第七十一話 ワイアード・ソルの再会 3/6
「悪い冗談はやめてくれ。それでなくとも我がシルフィードは悪夢を見ているような状況なのだぞ」
「ではその悪夢とやらから、いい加減目を覚ましたらどうですか?」
本題に入った、とティルトールは思った。アプリリアージェの事をよく知る彼は、黒髪のダーク・アルヴのやり方には慣れているはずであった。だがそれを忘れる程、ティルトールは思いがけない再会に冷静さを欠いていたと言えるだろう。
「先ほど言った事は本当です。私はまだ自分が最終的にどの陣営に属すかを決めかねています。ですが最初に属する陣営はもう決まっています」
「最初に属する陣営だと?」
アプリリアージェはしっかりとうなずいてみせた。
「取りあえずは無益なシルフィード軍同士の闘いを止める陣営、とでも言えばいいのでしょうか」
アプリリアージェがそう補足すると「なるほど」とティルトールはうなずいた。
「基本的にリリアの目的には同意する。俺も無益な戦いをしたくはない」
アプリリアージェは垂れた目を細くして微笑を深めた。
「同胞と戦いたくはない、ではなく?」
「無論だ。同胞であろうが異世界人であろうが、それが意味のある闘いであれば俺は躊躇などしない」
「さすがはティルです」
アプリリアージェはこれ以上はない程目を細め、微笑ではなくにっこりと笑みを作ると立ち上がった。
「では行きましょうか?」
「どこへだ?」
「もちろん、朝食を食べにですよ」
アプリリアージェの言葉に、スウェブとアンデルは思わず顔を見合わせた。もちろん、その意味を計りかねたのだ。
だがティルトールはすぐに立ち上がった。今まさに言質を取られた事に気付いたからだ。であれば行き先は決まっていた。
スウェブはそんな「二人だけがわかっている暗黙の了解」のようなやりとりに、妙な胸騒ぎのようなものを覚えていた。いや、胸騒ぎではない。胸が痛いのだ。
だがスウェブ・イヴォークはその痛みの意味をまだ自覚してはいなかった。
「急ぐぞ」
そんなスウェブとアンデルに、ティルトールはそう声をかけた。
「サーリセルカに会いに行く」
どこへ? と声をかける間もなくティルトールはそう言うと、片手剣の具合を確かめるかのように柄を握って少し動かしてみせた。
泡を食ったのはアンデルである。
「サーリセルカって、まさかエッダ軍のサーリセルカ少佐の所へ、ですか?」
クレムラートの部隊には、相手が動くまではこちらからは絶対に動くなと厳命が下っていた。それなのにたった一人のダーク・アルヴが訪問したとたん、司令官自ら相手の陣営に乗り込もうとするなどアンデルの常識では考えられない行為であった。
しかしそんなアンデルの考えなど微塵も考慮していないといった風にティルトールは鼻を鳴らした。
「ふん。他にサーリセルカという名前の愚か者が近くにいるか?」
「いや、そう言われましても」
アンデルは助け船を求めるようにスウェブに顔を向けたが、当のスウェブは既に肩を落として目を伏せていた。
「こ、ここは取りあえず幕僚会議を招集して……」
「ばかめ。こちらの見目麗しきご婦人とただ朝飯を食いに行くだけなのに、なぜ幕僚を招集する必要がある? たとえイエナ三世女王陛下が勅令を下されようが俺の好みは変えられんのだぞ。それなのに我が参謀連中が俺の女の好みに干渉するなど笑止千万であろうが。それとも我が参謀連中は女王陛下より上位にあるとでもホザくのか?」
「え? いや。それは……というか、その論法はさすがにいかがなものかと」
「サリナー少尉、でしたね」
なおも食い下がろうとするアンデルに、アプリリアージェは例ののんびりした口調で声をかけた。
「は、はい」
スウェヴと違い、アンデルはノッダ遷都後に初めてクレムラート中将付きとなった軍人である。「笑う死に神」という二つ名を持つ有名な提督の事はもちろん知ってはいたが、言葉を交わすどころか、その姿を見るのも初めてであった。
