邪竜の騎士は高らかに愛を謳う

赤崎桐也

始まりの距離 ①

 晴れ渡る快晴の下で賑わう城下町をシルヴィアは穏かに見ていた。

 

 邪竜による破壊の爪痕が未だに撒き散らされたままの城内だが、破壊の傷痕が一つとしてない彼女の空間だけが時に取り残されている様だった。

 姫と言うには質素な部屋と同等の格好だが、シルヴィアの背の中程まで伸びている銀の髪と紅い瞳は常人離れした存在感を十分に示す。

 外見こそ十八から二十歳程では在るが、シルヴィアの紅い瞳は幾星霜もの国民を見守って来た慈愛が満ちている。


 シルヴィアは窓へと手を伸ばし、眼下に広がる国民の営みに自らも交じりたそうに見詰め、諦観の瞳で踵を返した。

 すると廊下の方から響き渡る鎧を揺らす足音が、自らが火急で有る事を鳴り示す。


「シルヴィア様、どうかお考え直して下さい!」


 挨拶も告げずに武人の面構えをした女性が部屋に入ると同時に身を伏せ、シルヴィアへと進言する。

 声に載せられた隠し切れない感情かは、シルヴィアの身を案じている友のものだった。

 シルヴィアは子供の我が侭を受止めた母の様に困った笑みを浮かべる。

 心許せる数少ない友の気持がシルヴィアには痛い程にありがたかった。


「大丈夫よ、ジュデッカ。――この国はきっと、良い方向へ向かうわ。城下に居る人たちの、あんなに活き活きとした顔を見るの、初めてだもの。先月の事が嘘みたい」


 ――だから、その気持を流さなくてはいけない事がとても悲しかった。


「私は国の話をしているのではありません! シルヴィア、貴方の事が――」

「お願い、その先は言わないで」


 シルヴィアの悲痛な懇願にジュデッカは押し黙ってしまう。

 駄目だ、この人は既に覚悟を決めてしまっている――武人としてのジュデッカの感覚がそれを感じ取ってしまった。


 ならば私もそうしようと、ジュデッカは卑怯と知りながらも禁句をシルヴィアに向けて使う覚悟を決めた。

 再び身を堅く床へと伏してシルヴィアへ進言を行う。


「ならば――ならばせめて、ブレウスを! あの愚弟の帰りを待って頂けませんか!!」

「――っ」


 ブレウス、その名を聴いた途端にシルヴィアの瞳に揺らぎが生じる。

 それは待ち続ける者としての未練だった。

 シルヴィアはすっと、息を吸うと浅く吐き浮き出た動揺を鎮める。


「……私もブレウスの帰りを待ち続けたいです。それこそ、この身が果てるまで――」

「ならば、お願い申し上げます! どうか――」

「でも、残念ながらアーケオの要求はそう行きません。私は悪しき国だったものの象徴――この身は私だけのものでは無いのです」


 人の世はままなりませんね――。

 そう呟くシルヴィアの微笑みは酷く、穏やかだ。

 全てを自分独りで背負い、逝ってしまおうとするシルヴィアにジュデッカは幼少期からの友として叫ばずにはいられなかった。


「そんなのは貴族共の詭弁です! 実際に政治を握っていたのは彼らではありませんか!! それを――傀儡同然だった貴方一人に擦り付ける行為を、黙って見過ごせと言うのですか!?」

