最終話 黒き帳 7/8

「なんや、そう言う事か」

 考えてみればクロスは、いや四聖【黒き帳】とはすなわち地精の監視者なのだ。エルデが空精の監視者であるように。

「私が最初に彼を見つけた時は久しぶりに驚きというものを感じたよ。何しろ自分の命をなげうってつまらない人間の娘の命を救おうとしていたのだからね。しかも相手はアルヴとデュナンのあいの子、デュアルの娘だ。フェアリーの能力もなく、そもそも人としても体力で平均を大きく下回るひ弱な個体。言うなれば淘汰されるべき個体だね。それがまさに正しく淘汰されようとしていたところを彼が台無しにしてしまった。種を強く維持する為に、その繁殖には加わってなならない弱い個体を、エレメンタルである彼が自らの命を省みずに助けるなど、さすがの私も地精の監視者として見過ごせるわけがない。しかも罪深いことにミリアは自分が地精である事を自覚しているのにも関わらず、その行為に及んでいたのだからね」

 時間稼ぎの為に水を向けたティアナの解呪の話から、ここまで話題が広がるとは思ってもいなかった。さらに思いがけずミリア・ペトリュウシュカの生い立ちまで知る事になったわけだが、ここへ来てクロスが語るミリアとエルデが認識しているミリアとの間には大きな隔たりがあることが判明してしまった格好である。

 エルデが催促するまでもなく饒舌になっていたクロスは話の続きをはじめた。


「それを見て、僕はたいそう腹が立ってしまってね」

 クロスは気付いているのかいないのか、はたまた意識的にそうしているのか、いつのまにか一人称を「私」から「僕」に変えていた。

「ちょっとした意地悪をしてやろうと思いついた僕は、ミリアにオモチャを与えたんだ。なんだかわかるかい?」

「呪具とは別に、っちゅうことか?」

「もちろんさ。呪具は僕の単なる趣味さ。面白そうだと思った相手には将来の保険の意味で渡すようにしている」

「保険?」

「うん。でもこれは呪具の話じゃないよ。ここからはおもちゃの話だ」

 ふと芽生えたエルデの疑問を押しのけるようにして、クロスは話をつづけた。その「らしくない」強引さにエルデは疑惑を深めたが、もちろん話の流れを止めるようなまねはしなかった。


「オモチャとは、本さ。もちろん僕が彼の為に作った特別なヤツだ。でも、彼に渡した本は未完成でね。もちろんわざとそうしてある」

 クロスが「本」という単語を持ち出した瞬間に、エルデの脳裏に青緑に髪を染めた、顔色の悪い女の姿が浮かんだ。

「それはひょっとすると『合わせ月の夜』か?」

 エルデの問いかけに、クロスは初めて満面の笑みを浮かべた。

「知っているなら話は早いね」

「確か四冊集めると、ファランドールの真の歴史が白日の下にさらされるんやったか?」

「その通りじゃないが、その通り」

「は?」

「少なくとも僕はそう言ってミリア達にその本を渡したから、間違ってはない」

「いや、間違ってるとかどうでもええけど、亜神が人に真実を伝えるのは、法に悖るんやなかったか? イオス、いや【蒼穹の台】が黙ってるとは思えへんのやけど」

「そうだね。君の言うとおり亜神が知るこの世界の真実をありのままに伝える事は我々の禁忌事項の筆頭に上がっているからね。そんな事はもちろん僕でも知っているさ」

「じゃあ、なぜイオスは黙っている?」

「黙ってなんかいないさ。『もしもそうなら』ね」

 クロスはエルデが浮かべた批難の表情を見ると、再び嬉しそうな顔をして見せた。

「そうとも。四人に渡した歴史書『合わせ月の夜』には真実なんて書かれていないんだよ。四冊全部集めても『合わせ月の夜』という歴史書は完成などしないのさ」

「じゃあ、なぜ?」

「僕はね、こう思ったんだ。『突拍子もない事を書けば、この知識欲に溺れそうな素直な子供は、むしろ信じるにちがいない』とね。内容はおよそ荒唐無稽であればあるほどいい。問題はそこに辻褄が合う事が書かれているかどうかなのだから。彼は僕の読み通り、この上なく明晰で極めて優秀な頭脳を持っていた。だから『ここに書かれている事は荒唐無稽な話ではなく、事実である』と確信したのさ。彼がバカだったら絶対に信じなかったろうにね。なまじ優秀な為に踊らされる。哀れな話とおもわないか?」

