第十話 緊急事態 6/6

 エイル達一行はひとまず船内の貴賓室に案内され、食事を饗されることになったのだが、実はエイル達にとっても、この待ち時間はありがたかった。

 ティルトールに会ってからは今回の件にかかり切りだったのだ。なにしろ今回の戦術の立案期限がイエナ三世の船が港に入るまでなのだから。

 おかげで自分達の今後の事についてじっくりと相談する時間が取れなかったというわけである。


「そういえばまともな食事も久しぶりだな」

 例によって精霊陣を使いルーンによる結界を施した後、出された料理を前にニームがため息をついた。

「で、だ。敢えて尋ねるが、この料理を口にしても大丈夫だと思うか?」

 毒でも盛られているのではないかという懸念から出たニームの発言であったが、ティルトールはそれを聞くと鼻を鳴らし、ニームの前に置かれた皿の上にあった肉の塊をつまんでそのまま自分の口に放り込んだ。

「あ」

 それは見事な早業で、ニームが防御する動作すら出来ないほどであった。

「要らないんなら俺が全部いただきますぜ、大賢者さま」

「とった後で『いただきます』もないもんだ」


 エイルは苦笑するとナイフとフォークを手に取った。

「シルフィードの軍人はそんな事はしないだろ」

 しかし、誰よりも早く料理に手を着けていたのはテンリーゼンであった。すでにスープを呑み込んでいたのだ。

「い、一般論を言ってみただけではないか」

 ニームはバツが悪そうにそう言うと、そっぽを向きつつも料理に手を伸ばすことは忘れなかった。


「それより、そっちは本当に一人で大丈夫なのか?」

 ニームが単独行をとることにエイルが心配している理由は二つある。

 シドンからエルミナまではほぼ海路で船内にとどまるだけだとはいえ、文字通り一人きりで護衛もなくて大丈夫なのか? という懸念がまず1つ。もちろんニームのルーナーとしての力は並外れているから心配には及ばないと考えるべきなのであろうが、ニームは妊婦だ。体調も一定とは限らないだろうし、不測の事態など起こらないとは誰も言えないであろう。


 もう一つはティアナの件である。解呪するにあたり、一人だけでファルケンハイン・レインの元に行くことになる。エイル達を襲った本人が突然やってきて解呪してやると言っても、それを警戒しない方が無理というものだ。ましてやファルケンハインも【蒼穹の台】に処刑されているニームを見ているはずであった。そこへ持ってきて「生き返ったから大丈夫、呪法も解除します」ではさすがに怪しすぎるのではないか。

 もちろんエイルが同道すれば話は早いのだろうが、正教会の関係者で溢れているピクサリアにエレメンタルが二人も滞在するのは色々と不安があった。何より日程だ。エイルとしては一日でも惜しいという思いがあった。


「案ずるな。気持は嬉しいがお前は余のことを見くびりすぎだ。ピクサリアに着きさえすれば、【二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)】を通じて話はつけられるだろう。うまくいけばそのファルケンハインという者と同僚であったシーレンという知人と合流もできよう。つまりなんとでもやり方はあるということだ。ティアナの事は私に任せて、お主達は安心してお主達のやるべき事をすればいい」

 ニームはそう言った後、思いついたように懐からいくつかの布の束を取り出してそれをエイルに差し出した。

「私から言わせれば、お主達の方がよほど心配だ。ルーンを使える人間がそばに居なくなるわけだからな。それこそ私がついて行ってやりたいくらいだ。だがそうも言っておれん。そこで気休めかもしれんが、これを渡しておく」

 一目見てエイルにはそれが何であるのかがわかった。白い布に、黒々とした墨で描かれた正確無比で美しい文字と記号の羅列。ニームが得意とする精霊陣を記した、いわば陣布(じんふ)とでもよぶべきものだ。

「いいのか?」

「いいもなにも、私が渡すと言っているのだから『そうか』といってありがたく受け取ればよい。言っておくが、こんなものが罪滅ぼしだと思っている訳でも、恩を返したと考えている訳でもないからな。そこのところを勘違いするでないぞ」

 ニームとも旅を続けてきたエイルである。そのいい方が照れ隠しなのはよくわかっていた。

「助かる。ありがたく受け取っておくよ」

 エイルは陣布の束を受け取ると小さく頭を下げた。それを見てニームは目を伏せた。

「すまんな。本当に、今はこんな事でしか力になれぬ。お主達には返しきれないほどの恩があるというのに」


 結果として失敗はしたものの、そしてそれが大いなる勘違いで行われた事であったにせよ、ニームがエルデの命を狙い、襲ってきた事実は消えない。そんな事があったにもかかわらず、現世とは違う次元に閉じ込められていた自分を助け出してくれたのだ。しかもニームに子が宿っている事を知っていたエルデは、攻撃を受けた際、反撃はせず自分をかばいつつも、ニームの身の安全を最優先する行動を取っていたのである。よほど精神に欠陥がある人間でなければ、その恩に報いたいと考えるのは当たり前であろう。

 だがニームの場合は、その気持ちが人より強い傾向にあった。それと言うのも、もともとのニームは大賢者という肩書きを背負っていたからだ。かつては自らに課した使命こそが行動原理の最上位にあり、計算と打算をよしとし、努めて感情を廃した行動をとるように努めてきた。だが打算の線上にあった人物、すなわちエスカ・ペトルウシュカという人間と関わりをもった事がきっかけとなり、はからずも仮面を被らぬ生き方に自分らしさを見いだすことになった。それはニームがまだ若かったことが最大の原因、理由であろう。