「おや? 今の発言は何のご冗談ですか、ジュデッカ臨時騎士団長殿?」


 廊下の方から投げ掛けられた嘲笑を隠さない言葉。

 そこへジュデッカとシルヴィアが視線を向けると、引き締まった長身で赤と金の礼服を着飾った貴人と異国の重装備を固めた軍人の二人が部屋へと図々しく入ってくる。


 他人を嘲るような切れ目の貴人と、どこまでも温度を感じさせない金の目をした軍人。

 二人の男からジュデッカは敵意を隠そうともせずに、シルヴィアを護る為に一歩を身を前に出す。


「私は何も冗談を言った覚えは無いぞ、ユンナ議員長。公然の秘密を声に出しただけだ」

「公然の秘密と言うものは、公然になっても秘密としておかなければなりません。そう言った発言は控えて頂きたい」

「ならば、腕に物を言わせようか」

「ジュデッカ、止めて!?」


 ジュデッカが腰の剣へと手を伸ばすと金の目をした軍人がユンナの前を遮りジュデッカと相対する。

 冷たい金の目がジュデッカの価値を無慈悲に推し量りながら抜刀の構えを取る。

 強国アーケオの使者であり、この国を今後自らの監視下に置くアーケオ軍中隊長、英傑イーサン。

 それ程の大物がジュデッカへと底なしに冷酷な殺意をぶつけていた。


 ジュデッカがイーサンに傷を負わせる時、ジュデッカの心臓はイーサンに貫かれているだろう。


 一触即発の空気をどうにかしようと、シルヴィアがユンナへと問い掛ける。


「私に一体何の用ですか!」


 怯えながらも声を奮い立たせるシルヴィアの姿にユンナは切れ目と口の端を歪ませた。

 加虐性を隠そうともしない蛇の目がシルヴィアを捉える。

 ユンナがあからさまに咳払いをすると、もったいぶった説明を語り始めた。


「いえ、今日で処刑の日までに一週間を切りましたから。貴方を地下牢へとお連れしようかと」


 ユンナが愉しむ口調でシルヴィアへ処刑台への通過儀礼を促す。


「私は逃げも隠れもしませんよ」


 死への恐怖を見せないシルヴィアの様子にユンナは心地良さそうな調子で頭を下げる。

 艶の在る漆黒の長髪が、シルヴィアを死へと誘う死神として優雅にユンナの頭から垂れる。


「本人にその積もりは無くても、周りの方はどうでしょうか?」

「――解りました。連れて行きなさい」

「駄目です、シルヴィア!?」


 ジュデッカが横を通り過ぎて行くシルヴィアへ腕を伸ばすと、イーサンが剣の柄を握り締めた。

 剣の鞘から鈍い光が明確な殺意と共に漏れる。


「イーサン殿、そこを退かれよ!」

「無理な相談だ。ヴェロキラ最後の騎士団長よ」


 ユンナに連れ添われたまま、シルヴィアが部屋から廊下へと姿を消して行く。

 今直ぐにでも追い掛けたい思いが、同じ武人である目の前の男から目を逸らしてはならぬと、培って来た経験による警告に黙殺されてしまう。

 成す術もなくシルヴィアを連れて行かれる口惜しさに、ジュデッカは目の前の男の在り方を問わずにいられなかった。


「それが貴公の武人としての信念か!?」

「否、私は武人である前に軍人です。流れる血が少ない方法があるならば、それを善しとします。――流れる血が少なければ善悪は問いません」

「――成る程、己を殺してまでの合理主義か……虫唾と同時に反吐が出そうだよ」

「貴方は個に走りすぎている。国を護るべき騎士がその態度ではいけません」

「ふん、命は常に弱肉強食だ。ならば、手の届く範囲で大切な者を護るのが私の主義だっ――!」


 ジュデッカが剣を抜き放ちイーサンの首筋目掛けて一閃を試みるとイーサンも間髪を入れずに抜き放ち、二つの剣が部屋の窓から差し込む陽によって交差する。

 甲高い剣戟の音が一つ響くと、振り抜いたジュデッカの剣は先端が折れ、床に刺さった。


 手っ甲に浅い傷をつけたイーサンが剣を収めると、ジュデッカの首筋が横に浅く切れて僅かな血を流す。


「私の勝ちです、ジュデッカ殿。このヴェロキラ国は黒竜の襲撃と貴方の敗北、そしてシルヴィア姫の命をもって、強国アーケオへと吸収されます」


 イーサンが立ち去る部屋でただ独り取り残されたジュデッカは、首筋の傷を手で押さえながら主の居なくなった室内の天井をただ見つめる。