 エルデは大げさに肩をすくめて見せた。

「じゃあ、他の三冊は?」

「どれも同じだよ。もう少し説明を加えるとすれば、同じ内容を、渡した人間に合わせた表現に書き換えてあるのさ。だから四冊集めても中身に大した違いはない」

「そんなん、本を持つ者同士が出会って、互いに見せ合ったらすぐにばれるやないか?」

「そうだね。でも見せ合う可能性は殆どないよ。僕が推奨したのは奪う事さ。なぜなら自分の本を他人に見せてはならない、という決まり事を作っておいたからね。違う本を読みたければ盗むか、相手を倒して手に入れるかだ。実際には未だに誰も他人の本を手に入れてはいないけれどね。二人は死んで、残るのはシルフィード王国を裏切ったバード長の一冊のみ」

「ちょ、ちょっと待って」

 エルデは今のクロスの言葉で、頭の中のとあるパズルが開放される予感を得た。


「バード長にも、ミリアとおんなじ内容の本をわたしてたんか?」

「そうだよ。同じ本を手にしても、とった行動がそれぞれ違っていて実に楽しませてもらったよ。いや、現在進行形で楽しませてもらっていると言い換えた方がこの場合は適切だね」

「それってつまり、アンタが与太話をでっち上げて今の戦争起こしたようなもんやないのんか?」


 パズルが解ける予感はする。だが、まだ何か足りなかった。それも、大きな何かが。だがエルデは、この一連のクロスとの会話こそがそのパズルを解く為の唯一の手段であることだけは確信していた。だから当初の目的は既に綺麗さっぱりと忘れていた。

「君の今の発言には根本的な間違いが二つある。一つは僕が与太話とやらをでっち上げたという事。もう一つは僕が人の社会の戦争を引き起こす意志があったと言う部分だね」

「いや、それ全部やん」

「そうだよ。そもそも僕は与太話などを書いていない。四人に渡した本に書かれているのは『事実』だからね」

「いやいやいやいや」

 エルデはエイルの口癖がいつの間にかうつっている事に軽い苛立ちを覚えながらも、そんな事はすぐに意識の外に飛ばしてクロスを睨んだ。

「さっき、アンタはそう言うたやろ」

「そうさ。真実ではない、とね。でも書かれているのは事実なんだよ」

「え?」

「それに君は大事な事をすっかり忘れているね。いったいどこまで人間に近づいてしまったのか。亜神は嘘をつかないのさ。だから僕が彼らに言ったことは嘘ではない。書かれている事は事実だ。でも僕はイオスに断罪されることはない。ここまで言えばわかるだろう?」

 エルデは唇を噛んだ。イオスが使ったのは低次元の言葉遊びだということに気付いたからだ。

 だがクロスの言い分に従えば、今のその言葉にすら「嘘」はないのである。

「真実と事実は違うという事か」

「表面的には何も違わないけれど、持っている意味が全く別のものなんだよ。ねえ、君。君は疑問に思わなかったのかい? そもそもこの僕がなぜあんな『ありえない』機能を持つ呪具を作れるのか? なぜ僕はセッカ・リ=ルッカのような自我を持ち、長時間自立行動し続けるエーテル体を作れるのか? なぜ僕は異世界フォウからやってきたキセン・プロットの存在を知り得て接触できたのか? そして何故【深紅の綺羅】クレハ・アリスパレスは自分の半身を賭してまで僕をこの地に封印しようとしたのか」


 エルデは今まさに自分があらゆる謎の核心に迫っている事を認識していた。いや、あらゆる謎の中心がクロス・アイリスである事を知ったと言うべきかもしれない。そこにはひょっとしたらフォウで暮らしていたマアヤ・タダスノという少年がこのファランドールにやってきた、本当の……クロスの言葉を借りるなら「真実」……も含まれているかもしれないのだ。

 エルデは視線を上に向けた。成り行きを注意深く観察するだけで、しばらく沈黙を守っていたシグルトがそこに浮かんでいた。エルデは何も問いかけはしなかった。ただじっと見つめ、シグルトが目を伏せるのを見て、ゆっくりと顔をクロスに向けた。

 こんな重大な事柄を一切教えてくれなかった事を非難したわけではない。エイミイの麾下にあろうと、シグルトにはシグルトの事情があるのだろう。約束、あるいは誓いなど、別の言葉に言い換えてもいい。言葉など問題ではなく、シグルトは言わない事を決めていたという事実だけがそこにある。エルデの行為はそれを咀嚼する為のものだったのかもしれない。

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