった。

 緊急時対応マニュアルとはその名の通り、緊急事態に遭遇したときの対処手順について定められたマニュアルである。

 色々と想定される緊急事態ごとに種類分けされているのだが、Cシリーズは緊急度が高い。『Critical』のCであり、生命の危機だとアベルが判断したようだ。


「状況確認をしよう。俺たちはチームでソノラ砂漠に来ていた。シュウの『情報層』拡張実験を実施し、それが成功した。次の段階に進もうとした際に、医療スタッフの一人が発砲し、これを俺とカルロスで制圧。その後空に異変が現れたため、『カローン』に緊急避難をし、遮蔽モードに入り現在に至っている。ここまでの認識は全員あっているか?」


 全員が頷くのを確認してアベルがモニタの一点を指し示す。


「ここを見て欲しい、地面の色が変わっている境界線上に物体があるのが見えるか?」


 アベルがモニタを操作し、表示倍率が上がると物体の正体が明らかになった。人間だった。白衣を身に着けた人間が、縦に切断されて転がっていた。


「おそらくシュウを襲った医療スタッフだ。避難を優先したため、誰も回収しなかったのだろう。あの様子では生きちゃいないだろうが、切断面と境界線が綺麗に一致していると思わないか?」


 乾いた砂地を黒く染める出血は境界の区別なく円形に広がっているため、切断されてから広がったのだろう。

 そしてミーティングスペースのスピーカーからドクの声がする。


「大気サンプルの取得と、簡易分析が終わったぜ。外に出るのはしばらく待った方が賢明だ。外気の組成は通常のものと大差ないんだが、酸素濃度が異常に高い。酸素が30パーセントを超えている、下手に吸い込むと過呼吸になっちまう。気圧も測ったが1.2気圧ぐらいある、ここは何処なんだ?」


「ご苦労、ドク。続けて確認してくれ。衛星とリンクは可能か? 『墓地グレイブヤード』と通信は? GPS信号や各種電波を最大範囲で拾ってみてくれ」


「オーライ、チーフ。順次連絡を入れるから暫く待っていてくれ」


 その後もマニュアルに従って各種確認を実施していき、以下のことが判明した。

 衛星とのリンクは不可能。GPS信号も途絶しており、あらゆる通信波が検知できない。どの帯域バンドで応答を呼び掛けても反応が無い。

 三賢人たちの過保護が良い方に作用し、消費を抑えるならチーム全員が一年近く生存できるだけの物資が備蓄されている。


「参ったな、現在地が確認できない…… そうか! シュウ、君の左目で位置座標を確認してみてくれ。それならGPS信号を必要としない」


「あ! なるほど。早速確認してみよう」


 そう言って手のひらを目前にもってきて、自身の『情報層』から経度、緯度の情報を取得する。両方0と出た。おかしい…… 俺の記憶が確かなら経度0、緯度0の地点はギニア湾の湾内であり、つまり海上だ。間違っても密林ではない。


「アベル。悪い知らせだ。経度・緯度ともに0となっているが、これはあり得ない。その地点はギニア湾の海上になるはずであり、陸地は無い。つまり経度・緯度が取得できない。ノルウェーでも北朝鮮でもこんな事はなかったんだが……」


「それじゃスケールを変えてみろよ、シュウ。役に立たないって言っていた原点座標で表示して見ようぜ。前に取得したデータが残っているから、『墓地』での値と差を取れば何かわかるかも知れねえ」


 ドクが何やら妙な機材を抱えて戻ってきていた。ダウジングに使うような振り子に、発条測りのように見える。何に使うつもりなんだろうか?

 言われるままに原点表示で情報を取得してみる。いつも通り膨大な桁数の数値が…… あれ? 5つある。今までは何回取得しても3つだったのに5つ表示されている。そして第5パラメタは固定値の23、これが何を示しているのかは判らないが変化は確認できた。


「お手柄だ、ドク。妙なことになっている。Z軸、X―Y軸、謎の値(変動)、謎の値(固定)と5つがピックアップされてしまう。今までに無かった事態だ」


「じゃあもう一つだ。『マクスウェル』を呼び出せるか? あいつもシュウのスケールを基本に位置情報を取得できるように作ってあっただろ?」


 どうして忘れていたんだろう。己の一部を分けて作った分身とも言うべき存在を。急ぎ確認する。


「『マクスウェル』、ステータス報告。次に位置座標表示」


【ステータス良好。座標データ:――――

 ――――以上】


 相変わらず膨大な数値データを返してきてサッパリ役に立たないが、一つ面白いことが判明した。第4パラメタはほぼ同じ、第5パラメタは24となっていて微妙に違うのだ。

 ひとつ思いつきでスケールを経緯度の相対表示に戻し、『マクスウェル』に位置座標を報告させる。やはりか…… ソノラ砂漠の経緯度が返ってきていた。

 俺の分身はソノラ砂漠に取り残され、俺の手元から離れてしまっているようだ。しかし『情報層』で繋がってはいるため、通信が可能という妙な状況になっている。


「あ! 『マクスウェル』に通信機能があった! あいつはソノラ砂漠に居るみたいだから、『墓地』と通信出来るかやってみよう」


 そして『墓地』と通信をした結果、恐ろしい事が判明した。俺たちは地球上から消え失せて、どこに居るか判らないらしい。

 衛星映像で確認した限りでは、俺たちが居た場所は半球上に抉り取られ、そこに見たことも無い巨木が出現しているという事だ。

 現地にスタッフが向かっていて調査をするとのことだが、そもそも到着するまでに1日以上かかるという。

 さて、これをどう皆に伝えたものか…… 気が重いが、悪い情報と言うのは隠すと状況を悪化させる。素直に報告することにした。


「皆、落ち着いて聞いて欲しい。『墓地』と連絡が取れた。その結果いくつか判った事がある。俺たちは現在地球上に居ない、ソノラ砂漠に本来ここにあったであろう巨木が出現しているらしい。

 これらを総合的に判断すると、こことソノラ砂漠で相転移が発生したと思われる。明日になれば調査スタッフが一次報告をするらしいので、それまでここで待機せよとの指令があった」


 そう言うと皆一様にぽかんとした表情をしていたが、ドク一人のみ納得顔であった。


「ドクは驚いてないみたいだけど、何か心当たりがあるのかい?」


「ああ、さっき色々と原始的な機材を持ち込んでいただろう? あれでいくつか計測したんだよ。ここな、そもそも重力が1Gじゃない。0.85Gぐらいで極点だってこんな数値にならないんだ。別の星だって言われても納得できるさ、大気組成が地球と良く似てるし、植物もあるから水もあるだろう? それほど慌てなくても大丈夫だろうよ、どうやって戻るかが問題だけどな」


 こんな時でもドクは頼もしい。再び『カローン』を遮蔽モードにし、その日は居住区にそれぞれの部屋を割り当てたのだが、結局全員がミーティングスペースに戻って来てしまい、仕方がないので全員が寝袋に包まってミーティングスペースで眠った。

 ドクのいびきが煩くて難儀したのを書き添えて、遭難一日目は過ぎていった。

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