第七十一話 ワイアード・ソルの再会 2/6

 司令部の天幕に突然現れたダーク・アルヴの少女が「敵ではない」とその場の全員を制し、襟を裏返して銀翼の部隊章を見せ、あげく自分は海軍中将だと名乗った時からいささか冷静さを欠いていたアンデルだが、スウェヴのその一言でようやく自らの持つ記憶や知識を活用するきっかけを得た。要するに落ち着いたのである。

 優先特階とは同じ階級であっても通常階級よりも二つ上の階級と同等の格付けとなり、その階級と同等の権限を有しているというものである。ル=キリアという部隊の構成員は全員、その優先特階の保持者なのだ。

 つまり中将であるアプリリアージェは、同じ中将であるティルトールよりも事実上は二つ上、すなわち元帥という立場と同等と見なされる。つまり中将であるティルトールが礼を尽くすのは不自然でも何でもない事なのだ。

 だが……。

 スウェブはそれでも、ティルトールがそこまで芝居がかった事をすること自体に違和感を覚えずにはいられなかった。クレムラート将軍とは、たとえ相手が大将であろうが元帥であろうが、へりくだった態度などおよそ見せたことがないのだ。その筋ではシルフィードで一番行儀の悪い将軍として通っている。現にスウェブもその「行儀の悪い」場面には何度も居合わせており、筆舌に尽くしがたいほど居心地の悪い時間をひたすら耐える修練を重ねていた。


「あ、でもユグセル中将は戦死ということで二階級特進されて既に元帥ですから、優先特階を加えると大元帥と同等ってことですよね?」

(確かに)

 スウェブはどうでもいいようなアンデルの疑問に対して心の中でうなずいていた。だが、直後に自問した。

(いや、でもそれはどうなんだ? 死んでなかったなら特進は取り消しだろう? するとやはり優先特階で元帥が正しいのか……)


 アプリリアージェは公式には戦死とされており、二階級特進で元帥として軍の鬼籍に記されている。いったん戦死した人間が生きていた場合の既定は軍規にはなく、つまりは死んでいようが生きていようがアプリリアージェは現状では既に元帥と呼ばれるべきであろう。そしてル=キリアの優先特階がそこに加わると、軍の最高位である大元帥ということになってしまう。

「大元帥は特殊階級ですよ、スウェブ」

 二人の会話は聞こえていたのであろう。アプリリアージェはスウェブに気さくな様子でそう声をかけた。

「ですから、軍に於ける最高位はとりあえず元帥ということになります。まあ、言い換えると元帥というのはどん詰まりですね」

「は」

 スウェブは以前からアプリリアージェという人物が苦手であった。嫌いと言い換えてもいいが、そこには嫌悪はない。当然ながら憎悪に属する感情もない。それはむしろアンデルが言った「幽霊」という言葉が連想させる「恐怖」に近い感情であった。「得体の知れないもの」に対する本能的な拒否感のような「苦手意識」なのである。

 物腰だけでなく誰に対しても表面上の会話は極めて人当たりがよく、将官の会合などで紛糾した際であっても、声を荒らげた所など見た事がなかった。なによりも不気味なのは、何があってもいつも笑っている事である。

 いつも変わらぬアプリリアージェのあの微笑みを見たスウェブは思ったものだ。「無表情よりも微笑の方が表情がない人間もいるのだ」と。

 だからそんな苦手のアプリリアージェに声をかけられると、さしもの冷静なスウェブも緊張が先に走る。いきおい、固いやりとりにならざるを得なくなるのだ。


「私語をかわしていた事、まことに申し訳ありません」

 だから直立姿勢でそれだけ言うと、深々と腰を折って謝罪した。

 横合いからそれを見ていたアンデルも慌ててそれに倣った。

「申し訳ございません」

「あらあら」

 アプリリアージェは副官二人のそんな様子を見て苦笑すると、ティルトールに椅子に座るように懇願した。

「それに、私に上官としての敬意を払う必要などありません。なぜなら私は今回の大戦に関わる事は決めましたが、クレムラート中将の陣営に荷担するとは一言も言っていませんよ?」


(これだ)

 アプリリアージェのその言葉を聞いたスウェブは唇を噛んだ。

 全くもってその心の内が読めない態度。アプリリアージェとはいつもそうなのだ。スウェブには相手をからかっているようにしか思えない。

(なぜ中将はこんな女に……)

 そう、スウェブがアプリリアージェに対して苦手意識を持つもう一つの理由、いや一番の理由はこちらなのかもしれない。

 それはティルトールが本気でアプリリアージェに求婚をした事があるという事実である。しかも会う度に、である。

 現にまさに今し方の会話は「それ」ではなかったか? ティルトールが求婚の言葉を発する前にアプリリアージェがそれを封じただけで、実際問題としてはいつものようにティルトールが求婚し、アプリリアージェが拒否したのと変わらないのではないか。

 今回もそうだが、紅茶に入れる砂糖を断るような軽さで一軍の将である人物からの求婚に取り合おうともしない態度がスウェブは気に入らなかった。「いったい何様なのだ、この女は?」と思うのだ。

 いや、何様かはスウェブとてよく知っていた。アプリリアージェ・ユグセルと言えばファルンガという広大な領地を持つ有力な貴族、しかもユグセル家はカラティア家の血族。言い換えると王位継承権まであるのだ。もちろんそんな肩書きに惚れるティルトールでないことは間違いない。ならば女のスウェブから見て、およそ最悪ではないかと思える性格の人間に、なぜそこまで本気になるのか。

 それはスウェブが今まで生きていた中で出会った最大の謎であった。


「まさかとは思うが、エッダ軍に荷担すると言い出すのではあるまいな?」

 さすがのティルトールもアプリリアージェの言葉は衝撃だったのだろう。笑い顔が一瞬で消え去っていた。

「場合によってはそうなるかもしれません」

「それは聞き捨てならんな」

「勘違いしないで下さい。可能性の問題です」

 気色ばむティルトールをなだめるように、アプリリアージェはいつもののんびりとした口調で続けた。

「要するに今の私はドライアド軍につく可能性すらある、と言っているのですよ」

「余計悪いわ!」

 ティルトールは思わず机を叩いた。

「矜持にかけて、そんな事はさせんぞ」

「あらあら、まあまあ」

 アプリリアージェはそういうとおかしそうにクスクスと声を上げた。

「ティルはきっとそう言うと思ってましたよ。こんな情勢であっても相変わらずで安心しました」

 ティルトールはおかしそうに声を出して笑っているアプリリアージェを見ると安堵したように肩を落とした。


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