邪竜の騎士は高らかに愛を謳う ③

 思いの外に過ぎた無茶をしてしまった事を、イーサンは鈍痛が疼く右肩で理解した。

 ――流石に、鎧を纏った体を右腕一本で支えるのは無理があったか。

 城門の壁に背を預け、痛みが燻る右肩を左手で抑える。

 ――まさか、鈴の札が一斉に鳴らされるとは、な。

 目を瞑れば、先ほど行った竜の騎士と交わした刹那の応酬が反芻された。


 惜し気も無く、姫への想いを宣言した若い声を思い出すと、口端がほんの僅かに上を向く。

 ――あの場で止められれば、私の立場としては楽ではあったが――こうなっては、約束通りに動かなければな。


「イーサン殿、ご無事ですか!?」


 駆けつけた女性の軍医が、城門に寄りかかるイーサンへ駆けつける。

 軍医はイーサンが返事をする間も無く、鎧を脱がせようと、止め具を正確に外していく。


「全く、無茶をするものです」

「出来ないと思った事はしない」


 顔色一つ変えずに答えるイーサンに、軍医は眉一つ動かさずに折れた剣を指差す。


「イーサン殿の事ではありません。その折れた剣、イーサン殿の為に宮廷鍛冶師が特注で造った業物ですよ」

「ああ、お陰で肩の脱臼だけで済んだな」

「そのご感想は、後で鍛冶師達に伝えておきますよ」


 僅かにイーサンの眉が寄せ上がるのを、軍医は気にも留めずに必要以上に顔を寄せて耳打ちを囁く。


「……イーサン殿、昨夜のご指示通り、例の物が見つかりました。どうやら、この国で禁忌が行われていたのは事実であるようです」

「解った。アーケオの貴族達でこの件に関与していた者は?」

「残念ながら依然不明です。一体アレだけの魔法鉱石をどうやって貯め込んだのやら」

「そうか……」

「……イーサン殿、今回の件は昨夜に密告者からの報告があったとの事ですが、一体何者ですか?」

「言わない約束だ」

「そう、ですか……」


 淡々としたイーサンの返事は別に、軍医が不満気に口を紡ぐ。

 イーサンは立ち上がり、軍医の方へと振り向く。

 相変わらずの無味乾燥とした金の目が、何時も通りの強固な意志を示している。


「行こう、我々だけにしか出来ない事がある」

「は、はあ……イーサン殿、もしかして機嫌が好いですか?」

「気のせいだ」


 付き合いの長い軍医がイーサンの僅かな変調を突くが、英傑は何も語らず、城の中へと戻っていった。




 屋根の上を軽快に走っていく射手である賊を、ヴェロキラの兵士達が鬼気迫った形相で追い掛け回す。

 屋根の上を駆け回る賊は、長髪を軽やかに風で靡かせるのに対して、追い掛ける兵士は重層な鎧を揺らすたびに、息の感覚が短くなっていく。


「くっそ、これじゃ巻かれちまう」


 先頭を走る兵士が、颯爽と自分達を撒いていく長髪に対して恨み言を吐き出す。


「なんで俺達こんなに動きづらい格好してるんですか!」

「奇襲の警戒が完全に裏目に出てますよね! この状況!!」

「叫べる元気があるならもっと走れ!」


 すると、先駆けしていた賊が屋根の上で不意に立ち止まり、追い掛けてくるヴェロキラの兵士達を屋根の上から見下ろす。

 口元を白のスカーフで覆い、仮面を被った顔を詳しく見る事は出来ないが、兵士達を見下ろす視線からは、激しい怒気と呆れが混じりこんでいる。


「情けない! 貴様ら!! それでもヴェロキラの兵士かっ!」

「なっ、賊が言う事か!」

「その賊すら満足に捕獲できない兵士が何を言うか!」

「おあっ」


 反論した兵士の兜に、賊が投げた瓦が直撃して一人が倒れ沈黙する。

 体で覚えのある戦々恐々とした行為に、一人の兵士が気付いて顔色を変えた。


「まさか!? ジュデ――」

「そいっ!!」

「あぐ」


 二人目の脱落者が倒れ込む金属音を背後に、他の兵士達は眼光を一層と鋭くする賊に肩を震わせる。

 賊は何時でも次の投擲の為に、瓦を手にしていた。


「いいか、私を必ず追い掛けろ――もし、捕まえら無ければまた投げる。そして、私以外を追い掛けるな。その場合は――」

