第五十五話 カノナールの復讐 3/4

(どうする?)

 エイルはエルデに目で問いかけた。

 答えは聞かなくてもわかった。エルデは判断しかねていた。もちろんカノナール・ノイエの処遇を、である。

 この場面でカノナールの処遇を決定する権限を持っているのは、アプリリアージェでもエコーでもない。

 カノナールにはいくつもの嫌疑がある。

 最も軽いと思われるのは大聖堂の立ち入り禁止区域への無断侵入である。ラウのあとを付けてきたのであろうことは、もはや疑いようがなかった。

 けが人の治療や搬送を行っていたラウには、さすがに襲いかかる事は出来なかったのであろう。

 その不法侵入を咎める権利を持つのは大聖堂の人間であるが、ここにはいない。となると大聖堂が所属するマーリン正教会の人間にその権利があるといえた。

 すなわちマーリン正教会で三聖と同列の地位にいる【白き翼】がその場に居合わした正教会関係の最上位にあり、当然ながら処遇を決定する任に当たると考えていいだろう。


 二つ目の嫌疑は、傷害もしくは殺人未遂ととられても仕方のないカノナールの今の行動である。行動の最中に固定されているのだから誰が見てもその行為はあきらかで申し開きのしようもない。もっとも本人がこの期に及んで「剣舞を舞っていた」などと申し開きをするとも思えなかった。これについては賢者を狙った犯行ということになり、同じくマーリン正教会の人間が裁く権利を主張できる。


 最後はラウが口にしたクナドル事件の犯人という容疑である。

 サラマンダ侯国外で容疑者が発見された場合はもちろん国際法の管轄になるが、賢者はその国際法である賢者法でそういった人道上看過できない犯罪に対する裁判権と処刑免状を有している。要するに賢者の判断でその場で処刑ができるという最も古い国際法だ。

 本来は現行犯に対して発動するものであるが、それを限定する条項はない。

 つまり、カノナールがクナドル事件の犯人であるならば、その場で相応の処分をする権限がマーリン正教会の賢者にはある。要するに賢者の頂点にあるエルデがカノナールの処遇の全てを握っているのだ。

 アプリリアージェが沈黙しているのもそう判断したからであろう。いつもの微笑をエルデに注いでいた。

 だが、エイルはその考えが必ずしも正しいものではない事を、ラウの言葉で知る事になった。


「エルデ……ここは私が預かります」

 ラウがそう言った。

『預からせてくれ』ではなく『預かる』という通告である。

「しかし……」

 エルデは即答しなかった。その言葉にも迷いが見えた。当然であろう。エルデはイオスとは違う。いや、以前は同じであったかもしれないが、今はもう全く違う価値観を持つに至ったのだ。問答無用でカノナールの命を奪うなどできはしない。だが、裁かねばならぬ事もまた事実なのだ。エイルの知る限り、エルデがこれほど迷いを見せるのは初めての事であった。


 エルデは、ラウの表情を読もうとその目を見つめた。エイルもエルデの視線を追った。険しい顔をしているのだろうと思っていたラウは、思わずハッとするほど穏やかな顔をしていた。

「ファーンと私が居る以上、エルデにはこの場合の権限はありません」

 ラウはまるで確認するようにそう言った。

「え?」

 マーリン正教会の内情をだいたい知ったつもりになっていたエイルはおそらく同じ疑問を持ったアプリリアージェと顔を見合わせた。

「確かにな。ラウは『賢者』で、ウチは賢者とは違う」

「いや、それは」

 エイルはそこまで言って口をつぐんだ。エイル達はもちろん既に知っている。エルデ・ヴァイスは正確には『賢者』ではない。「賢者の徴を持つ者」ではあるが、賢者会に属してはいない。名簿にその名がないのだ。【蒼穹の台】がそうであるように、つまり四聖は厳密に言えば賢者ではないと言えた。

 エイルにはそれは屁理屈に思えた。もしくは言葉の遊びやエイルがいたフォウという世界の政治家の答弁のようなものだ。その四聖は賢者の上位者ではないのか?