「っ……悔しいが私では力不足だ……速く帰って来い愚弟、ブレウスよ」


 一縷の望みを託した弟の名をジュデッカは呟いた。




 満月による月明かりと存在を主張する星々の輝く夜空の下で、泣き咽ぶ少年の姿があった。

 少年は城内の中庭にある花畑の陰に隠れ、自らの存在と状態を見せまいと隅に蹲(うずくま)る。

 ――大切にしていた騎士の人形が姉の手違いで壊されてしまった。

 他人から見たらただそれだけの事が、彼にはどうしようも無いほど悲しかった。

 父親に修理を頼んだら「何時まで人形遊びなんかしているんだ」と呆れられてしまった。

 ――近衛の息子が情けない――。

 父親の落胆した顔の皺と共に言葉が明確に横切り、今度は己の不甲斐無さで涙が溢れて来てしまった。


 近衛の家に生まれながら剣や武術の練習よりも、本を読んだり人形遊びが好きな自分はやはりどこか変なのだろうか。


「なんで僕は……近衛の家なんかに生まれたんだろ……」


 少年は世界の全てを悲観して己の生まれを嘆く。

 悲しみに幾ら泣き暮れようとも、己の不甲斐無さと壊れてしまった人形への悲しみは癒えて来ない。

 ――いっそこのまま消えてしまいたい。


 そう思った時だった。


「――どうしたのですか、こんな所で独りで泣いて?」


 少年へと不意に掛けられた優しげな女性の声色。

 掛けられた声に驚いた少年は伏せていた顔を上げると、涙と鼻水で汚れた顔を驚きへと変えた。


 月明かりによって闇夜から浮かび輝く銀の髪。

 透き通った様な肌艶に反して豊かな生命力を感じさせる優れた容貌。

 ルビーを思わせる紅い瞳が、少年へと目線を合わせている。


 少年が見た事の無い容姿をした女性が、身を屈めながら心配そうに見詰めていた。


「まあ、顔をこんなに汚して……可哀想に」


 惚けている少年の顔を、女性は懐から取り出した意匠を凝らしたハンカチで丁寧に拭き取る。

 顔を優しい仕草で撫でて行く女性の手の感覚とハンカチの香りに、少年は生涯で感じた事の無い胸の高鳴りを経験した。


「うん、綺麗になりましたね」


 女性が少年へと優しく微笑み掛け、少年の胸が更に高鳴る。

 不思議な感覚に突き動かされるまま、少年は女性へと尋ねた。


「お姉さんは……精霊なの?」

「えっ……どうして?」


 女性が少年の質問に面食らいながらも、飽くまで優しく問い掛ける。

 少年は口ごもる様に二度か細い声を繰り返したが、女性が聞き辛そうに眉を寄せるのを見て三度めの正直として言葉を送る。


「だ、だってお姉さん、凄い綺麗だから!!」


 半ば叫び声になってしまった己の大声に少年は気づき慌てて手で弁明をしようと振り回す。

 そんな年端も行かない少年の行動が滑稽だったのか、それとも可愛らしかったのか、はたまた両方か、女性は堪え切れない笑みを一つ零した。


「ふふ、ごめんなさいね、私の名前はシルヴィア。一応、この国唯一の王族ですよ。形だけの女王……あ、未婚だから姫ですね」


 自らが精霊でない事を次げたシルヴィアは、困った顔をしながら自分の立場を省みる。

 ――この国に王族ってまだ居たんだ。

 大昔に悪い竜とその手先だった王様達も退治されたと記した本の内容を少年は明確に思い返す。

 少年がシルヴィアの仕草に魅入っていると、今度はシルヴィアの番だった。


「私の記憶違いでなければ貴方は確か、近衛のご子息でしたね。どうして、こんな所で独り泣いていたのかしら?」

「それは……」


 気がつけば少年はシルヴィアと一緒に花畑の中で座り込みながら自分の身に起きた事を話していた。

 シルヴィアは輝かしい夜空は眼中に入れずに、少年の方を向きながら真剣に彼の話を聴いていた。


「やっぱり、お姫様も変だと思う?」


 少年が困り果てた声でシルヴィアに尋ねる。

 シルヴィアは礼儀もろくに知らない少年の言葉を、大丈夫ですよと、柔和な表情で否定した。


「貴方は出来損ないなんかじゃないです、悲しんでいるのは、そのオモチャをちゃんと大切にしていたから。情けないと感じているのは自分を省みているからです。そして、涙を沢山流せるのはそれだけ豊かな心を持っているからですよ」