「そ、その場合は?」


 賊が指を丁寧に鳴らすと、反対側から何かを両手で持ち上げた人の手が上がる。

 目が離せず動けない兵士の脳裏に、向かいの店が何を扱っているかを思い出し、屋根に乗せられた物品の正体に気付き顔色を青くした。


「貴様らの兜に、瓦より更に重いホールチーズを見舞う。輸入したばかりの物をな!」

「なっ! なんて恐ろしい事を!」

「食べ物を粗末にしたら駄目なんだぞ!!」

「姫様の命を粗末にされる事に比べたら、私は一向に構わん!! さあ、追って来い!」

「ま、待て! くそ、あんな物を頭にぶつけられて死んで堪るか!!」


 言いたい事を言うだけいうと、賊はチーズホールを抱えたまま走り出し、兵士達が慌てて後を追った。




 オルガとジュリア、サスキアの三人は教会から抜け出す時に運悪く、ヴェロキラの兵士達と出くわしてしまっていた。

 森育ちの身体能力で走るサスキアとオルガに対して、ジュリアは隠していた夢魔の翼を広げて、地面を前のめり滑るかたちで追随していく。


 街の通りを亜人である3人が駆け回り、それを追い掛ける兵士の構図が、二区域ほど続くとジュリアが痺れを切らして兵士の方を振り向き手をかざす。


「もう! しつこいと嫌われますよ!!」

「嫌われる様な相手なんていないんだよ、こっちは!」

「えっ、何かごめんなさい……」

「謝るな!?」


 ジュリアが憐憫の瞳で掌から、桃色に発光する魔法陣を展開させると、桃色の煙が噴出す。

 煙はジュリアから一番近い所にいた兵士の兜に吹きかけられると、煙を吸ってしまった兵士がもんどりを打って倒れる。

 倒れた兵士を、他の兵達が慌てて跳び越えていく。


「き、貴様! 一体何をした!?」

「ちょっと幻覚を見て貰ったてるだけですよ~~……黒胡椒をお鼻一杯に吸い込んだ幻覚ですけど……」

「なんて贅沢に恐ろしい事を!」


 戦慄く兵士を他所に、先頭を走るサスキアが近くの路地裏で手を振る少年に気付く。少年の背には綺麗に立てかけられた巨大な木材の束が見えた。

 サスキアが慌ててオルガの袖を引き、少年に気付かせると今度はオルガが、ジュリアの手を掴んでサスキアを追い掛ける。


「わわ!」


 オルガに手を握られ、ジュリアは驚くがオルガのエスコートに上機嫌で着いて行く。

 路地裏に3人が飛び込むの見計らって、少年が影でこっそりと綺麗に並ぶ木材を押すと、バランスを欠いた木材が追い掛ける兵士の目の前で、連鎖して崩れ道を塞いでしまう。


「なーーっ!」


 兵士が木材に衝突し、隠れていた少年がやり遂げた顔つきで遠くなっていくオルガ達に拳を握って親指を立てると、オルガは手を振り走り去る。

 3人は反対の表通りに出ると肩の力を抜いて息を吐いた。


「待てええええいい!!」


 背中から投げ掛けられた虚を突く叫び声に、慌てて振り返ると新手の兵士達が鎧の重さに息を上げながらも追い掛けて来ていた。


「あー! もう!!」


 サスキアが鬱陶しそうに両手を大きく頭上に広げ、兵士達の方向を向きながら振りかぶる。

 すると、兵士達の目の前で砂礫が舞ったかと思えば、強風が襲い掛かった。


「さ、早く!」


 サスキアの声に反応してオルガとジュリアが走り出すが、強風はすぐ止み、兵士達が追い掛け始める。

 そして、3人の道の先には路を塞ぐ様に山となった、アーケオ産の青果を積んだ荷車が敷き詰められている。


「よっしょあ! 行き止まりに追い詰めろ!!」

「馬鹿! 相手は人間じゃないんだ、飛び越えられちまうぞ!」

「どっちにしろ急ぐぞ!! 兵士の面子、丸潰れだ!」


 兵士達が逃すまいと追いかける勢いを強める。

 サスキア達はそれでも構わずに行き止まりへと駆け込み、オルガが一番最初に辿り着くと、青果の山を木登りの要領で途中まで|登攀(とうはん)すると、追い掛けて来たサスキアの腕を掴むと、サスキアが何かを囁く。


