第一話 クレハとクロス 3/4

 もちろんエルデがあの時「最悪」だと言ったのはクロスの性格の事ではない。クロスの理解不能な能力に対して「対応策がない」「(自分では)まったく歯が立たないだろう」という意味での自嘲を込めた「最悪」であった。だが反対に、今はエイルの意見に同意する事になんの迷いもなかった。

 もちろんいまだにクロスの再生能力の理屈はわからない。人間とは違う価値観で生きている亜神であることも変わらない。エルデが傷つけられる事はまずないだろうが、エイル達については話は別だ。それこそ気まぐれでいつ虫けらのように潰されるかわからない。

(いや、違う)

 エルデはそこに来てようやく、挑発していると言われても言い逃れができないほどふてぶてしいエイルの態度の根拠を理解した。

 既に言質を取っているのだ。

 ティアナを解呪する事。セッカ・リルッカに解呪させる事。今拘束している人間を同行者とする事。

 クロスはエルデに対して、それらを全て「約束」したのである。だからエイルはあの時にエルデとクロスの会話をさえぎったのみならず、敢えて挑発して見せたのだろう。

 もっともエイルの場合、相手に敵意や殺意があるかを察知できる能力を持っている。クロスが自分に対して殺意を持っていないことはわかっているに違いない。だからできればあのまま油断しているクロスの話を聞き続けたかったに違いない。だがエルデの言葉を捨て置くわけにはいかなかった。つまり本当に怒りはエルデに対するもので、それはおそらく間違いではないだろう。だがクロスに対しても似たような怒りの感情は当然ある。だからそれを挑発的な態度で敢えて示しているのだろう。

 そこまで考えると、エルデは肩の力が抜けるのを感じた。そして自分からエイルに掛ける言葉は結局存在しないのだという事を噛みしめた。

 何を言っても言い訳になるからだ。エイルはそう思わないかもしれない。だがエルデが自分でそう思うのだ。


「言い訳なんて聞かないからな」

 エルデの心を見越したかのように、エイルが声をかけた。エルデはただうなずくしかなかった。

「うん」

「よし」

 エイルはそういうと、ようやく会話の相手にクロスを選んだ。


「クロス・アイリスと言ったっけ、ネッフル湖の解呪士さん?」

 エイルの問いかけに珍しくクロスは何も答えなかった。

「それとも【黒き帳】と呼んだ方がいいのか?」

 今度は少し間を置いて、クロスは反応した。

「うーん、そうだね」

 既に平静を取り戻していたクロスは顎に手をやって少し悩むそぶりを見せた。

「うん。クロスでいいよ、炎精。君とは全くの赤の他人というわけでもないからね」

「そうか。ならクロス。一つ頼みがある」

「聞こう」

「オレの事を炎精と呼ぶな」

「ふむ」

「オレの名前はエイル・エイミイだ」

「あいにくとそれは君の名前ではない。そもそも人間ごときがエイミイという族名を名乗るなど冒涜と捉えられても文句は言えないのだよ」

「人間ごときで悪かったな。亜神程じゃないかも知れないが、人間にもそれなりの意地ってものがあるんだぜ」

 横たわったままのエイルはそう言うと次の瞬間にはその体をゆっくりと起こしてみせた。

「え?」

 思わずエルデが驚きの声を上げたが、無理もない事であろう。クロスの一連の態度や表情を見れば彼がエルデの「縛め」を解いた訳ではない事は明らかだからだ。

 つまりエルデは亜神、クロスにかけられた呪縛を自身の力で解いてみせたのだ。


 エルデはそのままゆっくりと体を起こして、アルヴの姿を模した長身の亜神と向き合った。

「まずは『人間ごとき』に呪縛を破られた感想を聞きたいもんだな」

 クロスは言葉を失っていた。エイルの顔を見て、次に横たわったまま動かないテンリーゼンとニームに目をやった。そして彼女たちが微動だにしないことを確認して再びエイルに視線を移す。

 だがクロスが口を開ける前に、エルデが先に声をかけた。

「エイル、あんたどうやってルーンを?」

「いや、これはルーンじゃない」

「え?」

「と、思う」

 エイルはエルデに向かってそう答えると、困惑した表情のクロスに向き直り、不敵な微笑を浮かべてみせた。

「だよな、クロス」

「ルーンやないって?」


 亜神はそれぞれ「能力」を持っている。よく知られたルーンの強化版から、その亜神に「備わった」希な能力まで、様々である。それらのいくつかは、人間のルーナーがどう足掻いてみても使えないものだ。たとえばイオスがよく使う空中浮遊の能力などはそれにあたる。さらにイオスが自らの「神の空間」に於いて使用する固有の能力であるアスローヴェと呼ばれる「絶対服従」の力、エルデが杖に生を与えた「ヴィーダ」。あれらも厳密に言えばルーンの一種なのだ。「神の空間」は亜神の中でも特に能力の高い者が自らのエーテルで作り出すものだが、その中で使う能力はルーン由来のものだ。エルデは亜神であり、当然ながらその理を知っている。