 以後はそれまでの反動もあって素の性格を隠せなくなってしまっていた。いや、隠そうとしなくなっていた。そしてそれは本来的にニームが有していた情の深さを浮かび上がらせる事になった。

 温情や優しさに対して報いたいという思いを過剰に持つ少女、それが今のニーム・タ=タンであった。


 エイル達が知っているのは喜怒哀楽が相当にわかりやすい、今の素の姿のニームであるから、言葉の向こう側にあるニームの無念さは手に取るようにわかった。


「気にするな」

 エイルが言葉を探している間に、テンリーゼンがニームに声をかけた。

「エルデなら、きっとそう言う」

 虚を突かれたニームが、弾かれたようにテンリーゼンに顔を向けた。口に出したくても、エイルの前ではその名を敢えて封じていたのであろう。

 エイルはもちろん、それがわかっていたからこそニームの気持ちを汲んで言葉を選んでいたのだ。だがテンリーゼンはエイルの気遣いをあっさりと意味のないものにしてしまった。

 だがエイルは、その一言で胸のつかえが落ちたように感じていた。


「そうだな」

 小さくうなずくと、エイルはニームから受け取った陣布を大事そうに胸に抱いた。

「リーゼの言うとおりだと思う」

 そう言うエイルの手を、ニームがとっさに自らの両の手で包み込んだ。いや、拘束したといった方がいい。それほど強い力がこもっていた。


(え?)

 思う間もなく、エイルは右手に落ちる熱いものを感じた。

「ニーム……」

「どうしてだ? お主はどうしてそんなに平気な顔で笑っていられるのだ? 私は苦しくて悲しくて悔しくて、あの黒い髪と瞳を思い出すたびに、胸が張り裂けそうになってしまうというのに」

「その事だけど」

 右手をニームに預けたままで、エイルは答えた。

「お前は勘違いしてるぞ、ニーム」

「え?」

「連れ戻しに行くに決まってるだろ?」

 エイルの言葉に、ニームの双眸から新たな涙が溢れてきた。

「オレがエルデをあきらめる訳、ないだろ?」

「しかし」

「ああ、簡単じゃないだろうな。でもオレはやるって決めてる。でも、その前にすっきりしておきたいんだ。この戦争のことも、エレメンタルのことも。もう流されるのはいやなんだ。オレがエレメンタルなんだったら、『合わせ月』の日を避けて通るのは間違っていると思う。だからまずはそれに向き合う。そして全部終わったら、その時はエルデ奪還に全力をかける」

 エイルの手を握るニームの手にさらなる掌が重ねられた。

「もちろん私も、エイルを全力で助ける」

 テンリーゼンがエイルの言葉を継いでそう言うと、ニームはようやくエイルの右手を開放した。


「ではその時は必ず私も呼べ。関係ないとは言わさんぞ。ニーム・タ=タンはもうどっぷりとお前たちの事情に両の足を突っ込んでいる、まごうかたなき関係者だ。それにそもそもエルデは我らが四聖だ。大賢者としても、この件を最後まで見届ける義務がある」

 義務という言葉がニームらしいと思い、エイルは思わず苦笑した。

「気持だけ受け取っておく。ありがたいけど、ニームには元気な赤ん坊産むという『義務』がある。そうだろ?」

「いや、それはそうだが……」


 その時、外から貴賓室の扉を叩く音がした。

 当然のようにその音に全員が扉に注目した。

 予想よりもかなり早く、シルフィード王国側の意思統一がなされたのかと思ったが、続いて呼びかけられた声で、そうではないことを知った。


「お食事中、失礼いたします」

 その声はリーン・アンセルメのものだった。押し殺してはいるが、声には誰にでもわかるほど緊張の色が乗っていた。

「まことに申し訳ありませんが、船内に緊急事態が発生しました。陛下の命により皆様を安全な司令室にご案内いたします」

「緊急事態だと?」

 エイル達が顔を見合わせるのと同時に、ティルトールが椅子を蹴って立ち上がった。


「まだ扉は開けるな!」

 即座に叫ぶニームの声に反応したティルトールは、踏み出そうとした動きを止めた。意図するところがわかったからだ。

「彼らに限って罠ではない」

「わかっている。だがこれは余の性分だ。念には念を入れさせろ」

 ニームはそういうと扉に向かって声をかけた。

「緊急事態とは穏やかではないな。詳細を述べよ」

「何者かがこの船に侵入しました。考えたくはありませんが場合が場合です。要人を狙った暗殺者の可能性があります。現在賊を捜索中ですが、念のために皆様を我が軍の幕僚と同じ部屋にて保護したいとの事です」


「暗殺者だって?」

 エイル達を部屋から誘い出す罠だとすれば、その単語はあまりに陳腐でバカバカしすぎる説明であろう。だからこそそれは事実だと思えた。

「ニーム」

 エイルの呼びかけに、ニームはうなずき、袖をぐいっと顔に押し当てて涙を拭った。

「扉は余が開けよう」

 ニームは仗を取り出してから、髪と一緒に編み込んだ結布に手を当てたまま、扉の無骨な把手に手を掛けた。

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