「……そうなの?」

「はい、そうなんです。……でも、ちょっとだけ貴方の家の悩みが私には羨ましいです」

「ええ!? なんで? ジュデッカお姉ちゃんは力強くて粗野だし、パパは僕が本に夢中になってると呆れるしで家にいてもいい事無いよ?」

「きっと、私も貴方の立場になれたら似た様な事を思うのは解っているのですが、何も知らない人間にとっては、他人の悩みや苦痛が羨ましいものに見える事があるのです」

「……もしかして、お姫様って家族いないの?」


 本の記録とシルヴィアの寂しそうな言葉から少年は思い至った事をそのまま言ってしまう。

 言ってしまった後で、自分の失言に気づいた。今夜で二回目だ。

 しかし、シルヴィアの気丈な笑みが少年の不安を掻き消す。


「物心ついた時にはいませんでしたね。好きなだけ本を読んだり、子供の頃は一日中人形遊びに興じた事もありましたけど、誰ともお話をせずに一日を終えるのは、やっぱり寂しいですね……こうやって、夜中に出歩いてしまう位には」


 シルヴィアが少年の頭を二度三度と、軽く撫でた。

 少年は言葉と仕草に込められた寂しさを幼心なりに感じ取る。

 ――何とかして上げたい。

 自分の事を優しく励ましてくれたシルヴィアに少年は彼なりに出来る事を精一杯考え、有る事を閃く。


「じゃっじゃあ、僕がお姫様の友達になってあげる! 家族はまだ無理だけど、お友達になら直ぐになれるよ!」

「えっ……良いのですか?」

「うん、お姫様は日の出てる時は何をしているの?」


 突拍子の無い少年の質問を不思議に思いながらも、シルヴィアは最近の活動を振り返る。


「ええとそうですね……最近は漸く城下町へ降りれるようになったので、町の人とお話して、相談して貰った事を貴族の方達にお願いしに回ったりしています。中々聴いて貰えませんけど、100回行けば1回は聴いてくれますよ」


