第七十二話 ニルティーアレイの海軍 5/5

 様々な意見や異論はあるだろうが、歴史学的な見地から見て、この「ワイアード・ソル」の「小競り合い」は「星の大戦」でも五本の指に入る重要な戦いであろう。

 主に規模の問題で、多くの歴史学者からは文字通り「小競り合い」とされる程で、この戦いに於ける戦死者は実のところさほど多くはない。いや、三陣営の兵士全員の数からすれば、戦死者の比率は驚くほど少ない。死者の数が戦いの激しさの物差しだというのならば、これはまさに「小競り合い」であろう。

 だが、特筆すべきはそこではない。戦死者、つまり被害はほぼ全てがドライアド軍だけであった事実なののだ。

 兵士全員の命を保証する事を唯一の条件として、ドライアド軍は無条件降伏を受け入れた。

 ティルトール達の勢いがあれば敵を全滅する事はたやすい事であったろう。だがそうしなかったのはたとえ少ないといえども自軍に被害を出す事を良しとしなかったからであろう。

 しかしこの戦いが注目に値するのは、この後の戦況に大きな変化と影響を与えるきっかけとなった戦いだからである。

 この戦いの一週間後に、ドライアド占領下にあったウンディーネ北西部の港湾都市シドンが「ファルンガ義勇軍」と呼ばれる武装船団により陥落、占拠された。

 そしてその頃にはシドンからワイアード・ソルに至る沿線の集落や都市国家が全て武装解除していたのだ。

 それはもちろん「ファルンガ義勇軍」と、ティルトール・クレムラートが率いる「アプリリアージェの軍隊」に依るものである。


 この戦いに関する詳細な事実は明らかにされていない。おそらくエッダ軍とノッダ軍が連合するにあたり、文書による覚え書きなどが一切交わされていないのせいだろう。

 こうなると共闘するに至った経緯をあえて後世に残さぬようにしていると見た方がいいだろう。共闘が予めなされた上でとんでもない「お芝居」をした事は間違いようがない。

 もちろん歴史学者はこの説を否定するだろう。だがそんな彼らも三時間もわたって戦い続けた両軍になぜか死者が一人もいなかったという事実は認めている。

 学者ではない普通の人間ならこう思うはずだ。「真面目に戦っていたと考える方がどうかしている」と。

 何らかの理由で手を組む事を決めたティルトールとトランは、ドライアド軍が急襲する事を想定していたのだ。そう考えなければ辻褄が合わないのである。

「戦っていたらドライアド軍がやってきたので、それまで戦っていた同じシルフィード王国の軍同士が急遽手を組み、死にものぐるいでこれを打ち負かした」などと考えるのはおとぎ話としても出来が悪すぎるというものだ。

 両軍の共闘、いや合流にアプリリアージェの介入があったと考えるのは妥当であろう。戦略に優れる彼女が二人の司令官に何らかの情報をもたらし、双方の主義主張を別の価値観でまとめ上げたと考えるのはたやすいが、その情報がいったい何であったのかは我々にはわからない。彼らは皆無言のまま、それを墓場に持って行ってしまったからだ。


 だがそれぞれの主義主張を変える程の出来事が、実は全く違う場所で勃発していた。

 それが理由の一つだとすれば、両軍の共闘という驚きの事実も受け入れやすくなるにちがいない。

 その出来事とは「あの」忌むべき逸話のことである。



********************



 予想をはるかに上回る防御力を見せるノッダを攻めあぐんでいたサミュエル・ミドオーバのお膝元であるエッダに、付近の哨戒に当たっていた一人の佐官が、数名の部下を引き連れて帰還した。

 哨戒の役目を別の司令官と交代して、城内に戻ってきたのである。

 それ自体は特に変わった事ではない。エッダの哨戒担当はサミュエルにごく近い、言ってみれば腹心がその任に着いており、一週間程度を単位として二人の佐官が入れ替わるのが「通常」であったからだ。