 すると、オルガが勢い任せに片手でサスキアの体を放り投げた。

 サスキアの体は羽の様に軽やかに荷車の山を飛び越え、器用に空中を一回転して向こう側へ行ってしまう。


「くっそ、魔法ばっか使ってずるい狡いぞ!」


 今度はジュリアがオルガの手を握ろうとした矢先、意地になった兵士によってジュリアの足に跳び付いた。


 ジュリアが紅い瞳を大きく揺らす。


「よっしゃあ! まずひと――ふげえあっ!?」

「その手を離せ!」


 オルガはすかさず、手にした水瓜をジュリアの足に組み付いた兵士の頭部に投げつけた。

 果汁が新鮮な飛沫を上げるて、兵士の頭部が兜ごと仰け反るとジュリアが追い討ちとばかりに捕まれた足の靴で、兵士の首へと鋭い横蹴りを打ち込む。


 かひゅう、と息を上げて兵士が気を失いかける傍ら、ジュリアは羞恥と涙で溢れる衝動のままに叫ぶ。


「嫁入り前の乙女の足を何だと思ってるんですかー!!」

「ジュリア、急ぐよ!」


 半狂乱になるジュリアをオルガが無理矢理抱え込んで向こうへと跳び越える。


「このまま一気に撒きましょう!」

「がってん!」

「まだ、誰にも触らせた事無かったのに……」


 オルガは泣き崩れるジュリアを抱え込んだまま、サスキアと共に走り去っていく。


 青果の荷車の傍らに、木箱の上で座り込んでいた老人が遠くへ行く3人を見て満足げに頷いた。


「好い肢じゃったあ……」




 お祭りの様な騒ぎに包まれた城下街と反する様に、ユンナは自室に独りで佇んでいた。


 部屋には、ヴェロキラの貴族長として相応しい赤と金の装飾に彩られながらも、どこか陰惨とした空気が部屋を包んでいる。

 華美な壁には、幾つもの呪装が芸術品の様に立て掛けられおり、呪装の一つ一つが呼吸をする様に青白い明滅を繰り返す。


 ユンナはその中から、鞘に収められたままになっている一つの剣を手に取る。

 煌びやかな宝石を装飾とした呪装の鞘からは、慟哭にも似た音が静かに鳴り続けていた。


 その音に、ユンナは一方的な共感を得て自分を嗤う。

 鞘から剣を抜くと、儚く輝く剣の光沢に自分の顔と背後に佇む銀色の紋様を輝かせる黒騎士が映った。


「――思ったより、元気そうですね。お似合いですよ、その姿」


 何時の間にか部屋に侵入していた黒騎士――ブレウスは、その場から動かない。

 ユンナも同様に剣を鞘から抜き切らずにその場で静止する。


「……ユンナ、何故僕がシルヴィアを連れ去る時に妨害をしなかったんだ? お前なら、呪装を事前に持ち込んで阻止出来た筈だ」

「……何か、勘違いをしていませんか? 呪装はこの国の最大の切り札です。軍事力としても外交手段としてもね。公の場で易々と曝す訳には行かないんですよ。……貴方の考えが読めましたよ、呪装の事実を公にするお積りなのですね?」