噂というものはいつの時代も一人歩きをし、本質ではなく必要以上に誇張を好むものである。そしてそれは多くの場合、言葉そのものではなく噂を聞き及んだ人間個々の頭の中で増幅される。
アンデルも同様で、彼の頭の中のル=キリアの総司令とは、国王直轄という特権を振りかざし、自らの意に沿わぬ人間がいればたとえ他の部隊の人間であろうと策を弄して罠にはめたり、あるいは笑いながら有無を言わさずその場で斬り捨てるような、血も涙もない理不尽な虐殺者としてその評価が固定されていた。
つまり「恐ろしい微笑」で「睨まれた」と思い込んだかわいそうなアンデルは、なんとか返事をしたものの、その後はあまりの緊張に言葉を失ってしまった。
「少尉は朝食はとりましたか?」
アプリリアージェの口から続いて出た言葉を理解するのに、アンデルはたっぷりと三十秒を要した。
素人が操る人形のようにぎこちなく首を横に振るアンデルに、アプリリアージェは微笑んだまま優雅に手招きをして見せた。
「でしたら是非ご一緒しましょう。食事は大勢の方が楽しいし、それはたとえ糧食であってもおいしく感じるものですからね」
そして視線をとなりのスウェブに移して同様に誘った。
「もちろんあなたもですよ、イヴォーク少佐」
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アプリリアージェ達は途中で幕僚達に出会う度に制止の要請、あるいは懇願で足止めを食うことになった。
当たり前と言えば当たり前で、たった四人、それも一人はおよそ評判の良くない「曰く付き」のよそ者といきなり相手の懐に入り込もうと言うのである。常識のある幕僚であれば絶対に止めるべき蛮行、いや奇行と言っていい行為であった。
幕僚の中には本気でティルトールの頭がおかしくなったと考えたものもいたが、多くの幕僚達は違う考えを持っていた。それはアプリリアージェの存在そのものである。古参の幕僚達はティルトールがアプリリアージェに求婚を続けている事を知っていたからだ。要するにティルトールはそれまでの戦略を放棄して、惚れた弱みでアプリリアージェのバカな思いつきを承諾したと思ったのだ。
当然全員が同道を申し出たが、その全てに対してアプリリアージェが汚れ役を買って出た。
「ユグセル中将」は幕僚達がそういって食い下がる度にいったん下ろしていた襟を持ち上げ、その裏側に縫い付けられたル=キリアの銀翼の部隊章を示してこう言った。
「サーリセルカ少佐には私が既に話を付けています。会見にあたってはそれぞれ副官二名を入れて四人ずつです。それともどうあっても同行して私の顔に泥を塗りたいとでも?」
あるいは、
「私の特務が終わった事をどうやってか知ったサーリセルカ少佐が、クレムラート将軍と平和的な話し合いをしたい、ついては仲立ち役をして欲しいと申し出てきたのです。司令官に随行するのは副官二名。それは私が決めました。シルフィード王国軍中将としての、これは決定です。異論は認めません」
あるいは
「将軍の護衛など、私一人で充分。もしやあなたは私よりもその任に適しているとでも?」
最後の台詞は直後に極々小さな落雷を伴うものであった。アプリリアージェがゆっくりと腕を伸ばして少し離れた地面を指さしたとたん、ドンという音とともにその場所に雷が落ちたのだ。
それを見た幕僚は思わず首をすくめた後、何も言えず唇を噛むと陸軍式の敬礼をしてみせた。
海軍の中将に対して陸軍式の敬礼を敢えてして見せたことで自らの矜持を示したかっこうであろう。
アプリリアージェはそれを見ると微笑みを深くして海軍式の礼ではなく、貴族の娘のように優雅にお辞儀をして見せた。それを見た幕僚の将校は「ユグセル流」という言葉を思い出していた。
いっぽう、スウェヴとアンデルは、見た目が優しげで感情を表に表さないユグセル中将がなぜああも多くの人間から忌み嫌われているのか、その理由の一端を理解した気がした。
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