 彼は報告の為にいつものように数名の部下を引き連れて門をくぐり、騎乗したまままっすぐにエッダ城へと向かった。

 いつもと違ったのは、彼が大きな箱を大事そうに抱えていた事である。

 門番は鞍上にあるその生成りの木綿布で包まれた一抱えもある立方体に興味は示したものの、特に不審には思わなかったに違いない。


 その時、つまり彼がエッダに入った時間には、王宮前央広場は近衛軍とサミュエル配下の王国軍の兵士達で埋め尽くされていた。

 ノッダ攻略に向かう数個大隊に対し、サミュエルが大々的に壮行の儀を執り行っていたのである。もちろん膠着している戦況を打破せんが為に出陣する兵士の士気高揚の為の儀式であった。

 数名の部下を引き連れた佐官は、その儀式の最中に現れたのである。

 彼は王宮前広場の前で馬から下りると、サミュエルに取り次ぎを頼んだ。

 警備役の曹長は当然ながらサミュエルの副官である佐官の顔をよく知っていたから、緊張して最敬礼をすると、何の疑問も持たずにサミュエルに佐官の帰還を伝えたのである。

 その報を受けたサミュエルは儀式の最中にわざわざ自分を呼び出した佐官に対して多少なりとも疑問を持ったに違いない。だが彼は叱責することはせず、機転を利かせる事にした。

 儀式の最中に戻ってきた周辺警備の責任者である佐官に対するねぎらいを、即席で儀式の中に取り入れる事にしたのである。

 なにしろ腹心の一人である。エッダの周りの警備状況については一切問題がないという報告は事前に受け取っていたから安心、いや油断していたに違いない。


 サミュエルに名を呼ばれた佐官は、請われるままに最前列に歩み出た。

 一通りのねぎらいの言葉の後で、サミュエルは好奇心を堪えきれずに片膝を付いた佐官の目の前に置かれた白木の箱に言及した。

 要するに「それはなんだ?」と尋ねたのである。

 佐官は待っていましたとばかりに一礼すると、実に良く通る大きな声でこう答えたという。


「ミドオーバ大元帥閣下の命に従い、安置していた場所からただいま移送して参りました」

 サミュエルがその言葉を不審に思ったのはまず間違いないと思われる。そんな命令を彼がするわけがないのだから。

 しかしかまわず佐官は続けた。

「反逆者の手に渡る可能性のある城外からの移送という栄誉ある使命を果たすことが出来、万感の思いでございます」

 佐官はそう言うと白木の箱の蓋を開けた。

 それを見たサミュエルは頭の中に鳴り響く警鐘を聞いた。与(あずか)り知らぬ使命を果たしたと言う腹心の表情に気付いたからだ。

 佐官には表情らしい表情がなかったのである。目に輝きと力が無いのだ。

 まるで……

(まるで操り人形のようではないか?)

 サミュエルはいなや予感がして佐官を制した。箱を空けるなと命じようとしたのだ。

 だがその命令は既に遅かった。

 いや、サミュエルの命令にその佐官が素直に従ったとは考えにくい。数千人の人間が注目する場所に、その男を引き出した時点で「勝負」はついていたと言えよう。


 佐官は蓋を取った箱の中に手を入れると、なにやら重そうな物体を引き揚げた。

 その時点で彼のごく近くにいた兵達から悲鳴ともうなりともつかぬ声が上がった。それを聞いた他の兵士も何事かと佐官に注目した。

 佐官はサミュエルの命令が聞こえぬかのように、取り出した物体を両手で持つと、それを周りのものによく見えるよう、頭上に掲げた。

 サミュエルは佐官が掲げる「もの」を見て、言葉を失っていた。一目でそれが何かを理解したという事である。

 そして佐官は「それ」が「何」であるかを周りの兵士達に知らしめるかのように大声で叫んだのだ。


「ミドオーバ大元帥の手により身罷られたエルネスティーネ王女の首、しかとお返し申し上げます」


 その後の混乱と顛末については、もはや誰もが知るところであろう。

 混乱と怒号の坩堝と化したエッダの王宮は数日間続いた大火により崩落し、その長い長い歴史の幕を閉じた。さらに数日後には、侵攻してきたノッダ軍により、完全に武装を解除されたのである。