「――それがお前の答えなんだな」


 ブレウスがユンナへと一歩を踏みしめ身構えた。


「くどいですね……ああ、それともう1つ、あの場で使わない理由がありました」


 ユンナが振り返る勢いを合わせて、背に居るブレウスへと手にした剣で一閃を抜く。


「貴方が来る事が解っていたからですよ、ブレウス!!」


 ブレウスは見越していたのか、流れる動作で跳ぶ様に浅く下がると、屈めた足の姿勢をそのままに、ユンナへと跳び込んだ。


 大きく袈裟懸けするユンナの太刀筋を、ブレウスの異形の右腕が躊躇わずに掴むと、甲高い金属音が静寂した部屋に響いた。


 金属同士が擦り合わせる音を立てながら、ユンナの呪装をブレウスの異形と成った右手が|止(とど)める。


「呪装を全て、破壊させて貰うぞ! ユンナ!!」

「はっ、この国の唯一と言っていい強みを失くせと言うのですか、貴方は!!」

「そんな痛みと涙でまみれた脆い強さで、何を護れたって言うんだ!」

「責任を負わないものが、何を偉そうに!」

「お前は、その責任を! 呪装を作る言い訳にしただけだろっ!!」


 ブレウスが叫びと共に右手を剣から離すと、腰を左へ切り返しながら左拳をユンナの腹部へ抉り込む様に打ち込んだ。


 ユンナは下水道で喰らった傷口に衝撃を受けると、今度は呪装がかけられた壁へと背中からぶつかる。


「かっはァ」


 壁にかけられた呪装が振動で揺らぐが、強固に固定されているのか、ユンナへと落ちる気配は無い。

 ブレウスがユンナを追い詰めようと近づくと、悠然とユンナが起き上がり、大量の水を押し止めていた堰が徐々に決壊していく様に、声音を歪み切った口端から溢れ出させて行った。