 答えてくれたシルヴィアの返事に少年は得心した。

 姉であるジュデッカが最近噂にしていた慈善家はこの人だと。

 少年はシルヴィアに対して敬愛で目を輝かせる。


「解ったよ、それじゃあ夜なら会えるよね。僕、何時もここで待ってるから!」

「――ありがとう。私、自分にこんなに可愛らしいお友達が出来るとは思っても見ませんでした。貴方のお名前は?」

「ブレウス、僕の名前はブレウスだよ!」




『そろそろ起きろ、ブレウスの坊主。城門に着いたぞ』


 陽が入らない馬車の荷台の中、耳と頭の両方から聴こえて来る気の短そうな老人の声にブレウスは目を覚ます。

 干草の上で寝ていた体に無理をさせない様にゆっくりと体を起す。

 麓の村に居た時に比べれば幾分か体がまともに動ける事をブレウスは実感した。

 ――これなら何とかなるだろう。


「……シルヴィア……」

『先ほど眠っているお前の意識を通して記憶が流れて来た。昔は泣き虫だったのか、お前』


 ブレウスが身に付けていた衣服の影から風変わりなトカゲが顔を覗かせた。

 自身の右肩へ不遜な態度を崩さないトカゲを尻目に、ブレウスは立ち上がり陽が差し込む荷馬車の外へと歩み始めた。


「昔はね、今思えば感受性が豊かだったんだろうけど」

『だろうな。臆病なだけの人間が、このワシに刃を通せるかよ』

「おや? 褒めてくれるのかい、黒竜?」

『違うわい、ワシの自慢話だよ』


 軽い足取りで荷馬車から飛び降りる。

 規則的に敷き詰められた石畳の上に降りた衝撃で脇腹に残っている傷跡が疼いた。


「つ、ううぅ」

『なんだ、まだ痛みが残ってるのか。神経が繊細だな、人間は』

「恐ろしい竜に痛めつけられたからね」

『ワシだって自慢だった逆鱗にとんでもない物をぶっ刺さられたんだぞ。お相子だ! お相子!』

「自然治癒が強力な竜の血も思ったほど万能では無いんだね」

『ぬあっ!? 貴様、このワシを侮辱する積もりか!』

「いや、僕は客観的な事実を……」

「あのーお二人さん?」


 二台の前で一人と一匹が言い合いを始める中、馬車の先頭側から人影が止めに入って来る。

 ふわりと体を包んでいる赤茶の短毛、狸と似た丸顔の頭上に生えた立ち耳、腰の上から伸びた巻き尾が揃った、ヴェロキラ周辺の村で暮らしている典型的な獣人だった。


『なんだ犬っころ! こっちは今忙しいんだ!!』

「いや、俺犬じゃな……て、そうじゃなくて。ずっとこんな場所で立ち止まってると、ホラ」


 突然の犬扱いに落ち込みながらも獣人が馬車の先頭へと指を指す。

 城門前で二人の兵士が見せ付けるように咳払いをしていた。


「ああ、すまないオルガ。黒竜、隠れてくれ」

『ぬうう、納得がいかん……』


 ブレウスに頼まれると黒竜がブレウスの衣服の影へとその身を溶けさせる。

 オルガと呼ばれた獣人が荷馬車を引く馬を城門前へと連れて行く後ろでブレウスは己の顔を何度か捏ね繰り回す。


『なんだ、あの門番は知り合いか?』

「いや、討伐の時に挨拶しただけだけど……覚えられてるかもしれない」

『気にせず堂々と行け。人間短い時間に数回言葉を交わしただけの相手なら、髪と目の色、オマケに服装も変れば解らなくなるもんだ』

「なるほど、そうしよう」


 気を取り直したブレウスはオルガの後を急ぎ足で追いつく。

 追い着いた先では、オルガの狩猟道具一式が門兵の手によって一つ一つ、丁寧に鈴の印が着いた札を巻きつけられ、封をされていた。


「――これは?」


 自分が出国する時には無かった筈の手続きにブレウスは疑問を零す。

 門兵の歳若い方がその疑問にぶっきら棒に手を上げた。


「アーケオの方から言われてるんですよ、旅行者の護身用の武器や凶器になる道具にはこの札で封をする様に。煩わしいでしょうが、国内の治安維持向上の為にお願いします。ヴェロキラ王国から一定距離を離れれば札の効果は無くなるので」

「効果って、無理に使おうとしたらどうなるんですか?」


 オルガが札によって包まれた自分の弓を怪訝な手つきで眺めた。


「そりゃもう、大きな音が響き渡りますよ。後は、アーケオの駐屯地にも国内のどこで札が鳴ったか解るようです。逆にもし何かトラブルに巻き込まれたらその札を千切って下さい」


