第一話 クレハとクロス 4/4

「あんたはまさか、クレハ・アリスパレスを、【深紅の綺羅】を喰ったんか?」

 取りこむとはそういう事なのだ。亜神であるアイリスの者はルーンを使う人を喰らうことで様々なルーンを我が物とする。だが、亜神同士でそれを行うことはない。

「敢えて剣呑な言葉を使って私を非難しなくても大丈夫だよ。クレハと私は血を交換した間柄なのさ。意味はわかるだろう?」

 エルデにはもちろんわかる。いや、知識としては知っている事柄であった。一言で表す単語が思いつかなかったが、もっとも近いのは亜神同士の婚儀の一つである。

 人と違って亜神同士の場合は「妻」や「夫」以外にも「交配」の為に異性を選ぶ事がある。王族など一部を除いて一夫一婦制をとる現代ファランドールの人々の場合、婚儀とは殆ど同居もしくは通い婚など生活の全部もしくは一部を恒常的に同じくする事を指す。亜神も通常はその関係を持つが、妻や夫以外に、特に生活を共にしない異性同士の関係を持つ者もいる。人の世界であればそれは「不倫」や「姦通」などという忌みを含んだ言葉で表される場合もあるが、亜神同士の場合はその通念とは相容れない。極めて寿命が長い種ではあるが、亜神は出生率も極めて低い。つまり子孫を残す行為が双方合意の元で行われる場合は何の問題もないとされている。ただし、子を成そうとする亜神は行為に及ぶ前に、双方は互いの血を吸い合いその味で互いの遺伝子の相性を確認するのである。

 もちろん亜神が完全に絶滅した今日ではこれらの情報の信憑性に対する疑問はある。そもそもその事が記載されている文献を残したのは亜神ではなく人間であるということも予め断っておく。

 その上で紹介すると、双方が互いの血を甘いと感じた場合は正常な受精が行われ、生まれた子供も正常に育つとされている。だが互いに苦いと感じた場合は受精自体の可能性がなく、どちらかが辛いと感じた場合は生まれても正常な子として育たないものとされていたという。

 翻って正式な妻や夫の場合は「試さない」事を前提としている。すなわち妻や夫とは血の交換は行わないのである。

 既述の通り生物学的には殆ど同一と言われる亜神と人との間には子供をもうけることが可能だが、亜神同士と違い、妊娠及び出産率は高い。クレハの子だとされるニーム・タ=タンは一つの成功例と言っていいだろう。


「ふむ。君達はクレハの体を始末してくれたんだったね。その時にクレハの血を接収したと考えれば前提だけは揃うが」

 クロスはそう言ってエルデを見やったが、エルデは首を横に振った。

「確かにクレハ・アリスパレスの血には触れた。でもウチらは血を飲んでへん」


 そうだ。

 口に入った可能性はあるが、それは可能性がある、というだけである。現にエルデは自分がクレハの血液を口にした記憶が無い。エルデよりもクレハに触れた時間が短いエイルには、その可能性がエルデよりも低いはずなのだ。

 その点を本人に尋ねるべく視線を向けるとエイルは予想通り首を横に振った。

「何の話かわからないけど、オレもあのクレハって言う亜神が浸かっていた液体を口にした記憶は無い」


 これで前提が振り出しに戻った。

 結果が全てと言うわけではないが、エイルがクロスの呪縛を解いたことは「紛れもない事実」だ。それは認めざるを得ないだろう。だがエルデでさえ解けないクレハの神の空間が持つ能力をエレメンタルとはいえエイルが解いてみせたのは驚愕以外の何ものでも無かった。

 現に同じエレメンタルであるテンリーゼンは横たわったままだ。エイル同様に「呪縛されている振り」をしている可能性はあるが、もしそうであればこの期に及んで横たわったままでいるとは思えない。