「そうです、そうですよ……言い訳でしたよ……」


 ユンナは目の前に居る黒騎士を虚ろな双眸で睨み、道化師の様に嗤い肯定する。


「そうしなければ!! この国の闇で生き続けられなかったのですから!!」


 ユンナの慟哭と共鳴する様に、手にしている呪装の剣が盛大に鳴き声を上げて、壁にかけられた他の呪装たちも呼応して一斉に鳴き出す。


 その声の膨大さは部屋の空気を震わせ、ブレウスの進行を阻む程の音波となる。


『くっそ、何事だ!?』

「丸で怨嗟だ」


 目の前で起きている異変に黒竜とブレウスがたじろぎ、ユンナが握っている呪装の剣は光の輝きを増して、その勢いが留まる事無くユンナの手から体を飲み込んでいく。


『まさか……アイツの感情と共鳴してるのか……』

「黒竜、これは一体!?」

『悲劇馬鹿が武器に同調されたってこった――来るぞ! ブレウス!!』


 光の強さにブレウスが目を眩ませた、刹那、その光りが黒騎士と同様の速さで動き、ブレウスへと激突する。


 ブレウスを不意に襲って来た衝撃は、ブレウスを部屋の壁ごと吹き飛ばして部屋から廊下、城の中庭上空へと追い落とす。


 白亜の砂礫が粉塵となって舞う空中で、ブレウスは翼を大きく広げて中庭へと急旋回して着陸すると、花壇の紅いバラとトリカブトが散り舞った。


 ブレウスは立ち上がり、自分を追い落とした相手が落下した先を見ると、晴れて行く粉塵の中に佇む相手を見た。


 カレンデュラのオレンジ色の花びらが辺りを散り舞い、足元に折れた白バラを踏みつけている相手の姿は、以前のユンナとは様変わりしていた。


 全身を青い水晶の甲殻が、鎧となってユンナを包み込んでいた。

 ユンナの背には、部屋にあった呪装が全て従う様に宙に浮いたまま展開している。


「――呪装は元々、黒竜への対抗策として作られた兵装です。体への負担を省みなければ、これくらいは出来ますよ」


 青水晶の兜に顔を隠したユンナが落ち着きを払いながら、空いた左手を掲げてブレウスへと振った。

 ブレウスは研ぎ澄まされた五感で空気が揺れたのに気付くと、前方へと走り出す。


 直後にブレウスがいた場所へと呪装の短剣が突き刺さる。

 ユンナが背に展開している呪装をブレウスへと放つ為に、左手を再び、向ってくるブレウスの方へと掲げる。


『一発でも直撃したら終わりだぞ!』

「解ってる!!」

「大芸道の時間です、せいぜい踊りなさい」


 恐れずに向ってくるブレウスを刺し射抜こうと、八つの呪装が凶刃となって飛んでくる。

 ブレウスは奔る速度緩めず、真っ先に飛んで来た刃を二つ振り切ると、次の刃が三つの束になり、先程よりブレウスの動きに合わせて軌道を変えて襲い掛かる。


 自分の顔に迫った刃の束を、ブレウスは足先から花壇の土を抉るように滑り込みながら、ユンナへと肉薄していく。


「全開と同じ手は通用しませんよ」


 下水道での戦法を警戒して、ユンナが背に残していた三つの呪装を、ブレウスの脳天目掛けて振り下ろす。


 ブレウスは慌てて身を丸太の様に横へ転がし、振り下ろされた刃が抉れた花壇の土に突き刺さる。


 急いで反撃に転じる為に、ブレウスが身を起そうとすると、ユンナが兜の下で嗤う。

 ブレウスは背後に悪寒を感じた。


「もう手遅れです――チェック・メイト」

『真上だ、ブレウス!!』


 黒竜が言い切る前にブレウスは真上へと一目散に飛び上がると、ブレウスの背から襲い掛かった凶刃が寸前の所で外れて宙を切った。


「外れても、当たるまで動かし続けるだけですよ」

「――ならば!」


 ブレウスは上昇を止めずに更に空を目指して飛んでいく。


「詰まらない抵抗をするものです」


 ユンナが左手を広げてゆっくりと回しながら握り込むと指先を飛んでいったブレウス目掛けて開く。

 花壇に散って突き刺さっていた呪装が再び浮上してブレウスを追って行った。


 城の上空で空を裂いて行くブレウスの後を無数の呪装が追い回す。

 ブレウスの鎧に刻まれた銀の紋様が一層の輝きを放って、上昇の勢いを加速させた。

 ブレウスは加速に震える体を翻して、真下から迫り来る怨嗟の固まりとなった呪装の束と向き合い、右腕を突き出す。


『――勝負どころだな! ブレウス!』

「ああ、行くぞ!! 黒竜、調整を頼む!」

『任せろ!』


 ブレウスの突き出した右掌の先から、自信の倍近くに巨大な魔法陣を、漆黒の輝きと共に展開させていく。


『在りったけの魔力を使うぞいいな!』

「構わないさ! 後は僕とアイツの勝負だ!!」

『ならばいくぞ!!』


 ブレウスの右肩に乗る黒竜が、眼を紅く輝かせて精霊の|秘文(ひもん)を叫び、言葉の意味がブレウスに|伝心(でんしん)する。

 魔法陣が完成すると、黒の雷鳴を発して唸り声を上げた。


 ――これぞ竜(われら)が精霊の頂点たる示し! 剣の中に積もった怨嗟の嘆きを掻き消し、魂を大地に還してくれよう!! ――さらばだ、愛しき者よ!!


