第50話 悪魔

 皆さんは悪魔と言うとどんなものを思い浮かべるだろうか?

 善に仇為すものであり、神への敵対者。ソロモン王が使役したとされる72柱の悪魔なども有名だ。ゲーテの『ファウスト』に登場するメフィストフェレスのイメージを抱く人も居るかもしれない。

 特にメフィストフェレスはファウストと契約し、望みを叶える代わりに、死後魂を貰うという西洋における悪魔のイメージ、その原型になっている。

 

 しかし、俺のようなIT業界に身を置くものとしては、違う意味を持っていたりもする。厳密にはDaemon(守護神)であって、Demon(悪魔)ではないのだが、悪の方向性を持ったDaemonをDemonとしている節があるので、あながち間違いとも言えない。


 若い方には馴染み薄いかも知れないが、電子メール黎明期に於いては、メールアドレスの打ち間違いをすると頻繁に登場していた。

 事実俺の母も、俺にメールを打とうとしたのだが、メールアドレスを打ち間違っており、『MAILER―DAEMON』さんって言う外人さんから英語のメールがどんどん送られてくるの! とパニックになっていた微笑ましいエピソードがある。


 この『MAILER―DAEMON』というのは電子メールを集配する郵便局のような仕事をしている存在である。UNIXというOS上で動作する常時実行型プログラムの一種であり、皆さんがご覧になっているWebなんかも『HTTP―DAEMON』が見せていると言える。他のOSではサービスと呼ばれたりもする。

 これらの『DAEMON』にはモデルとなった存在がある、『マクスウェルの悪魔』と呼ばれる存在だ。詳細については割愛するが分子の動きを監視し、運動量の多い分子を選り分けてくれる知的存在として定義されている。

 人間にとっては煩雑で膨大なシステムの雑用を、代わりにこなしてくれる存在として、悪魔に見立てて『DAEMON』という名称が使われたという経緯がある。


「ふーん、それでマクスウェルねえ…… 安直だな。シュウにはロマンが足りないな、俺なら伝令の神『ヘルメス』って名付けるぜ」


「なんかドクってギリシャ神話が好きだよね。俺は逆に『ヘルメス』だと『ゼウス』の使い走りって言う印象が強くて、どうもイメージが良くないんだよね」


「失礼な事言うなよ、オリュンポス十二神の一人なんだぞ。旅人、商人の守護者であり、死出の旅路の案内人でもあるんだ」


 俺たちが何を話しているかと言うと、三賢人に約束した『情報層』だけの存在、それに与える名前について議論していたのだ。

 上位者監視のもと、他者の要求リクエストを受けて、機能サービスを提供するという性質上、前述の『DAEMON』に振る舞いが酷似しており、そこから『マクスウェル』と名付けたのだが、ドクはお気に召さないらしい。


「まあ使うのはシュウなんだから、好きに名付けりゃ良いけどさ。本当にAIは要らないのか? 俺様謹製の『ハデス』を移植しても良いんだぞ?」


「三賢人たちに人格を持たないって言っちゃったからね、ありがたいけど遠慮しておくよ。会話できるUIって言うのに憧れはあるんだけど、最初はシンプルな方が良いと思ってね」


「OK、判った。必要ならいつでも言ってくれ。現状解析出来ている機能だけでも、その程度の作り込みは可能だからな」


「ありがとう、ドク。頼りにしているよ。俺の要件定義から、『マクスウェル』の設計をして貰っただけで充分にありがたいよ」


「なあに、100にも満たないコマンドで構成される簡易システムだ。片手間で出来るさ、この前貰った『神の酒ソーマ』の比率を割り出す方が難しかったぐらいだ」


 ドクは想像を絶する天才だった。俺の能力行使を数回見ただけで、デジタルな入出力を可能とし、それにより収集し蓄積したデータを元に、プログラム可能な高級言語を用意する。

 確かに低級言語たるアセンブラなどの機械語は、メモリ上のアドレスとデータを直接操作し、望む機能を作り上げる。

 これは俺がやっている能力の行使とほぼ同じと言える。林檎が持つ位置情報のアドレスを取得し、そこのデータを拾い上げる。拾い上げたデータに新しい値を設定して、元のアドレスに戻す。これで林檎が瞬間移動するという機能を実現しているに過ぎない。


 能力の行使に『管理者の目アドミニサイト』を必要としなければ、俺よりも遥かにドクの方が危険な存在であると言える。

 俺よりも欲望に忠実で、執着心も強いのだが、そのほぼ全てが機械工学と命の水ドクペにしか向いていない。非常に有能だが扱いにくく、しかし安全だという妙な男である。


「それで、シュウの『情報層』を加工して『マクスウェル』を作るって方針は確定なのか? 新規に領域を獲得した方が良いんじゃないのか?」


「独立している『情報層』だけの存在は不安定で、いつか敵対して襲ってきそうな気がして怖いんだよ。ドラマや映画なんかじゃ良くある展開だろう?」


「まあな、お約束ではあるよな。しかし三賢人の爺どもは急に過保護になったよな、シュウが何かしたのか?」


「別に何もしてないよ? 今まで通りさ。俺を失うことの危険性を、より重大だと判断したんだろう」


 『マクスウェル』を作成するに当たって、どれだけのエネルギーを必要とするか判らないため、何もない広々とした土地、ソノラ砂漠での実験を申請したのだが、最低でも砂漠で一か月生存できるだけの装備を持っていくことを条件に許可されたのだ。

 少し脅し過ぎたのかも知れない。機材も『カローン』に『エレボス』『ニュクス』まで引っ張りだして、食料も住環境まで完備した隊商キャラバンのような有様となった。

 ソノラ砂漠で砂嵐が発生したとしても、余裕で耐えられる過剰な装備と言わざるを得ない。今も地下では物資の搬入が行われている。


「しかし、これはもう少しなんとかならねえのか? 不味いとか美味いとか言う次元じゃなくて、食うとダメージを受けるんだが」


「高機能栄養剤だからな、そんなもんだろう。各種抗生物質に防腐剤を添加した食品が美味い訳がない」


 ドクが汚い物でも持つように摘み上げているのは、組織謹製の保存食だ。カロリー摂取と栄養状態維持、それに携帯性と保存性のみを追及したため、酷い匂いと味になっていた。

 日本風に表現するなら『ラッパのマークの医薬品』の匂いを持つ、紙粘土と言うのが近いのではないだろうか? およそ人の食い物とは思えない物体だが、その分機能的だ。

 アルミパッケージさえ開封しなければ、高温多湿環境下でも10年の保存に耐え、段ボール箱一杯に満載するだけで6人が半年間食いつなげるという優れものだ。


「ドクの試算だと、『カローン』に空きスペースが作れそうなんだろう? そこに業務用冷蔵庫を置いて、日本の食材を運びこもう! 米に味噌、各種調味料、肉や野菜なんかも欲しいな」


「シュウ! 肝心なモノが抜けているぞ。そんなことのために大掃除した訳じゃねえんだよ」


「判っている。ちゃんと命の水ドクペゾーンは確保しているさ、じゃあ模様替えシミュレータっての触らせてよ、どのぐらいの荷物を運びこむか試すから」


 遠足前の準備さながらに、わくわくしながら持っていく荷物の品定めをしていた。物事がうまくいっている時ほど注意しなければならないというのに、すっかり油断してしまっていた。


 これから俺たちが辿る数奇な運命の歯車は、既に回り始めていた。

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