 ならばテンリーゼンよりエイルの方がエレメンタルとして力が強いのかといえばエルデが見る限りそれもないのだ。


「面白い。実に面白いな、フォウからの来訪者よ」

「エイルだ。さっきも言ったろ、オレはエイル・エイミイだ。不特定多数に使えるような普通名詞で俺を呼ぶな」

「ならばこちらも言わせてもらおう。さっきも言ったように、エイミイは亜神である彼女の族名だ」

「ああ、別に否定はしないぜ。そうかもしれないけど、オレの名前もエイミイだって言ってるんだよ。この世界にやってきて、名前どころか記憶すらなくしていたオレに、そいつが付けてくれた、いや、『くれた』オレの名前なんだ。それに」

「それに?」

「女みたいな名前でも、オレはこの名前を結構気に入ってるんだ」

 そう言ってエイルはエルデに目配せをしてみせた。


「ふむ」

 思案する様子を見せながら、クロスはエイルの言葉の真偽を伺うようにエルデを見やった。

「エイルの言うとおりや。そんでもってウチの今の名前は、エルデ・ヴァイスや。因みにこれは師匠のシグルトが付けてくれた」

 クロスが口を開く前に、エルデはそう言った。クロスは薄い微笑を浮かべるとわかったという風に手を挙げてみせた。

「わかったわかった。シグルトのつまらぬ偽装手段というわけか。ならばそれを頑なに私が否定し続ける姿はあまり美しくはなさそうだ。それに今では本人が偽名だと認めていないらしい」

「偽名やない。これ『も』ウチの名前や」

「わかった。ここは君達の主張に従おう。では『エイル君』でいいかな」

「『君』はいらないんだけど。なんか気持ち悪いし」

「私も『様』はいらないよ」

「いや、もともと付けてねえよ。というか頼まれても付けねえよ!」

「ふむ。私は今、相当に遠慮したつもりなのだが、伝わっていないようだね。この場合の『相当』というのは適当であるという意味ではなく莫大であるという程度の大きさを簡潔に表現したものなのだが、私のその意図はエイル君、君には伝わっているのだろうか。見たところ君にはさほど深い学識はなさそうだからいちいち言葉の確認をしながら会話を続けていく必要を感じる」

「ああもう、やっぱりアンタ、面倒くさいな。友達居ないだろ?」

「ふむ。これは驚いた。私が面倒くさいという君の誤認はさておき、私に友達がいないとなぜわかった?」

「いや……本当に居ないのかよ?」

「もちろんいないさ」

 反射的なエイルの突っ込みに、クロスは静かにうなずいた。その妙に沈んだ声色に、エイルは一瞬戸惑った。

「友達などいない。だが同情も蔑みも必要ないよ。エイル君も三千年以上生きてみれば私のこの言葉の意味がわかるはずだ」

「残念ながら今のオレには友達がいる。それはうれしくて、とても誇らしい事だ。クロスも数十年しか生きられないなら、オレのこの言葉の意味がわかるだろうにな」

「そうだね。それはお互い想像するしかないだろう」

「だったら想像してくれよ」

「む?」

「短い人生なんだ。クロス、お前のような亜神にとってはそれはまばたきするような時間かもしれない。でもその短い時間を今オレ達はこうして生きてる。そうだ、紛れもなく生きてるんだ。オレ達は死ぬまでは生きている。だから想像してみてくれよ。五十年か、頑張ってもせいぜい百年くらいしか生きられないオレ達にとって、一日一日は重いんだよ。オレの言っている事がわからないか? 理解しろとは言わない。でもこの感覚を想像で多少は補えないか?」

「ふむ。相対的な密度という意味あいであれば、エイル君の主張は理解できる。それで?」

「よし。じゃあ質問だ。人間と同じか、それ以下の時間しか生きられない亜神にとって、その亜神の一日の重さは同じ亜神のクロスと同じものなのか? それはオレ達に近いんじゃないのか? お前はそんな亜神を亜神の価値観、人生観を共有できる同じ亜神として考えられるのか?」

 その言葉に思わず息を呑んだのはクロスではなくエルデだった。

 かまわずエイルは続けた。


「その亜神に友達がいるのは普通じゃないのか? その友達が亜神じゃなくて人間だったらおかしいのか? 間違っているのか? そしてその亜神がその友達の中の一人ともっともっと仲良くなって婚儀を挙げたとしても、それは自然な事だと考えられないか? そして短いながらも、その相手とは生涯一緒にいたいと願うものじゃないのか? それがたとえ亜神であっても、人間であっても」