 ブレウスと黒竜が重ねて雄叫びを上げる。


「――|竜の息吹(ブレス・オブ・ファイア)!!』


 大気の爆ぜる音と共に、黒き竜の息吹が巨大な漆黒の光線となって放たれた。


 轟音が竜の雄叫びとなって空を震わせ、光は一直線に空ごと呪装の山を飲み込む。

 光線に飲まれた呪装が剣先から砂になり、淡い虹色の色彩を放って光線の中に溶けて行く。


 ブレウスと黒竜が放つ全力の一撃に、ユンナが目を見開き驚嘆した。


「これが――竜の!?」


 二の句を次ぐ間も無く、呪装を消し去った光線がユンナ目掛けて城の中庭に向ってくる。

 ユンナは咄嗟に、手にしていた最後の呪装を地面に突き立てた。


 瞬時に青白い魔法陣による防壁がユンナを護る様に展開され、竜の息吹を防ぐ。

 ユンナの握る剣が光を一際鋭く放つと、熱を持ちながら煮え滾る熱さへと変わる。


「お、おおおおおお!!」


 篭手ごしから伝わる熱に離しそうになる己の手を、ユンナは空いた手で上から押さえつけて踏み止まり、叫ぶ。

 剣に亀裂が奔った。


 手を焼かれる業火の感覚と、無数に亀裂を増やしていく呪装の剣、終ると知れない黒竜の息吹にユンナは抗い続けた。


「まだだ! 私は、わたしはあっ!!」


 ユンナの慟哭に合わせて、青白い防壁が硬度を上げるために同色の鎖を生み出し、重ねるように巻きつけていく。


 耐え続けていくユンナの防壁を撃ち破るべく、黒竜とブレウスは有りっ丈の魔力を全て吐き出そうと歯を食いしばり、同時に叫んだ。


『その鎖ごと――食い破る!!」


 黒の光線が一瞬の間に膨らみ、勢いを更に増大させて防壁ごとユンナを飲み込んだ。

 視界の全てを光の濁流に飲み込まれても尚、ユンナは|罅割れ(ひびわ)ていく呪装から手を離しはしない。

 泣き喚く子供の様な慟哭が防壁の中で木霊する。


 ユンナを護り続けた呪装が突き刺した地面の先から、虹色の光を零しだす。遂に限界が来たようだ。


 ユンナの脳裏に、今まで歩んで来た生き方が脳裏に浮かぶ。


 母親は自分を生んだせいで死んだ。

 気がふれた祖父に毎日の様に、竜の恐ろしさを教え込まれた。

 父が母の死を攻め立てながら、自分に武器の使い方と呪装を教えた。

 父に教えられるままに、無辜の命を呪装の為に踏み躙った。


 病弱になって祖父と同様に狂いだした父を、少しずつ毒を飲ませて終わらせてやった。

 祖父も父も、自分は真っ当に逝けると確信した安堵に満ちた笑みが、ユンナの奥底に染み付いている。


 欠け始めた剣が、ユンナに審判を告げる明滅を繰り返して薄くなっていく。

 ――これが、私の終わりだと――認められるか!


 身を包んでいた青白い装甲と共に、防壁が消えて行くとが、それに合わせてブレウスの放つ光線の勢いも弱まり消えていく。

 ――耐え切ったか!


 ユンナがそう思った刹那、消え行く光線の後を追いながらブレウスが迫り来た。

 魔力が尽き掛けているのか、視れば黒騎士の鎧が翼ごとユンナの鎧同様に消えていき、その飛行は重力任せの落下に等しい。


 しかし、力尽きようとするユンナとは反対に、ブレウスは右腕を振り上げ手刀を構えたまま崩さない。

 闘気に満ちたその顔に、ユンナは笑った。


 抜けきっていた肩に力を再び込めて、最早ただの折れた剣になった得物を、挑んでくるブレウスを迎え撃つ為に上段に構える。


「ユンナアアアアァァ!!」

「ブレウスウゥゥゥ!!」


 討つべき相手の姿を見据え、互いに相手の名を叫びながらも一閃を穿つ。

 ブレウスがユンナを横切り花壇の土に衝突しながら、苦悶を零して転がり落ちた。


「――かっひゅ」


 ユンナの右首筋から鮮血が噴出し、膝裏から力が抜けて、背中から花壇に崩れ落ちる。


 折れた白バラの花が血を吸って赤に染まっていく。

 ブレウスが切られた右肩を抑えながら、今際の際を迎えるユンナへと近づき膝を落として傍に寄り添った。


「私の代で漸く、ですか……まったく、とんだ……貧乏籤だ……」


 空を見上げたまま、ユンナは血が止まぬ首筋を手で押さえながら、絞るように言葉を紡いでいく。


「……最期に、教えて下さい……貴方も、近衛の家で生まれたならば……この国の有様を見た筈だ。内側からゆっくりと、術も無く、こびり付いた因習による、腐敗の中で何故、絶望をしなかったのですか」


 この疑問を晴らさなければ死ねぬと訴えるユンナの言葉を、ブレウスは共に青空を仰いで答える。


「絶望をしなかった訳じゃないよ、僕だって何度もこの国の有様にやり場の無い怒りを覚えたさ。けどね――どんなに苦労が実らなくても、立ち続ける人が居たんだよ。僕は、その人に胸を張って横に立ちたかった、それだけさ」