「エルネスティーネの首事件」と呼ばれるこの出来事は、瞬く間にファランドール中に広がった。時系列で考察すると、アプリリアージェ達がこの情報を得ていた可能性は充分にある。

 アプリリアージェがティルトールを率いてワイアード・ソルでトランと会見をしている最中にこの一報がもたらされ、トランから迷いが消えたと考えるのは無理な話ではない。

 もうしそうであるなら、この事件は間接的に新たな名将を生むきっかけになったとも言える。

 もともと陣形運動の制御と運用に非凡な才能を持っていたとされるトラン・サーリセルカ少佐は、突然旅団の指揮官を言い渡され、自信など無いままにワイアード・ソルにやってきたのである。だがアプリリアージェの情報と、この「恐るべき犯罪」の報を聞き、彼は自分達が置かれた立場を理解したのだろう。

 その後のトランは、何かが吹っ切れたかのように堂々たる指揮振りを見せた。それはティルトールをして「陣形操作は俺以上かもしれん」と言わしめた程である。


 詳細はもちろん不明であるが、彼らがドライアド軍に対しておこなった「死んだふり作戦」があれほど見事に「はまった」のはトランの軍隊掌握力にかかっていたと言える。

 ティルトール側は全軍に作戦を伝える事は簡単だったに違いない。だがトラン軍にはアプリリアージェが予想したとおり軍儀に顔を出さなかった二人の幕僚の存在が示唆するように「密偵」が紛れ込んでいる可能性が高かったのだ。いや、間違いなく存在したであろう。

「戦わず同盟を結ぶ。ついては数時間後に我ら両軍の共通の敵が現れるまで、真剣による演習をこの場で執り行う。」とでも告げたのであろう。その上で戦場を離脱しようとする者がいれば、密偵として処分したに違いない。

 その辺りの手法はアプリリアージェが知恵を貸したかもしれないが、結果として彼らの作戦はドライアド軍に漏れることなく、罠に填めたつもりで悠々と現れた敵を、ものの見事に打ち破る事ができた。


 なお、エルネスティーネの遺体の一部……具体的には頭部の真贋であるが、あの場にはエルネスティーネをよく知る者が大勢居た。その場にいて生き延びた者のほとんどが口伝だけでなく手記や日記でこう伝えている。

「お労しや。あろう事か、あの首は紛れもなくエルネスティーネ様であった」と。


 サミュエル・ミドオーバは折に触れエッダの兵や残った民間人にこう告げていた。

「ノッダで玉座に着いているイエナ三世は変わり身のニセモノである」

 それはつまり本物が別にいるという事を意味していた。きっぱりと、圧倒的に断言していたのである。ご丁寧に彼は自分が暗に行方不明のエルネスティーネを保護する為に動いているという事も明かしていたという。それこそが彼の掲げていたエッダ軍が戦う意味であったのだから仕方がないともいえる。

 そこへ腹心が「命じられたので隠していた首を持ってきました」と現れたのである。

 サミュエルは腹心が掲げる首が本物であるという証明を、今までずっと自ら説いていたようなものなのだ。


 後世に残された文献をひっくり返してみてもエルネスティーネの首を持ってきた佐官の名前はなぜか特定できない。その後の生死も一切不明である。

 ただ、その後の混乱を考えれば、その腹心が生きている可能性は極めて低い。

 エルネスティーネの首の行方も同様である。

 混乱の後で、確保した何者かがエッダ王宮の玉座に安置したという記述は複数あるが、王宮はその後すぐに消失し、首の行方は杳(よう)として知れないままなのである。


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