「そしてエレメンタルであっても、か」

「そうだよ、エレメンタルで悪いか?」

「ふむ」

 クロスはエイルの問いかけ、いや願いを聞くと、少しの間思案をし、やがて小さな声でぽつりとつぶやいた。

「考えてはみたが、エイル君が言っている事は支離滅裂だな」

「何だと?」

「価値観や人生観という言葉を使った時点で、そこに亜神も人間もないだろう? もちろん亜神と人とは種が違う別ものだ。種が違えば価値観の基幹となる部分は確かに大きく異なる可能性は高い。だがそれを言うのであれば人間同士でも同じではないか? デュナンとアルヴは同じ人だが、平均寿命が二倍以上違う。程度の差こそあれ、そうなるともうデュナンにとってはアルヴも亜神に近いものとして捉えてしまうのではないか? 斯様にもともと持っている背景によってそれぞれに属する者は近しい者同士で価値観の方向性は揃うものだろう。ここまではいい。だがエイル君のようにそれを個人の単位、個々にまで分解してしまうと話は振り出しに戻りかねないのではないかな? なぜならばエイル君の論法を用いるなら、価値観は個体の数だけあるからだ。だからエイル君、君の主張は人間と亜神との間にだけ通用する訴えとは言い難い。そもそもその大前提があやふやだと知るべきだ」

「そんなことは」

 エイルの抗議はしかし、クロスの次の言葉で遮られた。

「でも、君の願いは伝わったよ。そうだね。そんな君に是非見てもらいたいものがあるんだ。答えはその後に出そう」

「見てもらいたいもの?」

「うん。君は実に面白い。今まで私のこの呪縛を解いた者は一人も居ないんだ。それを解いた君に興味を持たない方がおかしいだろう?」

「いや、そう言われても」

「君がこの件で悩む必要はない。こっちの勝手な都合だよ。いや、僕が自分で立てた仮説が素晴らしすぎて、小躍りしたい心境なんだ」

 クロスの言葉には熱がこもり始めていた。同時に一人称がまたもや「僕」に変わっていた。よくわからないが、どうやらクロスは機嫌がいいらしい、という事だけはエイルにもわかった。


「ますます意味がわからん。クロス、アンタ頭は大丈夫なのか?」

「人間に私の頭脳の心配をしてもらうとは、今の今まで思いもしなかったよ。そうだね、ここは君がその気になるように言い方を変えよう。ボクの仮説を確かめる為に、そして君は君自身を知るために、君はあれを見た方がいい」

 エイルとエルデは顔を見合わせた。「あれ」とは何か、互いに全く思いつくものはなかった。エイルはだから、素直に訊ねる事にした。

「『あれ』って何だ?」

 エイルの質問に、クロスはうれしそうな顔を隠さなかった。

「あれとはつまりあれの事だよ、エイル君」

「なんだかうれしそうだな。言っている事わからないがそれだけはわかるよ」

 エイルの皮肉にもクロスの機嫌の良さは全く揺るがなかった。

「うれしい? この僕が? 冗談を言ってもらっては困る。うれしいのは君の方じゃないのかな」

「いや、だからもったいぶってないで何を見せるのかを教えてくれって。そんなだから友達がいないんだ」

 クロスはクククと声に出して笑った後で、エイルとエルデ、そして横たわったままのニームとテンリーゼンに視線を順番に移していった。

「見物だよ。人間が『あれ』の前に立っていったいどんな顔をするのかが、ね」

「もうそれはいいから。いったい何なんだよ」


 上機嫌なクロスではあったが、その言葉の調子に何か仄暗いものを感じたエイルは、自分が少し怯えているのを自覚していた。それは「あれ」に「会ってはいけない」という本能の警鐘ともとれた。だがエイルはその怯えをふりほどいた。

「会ってやるさ。だからもったいぶらずに言えよ!」

「あれの事を君達はよく知っているはずだ。もっともその正体は全く知らないくせにね。そして誰もがあれをこう呼んでいる。『マーリン』と」

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