 ユンナが呆けた顔をすると、弱々しく穏かな笑みを浮かべた。


「何ですか、それは……理屈が置いてけぼりですよ……」

「理屈なんていらないさ、その人の笑顔が見たかっただけなんだから」

「もう、いいです……貴方も、彼女も……言葉を交わせば疲れる事ばかりだ……お陰で、私も可笑しく…………」


 ユンナが浅くなって行く呼吸のままに、快晴の空を見詰め太陽へと、届かぬ血濡れた手を伸ばした。


「ああ……眩しい、な」


 ユンナの伸ばした手が崩れ落ちて、その血を土が吸い上げる。

 事切れて目から生気が失せたユンナの瞼を、ブレウスは静に下ろした。


「黒竜……神様に会った事はあるかい?」


 ブレウスの襟元から黒竜が這い出し、深く眠る様に微動だにしないユンナの亡骸を見詰める。


「そんな昔の事、覚えとらんわい……ただ、精霊も人間もこの大地がある限り、何時かは還り、新しい命となって芽吹く……ワシは、それを尊いと思うよ」

「それなら大丈夫、なのかな」


 原型を止めぬ中庭の庭園に、打ち鳴らす大勢の鎧の足音が大仰に鳴った。ブレウスと黒竜は予期した相手へと振り返る。


 アーケオ軍中隊長のイーサンが、精鋭と思しき部下達を連れてブレウスと黒竜の前に姿を現す。


 アーケオの兵達はブレウスを包囲をする素振りを見せずに、イーサンと視線を交わすとユンナの遺体を丁重に、高価な埋葬布に包み運び去っていく。


 中庭には、ブレウスと黒竜、イーサンだけが取り残される。


「決闘は貴君の勝ちだ。ここから立ち去られよ、国竜の籠を受けし若騎士よ」

「見逃してくれるのか?」


「姫が攫われ、議長も居なくなった今、ヴェロキラは自力だけで国家を維持するのは難しくなるだろう。そして、我々アーケオにとっては最大の好機となる。これ以上の混迷を避ける為、我々は直ぐにでもこの国を掌握するだろう…………具体的には、三日もあれば十分だ」


