第五十六話 クナドル事件 2/4

 ラウがかけた呪法は本来、最後には人間としての原形を留めぬほど肉体を損壊してしまう強力なものだ。だが「眠っているようにしかみえない」状態にしたのはその呪法を封じ込めるほど強力なエルデのルーンのせいである。もちろんラウはその事をすでに知っていた。

 いったいどっちが残酷なのかはわからない。だが、ラウはその時初めてエルデの処置、エイルの懇願によりその場でできる唯一の「保存法」を施した事に感謝を抱いていた。

 なぜならカノナールはカレナドリィに別れを告げる事が出来たのだ。どんなに悲しく傷つくことになろうと、姉の体と対面しその肉体に触れることが叶ったのである。

 それがたとえ悲しみを増幅させる行為だとしても、その時のラウは絶対にその方がいいと思えた。自分をカノナールに、そしてファーンをカレナドリィに置き換えて考える事ができたからだ。そんな事があってはならない。この先も絶対にあって欲しくはない。だが、もし「そういうこと」があった時、命がない抜け殻であったとしても、存在していて欲しいと。


 しばらく誰も何もしゃべらなかった。

 まるで時がそこで止まったように誰も動かない。

 誰もがそれが自らの役割だと感じていたのである。

 そして誰もが知っていた。

 時を動かすきっかけが、カノナールに委ねられていることを。


「一つだけ頼みがある」

 長い沈黙の後でカノナールがつぶやいた。

 その言葉は時を動かす事には成功したが、その場の緊張をさらに高める事になった。

「聞こう」

 うなずくラウに、カノナールがぽつりと言った。その言葉は終わりと、そして始まりを告げるものとなった。

「あんたは姉さんを……カレン姉さんの事を死ぬまで忘れないで欲しい」



********************



 ピクサリアの町の人々がエルミナの崩壊を知ったのは大地震から半日経ってからの事であった。


「あんたがエイルか」

 全てが終わった後で、カノナールがエイルに呼びかけた。

「ちょっと目つきの悪い瞳髪黒色の若い男っていうのは本当だったんだ」

 返事を待たず、カノナールはそう言いながらつかつかとエイルに近づいてきた。

 やや高いが、作らない時のカノナールの声は誰が聞いても若い男のものだ。カレン……カレナドリィ・ノイエと見紛う美しい娘にその声でにらみ付けられるエイルの心中は複雑だった。

 その感情をもてあまし、かけるべき言葉がすぐに紡ぎ出せないでいるエイルに、カノナールは懐から何かを探り出しておもむろにエイルの前に差し出した。

 それは薄紅色に染められ、畳まれた布だった。光沢から材質は絹であろうと推測された。カノナールの行動の意味するところをエイルは推測しかねたが、少なくとも単純にただハンカチを差し出したのではなさそうだった。だがカノナールの落ち着いた動作は、つまりその布に意味があることを示している。


「これは?」

 エイルが初めてカノナールに向けて発した言葉はそんな短い質問であった。

「受け取ってくれ。嫌とは言わせない」

 カノナールに敵意がないのはエイルにはわかる。だがさすがに行動の目的や意味はわからない。ともあれエイルは言われるままに差し出された小さな布の包みを受け取った。

 手にした包みからカノナールに視線を戻すと、カレナドリィの弟は頷いた。布ではない。問題は中身なのだとエイルはその時ようやく納得した。

 壊れ物でも扱うかのように、おっかなびっくりの手つきでゆっくりと包みを開いたエイルは、そこに包まれていた物を見て思わず声を上げた。

「あ……」


 一房の髪束が、そこにあった。

 それが誰のものかは色を見れば一目でわかる。そのタンポポ色の髪の持ち主をエイルは忘れたことはなかった。

 それを見てカノナールの髪の色はカレンとは全く違う事がわかった。黄色と言っていい程鮮やかなカレナドリィの髪に比べると、カノナールのそれは明るい色だがやはり金髪に属する色だ。

「父さんに聞いた。お姉ちゃんはアンタの事が、その……気に入ってたっつうか……いや……」

 カノナールは少し言い淀んだが、すぐに続けた。

「あんたに惚れてたって言ってた」

「え?」

「ああ、いい。何も言わなくていいから。あんたがとぼけるのは勝手だし、俺も信じたくないさ。けど、父親が娘を見る目をなめんな。冗談でもなんでもないし、俺も間違いないと思う」

 言いにくそうに、そして吐き出すようにそれだけ言うと、カノナールは少し上気した顔でエイルをにらみ据えた。

「まったく姉さんの気持ちがわからない。俺にはアンタのどこがいいのか皆目不明だけどな」

「それは……そうだな」

 カノナールの悪意のない迫力に気圧されたエイルはそれだけ言うのがやっとだった。


「ちょっと待った」

 それまで静観していたエルデがその時唐突に口を挟んできた。

「おいこら、女装好きの変態野郎。うちの人の悪口をそれ以上言うたら、『つるっぱげ』にして、二度と毛が生えへんような呪法を施したるで」

「え?」

 想定もしていなかった方向からのいきなりの脅しにさしものカノナールもひるんだ。

「つるっぱげって……」

「ウチが何ものか、もう理解してるんやろ? それくらいのルーン、朝飯前やで」

 三眼のままで不敵に笑うエルデを見て平常心でいられる者は少ない。カノナールもその例に漏れず、思わず視線を逸らした。

「いや……あれは悪口じゃないだろ。ほめてたんだよ」

「はあ? どこをどう聞いたらほめてるように聞こえるっちゅうんや?」

「だから、姉さんが毎日嬉しそうな顔でそいつの話を父さんにしてたって意味だよ。姉さんはそれまで全然男っ気なんてなくて、一度だって父さんに男の話なんてした事がなかったんだぜ? この意味わかるだろ?」

「言うてる事はわかった。でも意味はわからへん。わかって欲しかったら素直に言え、この女装好きの変態野郎」

「好きで女装してるわけじゃないし、俺は変態でもない」

「なるほど。ほんなら変質者か?」


「エルデ、その辺にしてやれ。それ以上やると……」

「ふんっ」

 エイルの仲介に、エルデは素直に従った。

「コイツは口が悪いだけなんだ。あんまり気にしないでくれ」

 エイルはすまなそうにそう言うと、手に持ったままのカレナドリィの髪の房をカノナールに差し出した。

「カノンの言いたい事はわかった。でもオレはこれを受け取るわけにはいかない」

 エイルの言葉にカノナールの顔が曇った。

「オレはなんというか……その……コイツと結婚してるんだ」

 エイルはそういうと隣のエルデを見た。エルデはエイルのその言葉に顔を赤くすると、きまり悪そうにそっぽを向いた。

「あんた達がそう言う関係だっていうのは見てたらわかるって」

 カノナールはそう言うと差し出されたエイルの手を押し戻した。

「そんな事はわかってて頼んでるんだ」

「でも、やっぱり受け取れない」

 エイルは首を横に振った。

「あんたは俺の頼みを断れない。なぜならあんたがランダールに来たせいで姉さんはああなった。姉さんがあんたに惚れなかったら、あの賢者が姉さんを操ったりする事はなかった。だから姉さんが死んだのはあんたのせいだろ?」

 カノナールの言い分は理不尽な八つ当たり、もしくは子供の論理だと言ってしまえばそれまでのものだった。だがエイルに反論はできなかった。

 その通りではない。だがエイルに関わった事によって結果が生まれたのは事実なのだ。だからその通りだとも言えた。

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