 翻ってエルデが幼い頃に見たクロス・アイリスの瞬間肉体蘇生も同様にルーンの一種という事になる。一般のルーンと違うのはおそらくではあるが「神の空間」で使われた「固有の能力」であるという点だ。特定の者が特定の条件下で使うルーン。亜神はそれを持っている。そこが人のルーナーとの大きな差であろう。もっとも人の中でもルーナーとしての能力が違えば使えるルーンが違う。そう考えれば亜神固有のルーンとは、おおざっぱな表現をすればその拡大版と言えるだろう。

 であれば、クロスの呪縛能力を「ルーンではない」というエイルの言葉は間違っている事になる。


「アンタが知ってる呪縛のルーンやない、ということか」

「詳しいことはわからないけど、お前にかけられるルーンとは全然違う事だけは確かだな。現にオレには効いてない」

 エルデが仮説の一つも見つけられない中で、クロスがぽつりとつぶやいた。

「血、か」

 エルデはその一言にハッとした。エイルがクロスの血を飲んでいたならば、クロスが作り上げた彼の「神の空間」でエイルは炎のエレメンタルとしてのエーテルを使える可能性があった。テンリーゼンとエイルの違いはエーテルの強さや制御力の差ではなかったのだ。亜神の血を飲んだか飲んでいないか。それが重要になる。

 だが。

「だが【白き翼】の血を呑んだというだけでは説明が付かない」

 クロスの独り言にエルデも心の中でうなずいた。

「なぜならば『アクリュス』はクレハの能力だからね」

「何やて?」


 エルデの脳裏に【深紅の綺羅】が「神の空間」に於いて発動するという「凍てつく時間(アクリュス)」という能力に関する知識が浮かび上がった。もっともそれが「どのような力」なのかまではわからない。【深紅の綺羅】が使う、途方もない能力だという漠然とした知識のみだ。理由はわからないが、どうやらその言い方から考えると、クロスはクレハの「アクリュス」を自分のルーンではなく「クレハの力」として使えるようであった。

 だとしたら「血」の説明は付かない事も無い。

 キセン・プロットの工房に安置されたガラスのスフィアから、クレハ・アリスパレスの亡骸を助け出した時に、エルデもエイルもスフィア内の液体に触れている。その時に何かの弾みでその液体を飲んでいる、もしくは舐めるなりして口に入れている可能性があった……キセン・プロットの言葉を信じるならば、その液体とはクレハの血液を成分としたものだ。

 だとすればクレハの空間でエイルがエーテルの力が使えたという現象の辻褄が合う。

 問題はエイルがエーテルを使えたとして、それが亜神の強大な力を破れるものなのかという点である。

(いや、ちょっと待て。ウチは混乱しとる)

 エイルが亜神の血液を飲んで「神の空間」でエーテルを自己の制御下に置ける事と、「クロスがクレハの神の空間を張れる事」とは話が全く別なのだ。いや、この場合は後者の方がより重要だろう。


「残念ながら完璧ではないよ」

 またもやエルデの心を見透かしたように、クロスはそう言って微笑んだ。

「真似事さ。いや、どちらかというと劣化版と呼ぶ方が正しいだろう。何しろ私はクレハのような強力なエクセラーではないからね」

 そうだ。

 エルデは既に知っている。いや、思い出していたと言い換えよう。【黒き帳】を継ぐアイリスの王はエクセラーではない。もちろん【白き翼】を名乗るハイレーンでもない。そして、【蒼穹の台】のようなコンサーラでもないのだ。

「全のルーナー」

【黒き帳】を名乗る亜神はそう呼ばれる第四のルーナーであった。

 エルデは思い出した言葉を口にした。もともとそれは自分を指す言葉であった。


 高位ハイレーンは、その全ての属性のエーテルを自在に編み込むルーンを使うことから別名「全のルーナー」と呼ばれる。それはルーナーの間では結構知られた別名である。だが「全のルーナー」にはハイレーンとは別のルーナーがいる事を知っているのは一部の亜神だけであろう。その亜神がほぼ滅びた今、もう一つの「全のルーナー」を説明できる者は殆どいない。依ってそれは未知のルーナーと言っていい。

 だが、ファランドールでただ一人「それ」は存在する。「それ」こそがクロス・アイリス。四聖【黒き帳】であった。

 もう一つの全のルーナーとは、別人のルーンを自分のものとして使うことが出来るルーナーの事である。たとえそれが高位のハイレーンやエクセラーやコンサーラでしか詠唱できないルーンであっても、「自分のもの」に出来るのだ。詠唱を行い履行を可能とするために暗記や修行や練習などはいっさい必要としないルーナー。

 ただ、その相手を取りこめばいいだけなのだ。

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