 イーサンは表情を変えずに、ブレウスを真っ直ぐと見据えたまま、ブレウスの言葉を遮る様に淡々と語る。

 黒竜はそれがイーサンなりの賛辞だと気付くが、草臥れて口を閉じたままにした。


 イーサンがブレウスに対して、右手を胸の前で水平にし掌を下に向けて敬礼を取る。



「イーサン……もしかして、貴方はユンナと――」

「――――流れる血の正邪を問わずに、最小の犠牲を持って最大の無辜の幸福を創り、護る。それが、アーケオの教えであり、我々の信だ」


 不思議そうに呆けているブレウスの頬に、黒竜が脚で叩く。


『……こいつらの気分が変わらない内にさっさとズラかるぞ、ブレウス』

「もう魔力が無いから、歩いていこうか?」

『短時間しかもたんが、ワシの魔力を出してやる。ワシが空腹で死なん内に急ぐぞ』


 ブレウスは黒竜に促されるままに、なけなしの魔力で下半身と両腕に鎧を纏わせ、イーサンへ背を向けて中庭の外壁を駆け登って行く。


 中庭から城の外壁へと続く境界線でブレウスが振り向くと、イーサンは見届ける為に留まり続けていた。

 信念の篭った声を張り上げ、イーサンは若者へと言葉を送る。


「行くといい、唯一人の為に立ち上がれる者よ。国が名を変えようとも、ここに住む者達の胸には今日の事が、ささやかな誇りとして残り続けるだろう」

「……後の事、宜しくお願いします」

「最善を尽くそう」


 言葉を確かに聴いたブレウスは、二度と振り返る事無く城の外壁を跳び越えた。




 祭りの様な昼の騒ぎが嵐となって過ぎ去った城下街では、再び盛大な喧騒に包まれていた。

 今度は市場に引っ張り出された椅子とテーブルが敷き詰められ、酒と料理を片手に人々が今日の事件を口々にする。


 昼間の事に興奮が冷め切らぬ彼らの語りは、事実虚偽と構わずに宴の席を盛り上げて食を進めた。


 酩酊しながらも肩を組んで陽気な歌を口ずさむ、客を壁にオルガ達はアノーラの店で暴食の限りを尽くしていた。


 油の弾ける音を立てた鉄板の上で、芳しい香りを主張しているハンバーグをタマネギを刻んだソースごとオルガは頬張ると、芳醇な肉の旨味がソースと共に弾けて口の中で踊る。


 柔らかな肉の弾力が噛み締めるごとに味を引き出させ、口の中で消えてしまうと、オルガは金属製のグラスで冷やされたエールを一気に飲み干していく。


「うっまー!」

『お前さんは大げさ過ぎなんじゃよ、料理ってのはな、もっとこう、落ち着いてだな、おい! 骨付き肉の御代わりを頼む!! 焼き加減はレアで!!』

「黒竜もさっきから口止まってないじゃん」


 オルガの横では黒竜が凄まじい勢いで肉に喰らいつき続け、あっと言う間に自身の体より大きな料理を綺麗に平らげてしまう。

 余程腹が減っているのか、その勢いは店の食材を全て無に帰す勢いだ。


 明らかに生物としての範疇を超えた黒竜の食いっぷりに、首に包帯を巻いたままのガーボンが信じられない視線を向ける。


「……その体で、食べた肉はどこに消えているんだ……」

「はい、ガーボン。あーん」

「あーん」


 ガーボンの隣に居たサスキアが、鶏肉の出汁を使ったスープをガーボンに甲斐甲斐しく飲ませる。

 それをジュリアが羨ましそうに見詰めてオルガをチラリと覗うが、オルガは鉄板に残った油をパンに浸して頬張っていた。


 何か言いたげに自分を見詰めるジュリアの視線に、オルガは気付いくと、黙って肉汁とソースを吸ったパンをジュリアに差し出す。


「食べる?」


 ジュリアが紅い瞳を輝かせて、オルガが手にするパンに勢い良くそのまま齧り付く。

 オルガは謎の勢いに驚きながらも、嬉しそうに顔を綻ばせた。


 様子を確認しに来たアノーラが黒竜の異常な食いっぷりを視て疑問符を浮かべる。


「黒竜、アンタ自棄食いしてない?」

『してないわい!!』




 アノーラの店の個室、ブレウスは服を脱がされ、上半身を包帯で巻かれたままベッドに横たわっていた。

 精も根も尽きた騎士の顔は疲労の色が濃いが、自分を見守る様に椅子に座って、傍で寄り添ってくれているシルヴィアに向ける眼差しは熱いままだ。


 互いを労わるように、ブレウスの右手をシルヴィアが両手で包むように重ねる。


「傷は大丈夫ですか、ブレウス?」

「ええ、何とか。熱出てたり、傷が疼いたり、食欲は在るのに体が受け付けなかったりと色々と不自由してますが、暫く休めばどうにでもなるでしょう」

「満身創痍じゃないですか……」


 シルヴィアが少し不満げに、変装と言う名目で着ている給士の服を見やる。


「格好だけで、丸で役に立ちませんね……」

「そんな事ありません。とても素敵ですよ、視てるだけで癒されます」

「そう、なのですか?」

「そうですとも、体が熱くなってきましたし」

「まあ、ではお水を……あ」


 部屋に置いてある、飲み水の入った小さめの水瓶を持ってこようとした矢先、シルヴィアが何かに気付いたのか顔を俯かせる。


 様子の変わったシルヴィアに、ブレウスが疑問を顔に浮かべると、シルヴィアがそっと、顔を伏せたままにブレウスのいるベッドへと静に腰を降ろす。

 湯浴みをしたのか、石鹸の香りがブレウスの鼻腔に届く。


「シルヴィア?」

「その、思い出したのですが……」


 ブレウスが表情を覗うと、シルヴィアが血色のよい頬を更に紅くしていた。


「水より、私の血は如何でしょうか?」


 顔をブレウスに近づけて艶の好い唇から舌先を僅かに差し出す。

 2人の重ねた手が、互いを強く握り合った。

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