最終話 黒き帳 2/8

 おそらくイオスは手がかりのようなものを敢えて口に出したのだ。それだけならいい。それだけなら会話を続け、分析し、追求する中で能力の正体に近づける自信があった。だがエルデ自身がそうする事を拒否したのである。

 頭が、心が、いや本能が警鐘を鳴らしていた。

 絶対に踏み込むな、と。

 その本能に抗おうとすると、何か自分より大きなものが意識を混濁で塗りつぶそうとする感覚。

 言い換えるならば、クロスの能力の秘密に手が届きそうな気がしているのだ。いや、実はもうほぼ解明している。だがそれを認めてはいけないと感じている自分がいるのである。それを認めてしまうと大切なものを根こそぎ失うことになる。そんな確信があった。

 だから考えない。

 心の一部に蓋をして、二度と開けられないような重しをして封印する必要があった。そこに事実はあっても自分にとっての真実は一切ない。エルデはそう思い込む事にした。過去を辿っても、これ以上はないという強い思いをもって。

 だから今は、目の前にあるもう一つの問題に向き合う事、いや集中することにした。

 そして頭の中でこの場面にふさわしいと思える言葉を見つけ出すと、それを自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

(ホンマにめんどくさいやっちゃ)


 クロスが面倒くさいだけの相手ではないことは痛い程わかっている。そもそもエルデの持っている常識の枠内に存在しない相手であった。簡単な言葉に置き換えるならばまともに戦って勝てる相手ではないということでだ。エルデはだから、クロスに対峙した時にとる行動を事前にいくつか想定していた。

 それはまともな方法とまともではない方法に区分けされる。だがどちらにせよクロスが思考を読む力を持っている事は前提条件には入っていなかった。もし本当にクロスが相手の思考を読めるのなら、まともな方法はともかくとして、それ以外のありとあらゆる方法は事実上、実行不能となる。


 エルデは無意識にエイルに伸ばしていた手を認めると、それをすぐに引っ込め、意を決してクロスの目をじっと見つめた。にらみ付けるのではなく、クロスの持つ緑色の瞳を観察するように。

「改めて、いくつか質問をしたい」

 イオスは即答した。

「かまわないよ。いやむしろ君からの質問ならば喜んで答えよう。ただし私に答えられる質問であれば、の話だけどね」

 緑色の瞳に感情の揺らぎは感じられなかった。いや、そもそもクロスが纏うエーテルに揺らぎなど全く無い。ごく薄い膜につつまれているかのように、それがただ張り付いているだけのよう、まさにそこに存在しているだけであった。

 エーテルの動きが感情に連動するのは確かだが、それだけではない。纏主に生命があるならば当然呼吸をする。同様にエーテルは纏主の生命の証明である呼吸や鼓動に対しても呼応して揺らぎ動くものだ。エルデが知る人物の中で冷静沈着さでは一頭地を抜く存在であると認めざるを得ないあの【蒼穹の台】ことイオス・オシュティーフェでさえ、纏うエーテルはゆったりと一定の周波数をもって動いていたのである。

 何もかもが異質な存在、それがクロス・アイリスという亜神であった。


 もちろんイオスよりクロスの方がこの世に生を受けて長い。その分様々な経験や見聞を有しているのは間違いないだろう。つまり単純に年齢を数えても三千回以上の春秋を見送っている事になる。その中でエーテルの揺らぎを押さえる事を会得していたとしても何ら不思議はないだろう。

 だが問題はそこにある。

 そう。問題だと感じるのだ。

 理性では分析できないわだかまりのようなものが残るのだ。だが適当な言葉が思い浮かばない。強いて言えば直感と呼ぶとわかりやすいかもしれない。自らの違和感の中に望んでいた答えがある。しかしそう思っていいのかどうか……そんな葛藤をさらに掘り下げようともがく自分をじっと俯瞰しているような……。

 そんなもどかしい感情の中で、見逃しているものがないかどうかをエルデは再確認しようとしていた。そしてその為に必要なのは「時間」であった。なぜなら多くの亜神は決断すれば即刻それを実行するからだ。人間と違い自分の優位性を相手にひけらかして矮小な満足感に浸る亜神などいない。もちろん矮小な満足感とやらを得る事が目的そのものとなっている場合は別である。しかしクロス・アイリスの目的は違う。

 そう。目的だ。


「お前は」

 エルデは駆け引きを廃した。時間稼ぎだと気取られるのは間違いないからだ。そもそもエルデは自分が亜神である事をすっかり忘れていた。エルデが亜神であるように、クロスもまた亜神なのだ。そこには言葉による腹の探り合いという、人間の流儀が介入する余地はない。人間達と共に過ごした時間の中で、エルデは自分が長い間勘違いをしていた事を悟ったのである。

 すなわち亜神に於ける問うという行為は、本当に知りたい事柄を完結に問う事なのである。

 亜神と亜神との会話にはそれしかない。唯一であるからこそ、それはおそらく最良の手なのだ。もちろんそれが最悪の手である可能性も否定はできない。だが良否は問題ではない。方法は唯一無二なのだから、どんな答えでアレ結果は受け手の都合のいいように考えるしかないのだ。


「お前はいったいここでこれから何がしたいんや? まさかウチと婚儀を執り行う事こそが目的やとか言うんやないやろな」

「ふむ」

 クロスはエルデのその問いかけが気に入ったようで、にっこりと笑いかけた。

「それは魅力的な提案だね。いや、ここは正しく答えよう。『もちろん、それでもいいよ』とね。ただし君に会うまでは、だよ。そこに嘘や偽りはないよ。そしてそんな私の望みを阻害する要因は全て廃するつもりでもあった」

 そこまで言うとクロスはいったん言葉を切り、エルデの反応を伺うように顔をのぞき込んだ。

 エルデは対抗上、努めて表情を変えまいとした。

「だがそれは過去形、ちゅうことか」

「実に残念なことに、ね」

 クロスはうなずいた。

「私は君に会えるのを本当に楽しみにしていたんだ。それがどれくらい楽しみだったのか君にはわからないだろうね。そうだね、君に理解出来るかどうかはわからないが、これほど誰かに会うのが楽しみだと思ったのは生まれて初めてかもしれない。こう言えば、実際に君に会ったときの私の失望がいかに大きかったかが、多少なりとも理解出来るのではないかな?」

 クロスの問いにエルデは答えなかった。クロスも特にエルデの答えを望んでいたわけではないようで、すぐに言葉を続けた。

「確かこうだ。君に出会うのは三千年振り、正確には三〇〇七年振りだね。【真赭の頤(まそほのおとがい)】が私に気付かれずに君を隠し通していた事にも驚いたけれど、それより何よりこうして邂逅した君がそんな状態だったということに失望している。言っておくがそれは君が私以外の男、しかも亜神ではなく人間、あまつさえ異世界フォウからやってきた人間と心を通じ合わせている事に対してではないよ。もう一度会えるとは思ってもいなかった人に出会えるというのは動揺するものだね。いや、動揺どころか、狼狽すら覚えてしまった事を白状しておこう。だから、恥ずかしながら少し感情的になってしまったのは君も知っての通りだよ。クレハの死を知った時よりも、邂逅した君がもうとっくに死んでいた事に対して、より喪失感を覚えているくらいだからね」


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