 だが、ラウは敢えてそう言ったのだろう。

 しかしカレナドリィとラウの間には当然ながら因縁がある。当事者同士といっていい。そのラウがカノナールの処遇を、いや有り体に言えば命を握る事が果たして正しいのか?

 エイルはその場にいるもう一人の賢者であるファーンを見たが、その視線を感じた【群青の矛】という賢者名を持つハイレーンは小さく首を振った。序列が上の者、すなわちラウに優先権があるというのだろう。


 エルデが何も言わない、いや言えないのを見てラウは続けた。

「まずはこの子の戒めを解いて下さい」

 エイルはその言葉に眉を顰めた。

「どうするつもりや?」

 エイルにはラウの意図がわかるような気がした。そしておそらくエルデも同じ事を考えていると感じた。

 今戒めを解けば、憎悪と怒りが収まっていないカノナールはおそらくためらいなく振り上げた剣をラウに打ち下ろすだろう。現にラウの一言で、カノナールの目に炎が再び点火したようにみえる。そしてカノナールにとって自らの行為が成功するかどうかはもはや問題の外にちがいない。自らが自らの存在意義だと信じる、今心に湧き上がる憤怒をぶつける事が目的の全てなのだろう。

 そうなればどう見てもラウは正当防衛を主張できる。つまりその瞬間にカノナールは処刑されるに違いなかった。

 エイルは絶対にそれは避けたかった。

 よく見れば別人だとわかるが、それでも血が繋がったカレンそっくりの人間の死を、指をくわえて見ていることなどできなかった。

 カレンを二度死なせるわけにはいかないのだ。


「やめろ!」

 思わず怒鳴り声が口を突いた。ラウに向けられたものだが、当のラウは何も反応しない。

「くっ」

 ラウに向けて一歩踏み出そうとした時、袖を引っ張られた。エルデである。

「そっちの心配はない」

 振り向いたエイルに、エルデはそう告げた。

「え?」

「むしろ……」

 エルデは独り言のようにそうつぶやいた後、ラウに目を向けた。

「ええやろう。でもその前に……」

 エルデは続けて短いルーンを唱えた。エイルもよく知っている強化ルーンである。対象一人を物理攻撃から数回守る事ができるものだ。

 そして意外なことにその「対象」はカノナールではなくラウに向けられていた。

 だが、ラウは強化ルーンを無効化するルーンを唱え、エルデのルーンを剥がした。


「不要です」

 エルデは眉根を寄せてラウを見た。

「あなたが解除して下さらないのなら私がやりますが、出来ればきちんとこの場の手順を踏んでおきたいのです。つまりあなたの許可のもとに」

 ラウはそう言うとカノナールに対峙した。

「手順を踏まずに行動に出たと報告すれば、我が師【蒼穹の台】に罰を受けます」

 エルデは苦しそうな表情をすると目を伏せた。そして小さく深呼吸をした後で顔を上げ、カノナールに声をかけた。

「ランダールのカノナール・ノイエ」

 自分の名を呼ばれたカノナールは怪訝な顔をエルデに向けた。

「お前は大きな勘違いをしている」

 言葉の抑揚はいつもの古語ではなく、「立場」を使う時の南方語、つまり標準語のものであった。エイルはそこに嫌な予感を覚えた。


「勘違い?」

 カノナールのオウム返しにエルデは頷いてみせた。

「お前の父親、ルドルフ・ノイエは真実を知らぬ」

 その言葉にカノナールの表情は険しくなった。

 エルデが何を言い出すのか、エイルは気付いた。そしてラウも同じであった。

「何を言い出すんです、エルデ」

「黙れ!」

 即座に一喝してラウの言葉を封じたエルデは、想定していた事態に用意していた台詞を披露した。その為の下準備が標準語であったのだ、

「余の名に於いて命ずる。余が許すまで声を発する事を禁じる」

「しかしあれは!」

「三席の分際で余に同じ事を二度言わせるな!」

 久しぶりに見るエルデの怒りの表情に、ラウは初めて苦しそうな表情を見せた。

「頭が高いぞ、賢者【二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)】」

 エルデはそう言うと、いつの間に取り出したのか手に持った精杖ノルンでドンっと床を突いた。

 ラウが頭を垂れてのろのろと片膝を突くと、ファーンもそれに倣った。

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