 ブレウスが腰に下げた自分の剣へ目をやった。


「と言う事は、この剣も封をしなきゃ行けない訳か」

「ええ、宜しくお願いします」


 ブレウスが剣を鞘ごと渡そうとして僅かに躊躇う。


『その剣が無くても大丈夫だわい、ワシの力を舐めんな』


 黒竜が迷いを払う様に囁くと、ブレウスは剣をそのまま手渡す。

 門兵が慣れた手つきで、剣を抜こうとしたら札が取れるように封を施した。


「これで以上になります。ご協力、ありがとう御座いました」

「お勤めご苦労様です」


 ブレウスが軽く会釈をして行こうとすると、自分より先に荷物検査を受けたオルガが、未だに検査を受けている事に気づいた。

 馬が退屈そうに欠伸をしている横で、年季の入った門兵がオルガの頭や顔不必要に触っている。否、撫でている。


「あの、これ以上、俺何も持ってないんですけど……」

「ふわもこだあ……毛並みも良い、それにお日様の匂いがする……」

「うわ、ちょつ!? 人の顔をワシャワシャしないで!」

「あー……すいません。ウチの上司、犬好きで……」

「いや、だから犬じゃないと……」

「はーい、仕事に戻りましょうねー先輩」

「もうちょっと、もうちょっとだけ、モフらせてくれ!」


 名残惜しそうにする上司を、部下が無理矢理引き剥がしていく。

 オルガは短時間で思い知った王都での獣人の扱いに落ち込みを隠せないでいた。


「オルガ、気にしなくていい。王都にはきっと猫派の人も沢山いるさ」

「ブレウス……そうだよな! きっと鳥派だっているよな!」

『……会話になってないぞ、お前ら……』




「安いよ安いよー! 今なら何とこのブラシ、アーケオを産の床磨きと一緒でお値段何と12ぺティ!」

「掘り出し物の古書はいかがですかー、怪しい魔方陣の図鑑が載ってますよー、書いたら軟体動物の触手が出てきましたよー」

「新鮮な肉は入らんかね、その場で焼いて立ち食いできるよー」


 城門を抜けた先でブレウス達を出迎えたのは、活気付いた城下町の賑わいだった。

 始めて王都の喧騒を目にするオルガが尾を無意識に振り回している横で、ブレウスも戸惑いを隠せないでいた。


「うっはー! 店が沢山あるぞ!」

「――城下町の人が、こんなに嬉しそうにしているのを見るのは初めてだ」

『ふむ……あそこの青果店に積まれている箱を見てみろ』


 知らぬ間にトカゲの姿で出現している黒竜が向けている青果店の奥。

 楽しそうに商品を売り捌く店主の背後には、様々な野菜と果物が木箱に敷き詰められている。

 木箱に焼き付けられた刻印は双頭の竜を象徴しており、それが自国のものでは無い上に、どこの国にから来た物か、ブレウスは嫌でも察さしてしまった。


「成るほど、アーケオか」

『ププ、ワシとやり合った後に漁夫の利を狙われたか。戦争もせずに降参してやがんのー』


 黒トカゲが嬉しそうにその目を歪ませる。


「当然の帰結だね、衰退の一途を辿ってた国が、今最も勢いのある国と正面からやり合える訳が無いし」

『お前、もうちょっと焦らないのか? 自分が竜退治に帰って来たら、故郷が消滅しかけているんだぞ』

「国の為に命を賭けた事は無いよ。城下町の人達の顔を見る限り、そこまで深刻でも無さそうだ」

『お前本当に騎士かよ』

「――命を賭けて護りたいのは唯一人だ」

『そうかい』


 揺るぎようの無い意思を示すブレウスの元へ、目を離した隙に露店で買い物をして来たオルガが、生のニンジンと焼き立てのフランクフルトを二本手にして戻ってくる。

 千切れんばかりの勢いで振られる尾からは、オルガの内心が見て取れる。


「買って来ちゃった」

「今食べて大丈夫かい?」

『これ位の量なら平気だろ、おい、その一本は当然ワシのだろ?』

「えっ、黒竜って腹減るの? ブレウスに憑いてんのに?」


 オルガは不思議そうな顔で、ニンジンを自身の手からそのまま馬へと食べさせている。


『貴様、ワシを低級な霊と一緒にするな! 後、ワシはどっちかと言うと精霊の仲間だ』

「ふーん……美味いっ! 皮はパリッとしてて厚い粗挽き肉から溢れんばかりの肉汁が!?」

『人の話を聴かんか!? ……本当に美味そうに食うな』

「はい、ブレウス」


 夢中になって食べつつも、オルガはブレウスに残っていた一本を差し出す。


「ありがとう、オルガ」

『…………』


 ブレウスが一口つけ様と口を開けた瞬間、黒竜が有鱗目特有の紅い眼つきで訴えて来た。

 黒竜とブレウスが視線を交し合う。


「はいはい、お先にどうぞ」


 観念したブレウスが肩に乗る黒竜へフランクフルトを差し出す。

 黒竜の瞳孔が猫の様に細くなる。


『おお、すまぬな。では、お言葉に甘えて……』


 小さな黒トカゲが大きさに見合わない速度で、ブレウスから差し出されたフランクフルトに噛み付き始める。

 オルガは食べ終わった後の串を口の中で弄びながら、辺りを見渡す。


「そう言えば、宿屋ってどこにあるの? 先に荷物と馬を預けたいんだけど」

「ああ、それなら当てがあるよ、オルガ。取り合えず今日はそこで休むと言い」

「お、知り合いで宿屋やってる人でもいるのか?」

「最近知り合ったばかりの人だけどね。恩人だよ」


 フランクフルトを全て平らげた黒竜が、細長い舌先を口の周りについた肉片を舐め取る。


『気をつけろよ? ――ワシとブレウスの坊主を、こんな体にさせた魔女の住処だからな』

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