第五十五話 カノナールの復讐 4/4

「父さんが真実を知らないって、どういう事だ?」

 その場で行われた寸劇のような一幕は、当然ながらカノナールに混乱をもたらせた。そもそもカノナールは姉の敵のラウが賢者である事など知るよしもなかったろう。

 だがそんな事よりも彼を混乱に貶めたのはエルデの一言である。今まで仇敵と信じていたダラーラを背負った金髪緑眼のアルヴの女吟遊詩人は、怒りをぶつける相手ではないというのだ。

「今言ったとおりだ。なぜなら本当の犯人はこの私だからだ、カレナドリィの弟よ」

 エルデはそれだけ言うとエイルに視線を向けた。ここは任せろという事なのはもちろんわかった。だがエイルはそれに従うつもりはなかった。

「待てよエルデ」

「黙って」

「黙るもんか。あれはお前が悪いんじゃないだろ?」

「堪忍な」

 エルデはそう言うと続けて小さな声でルーンを唱えた。エルデを中心に光の帯が突然現れ回転し、すっと消えた。それは何度も何度も聞いたお馴染みのルーン。つまり空間軸固定ルーン。カノナールやエコーと違い、エイルは言葉も封じられていた。しかも光の帯、すなわちエーテルが自ら精霊陣を作り出す程強く唱えられたものだ。エルデは本気であった。


「そこに居る賢者は賢者としてのつとめを果たしただけだ。原因は私だ。私がうっかり法を犯した。だから、その場に偶々居合わせた賢者が自分のやるべき事をやった。それだけの事だ」

「それだけの事だって?」

 エイルは感じていた。カノナールの殺意は完全にラウからエルデに移っていた。無理もない。姉の死を「それだけの事」だと軽んじたのだ。もちろんエルデが敢えてそう言った事をエイルはわかっていた。

「カレンは運が悪かった。偶々(たまたま)私と知り合ってしまった。だから命を落とした」

 エルデは簡潔ではあるが、事の次第を順番に話して聞かせた。

 正教会での名を名乗らずに賢者として振る舞う事は大罪である事。

 その場に偶然居合わせた賢者ラウがそれを咎めるのは当然の事であること。

 ラウは正しく自らを守る事を優先し、不用意に接触する事を避けた事。

 確認の為に「手段」を講じたこと。

 エルデと面識があるカレナドリィ・ノイエが極めて都合が良い「手段」であった事。

 そしてラウの行動は『賢者法』により合法であると世界中で認知されている事。

 すなわち、ラウの行動はマーリン正教会による合法行為であること。


「本当にすまない」

 一通り説明を終えたエルデはそう言うとカノナールに深々と頭を下げた。

「むろん謝って許してもらえるとは思っていない。だが、ラウはお前が憎むべき相手ではないということはわかって欲しい。私が言うのも変だが、賢者とは現世の人間にとってはそれほど理不尽な存在なのだ」

 顔を上げたエルデの目からは涙が溢れていた。

「重ねて詫びる。すまない。私に出来るのはカレンをあの姿のまま固定する事だけなのだ。それがルドルフやお前にかえって苦しみをもたらすとわかっていて、それでもそうしたのは私だ。だがあの時も、そして今でも、私がやったことは間違っていると思っている」

 

 沈黙がその場を支配した。

 誰もがカノナールの言葉を待っていた。いつの間にかその場の「処遇」はカノナールの手に委ねられていた。

 やがてカノナールが叫び声を上げた。

 それは言葉にならない、文字通りの咆哮だった。

 おそらくは憎しみと怒り、そして悲しみを全て混ぜ混んだ言葉にならない思いだったのだろう。

 長い叫び声を、誰もが無言で聞いていた。


「お前は何者なんだ?」

 叫び声に続いて嗚咽があった。それが収まると、カノナールはようやく言葉を口にした。

「大賢者ってやつか? それともその大賢者を消したあの化け物みたいなヤツの仲間か?」

 カノナールはニームの一件を知っていたのだろう。その声には違う種類の怒りが込められているようであった。

「後者だ」

 エルデは即座にそう答えた。

「お前は……あの子にも何かをやったのか?」

 ニームが突如エルデに襲いかかった事をさしてカノナールがたずねた。エルデの顔が歪み、新たな涙がその黒い眼から溢れた。

「あの子にとって私は母親の仇……」

「何だと?」

「あの子はそう思い込んでいた。だがそちらは誤解だ。でも、あの子はかわいそうな事をした」

「大賢者だと言っていた」

 エルデは頷いた。

「お前の仲間はそれを簡単に殺した。お前を襲ったからか?」

 イオスの論法を借りるなら、ニームの罪は正確にはそうではなかった。だがそこまで細かい事を説明しても意味はないと判断したのであろう。エルデは頷いた。

「理不尽極まりない話だが、正教会の法にあの子は悖(もと)った」

「じゃあ、お前はどうなんだ? お前はさっき言ったよな? 自分が法を犯したって。お前は罰せられないのか?」

 エルデはその言葉に目を伏せた。

「罰せられない」

「何だと」

 カノナールの言葉に憎悪の色が濃くなった。

「三聖を罰する者は正教会にはいない」

「三聖?」

 エルデは一瞬迷ったようなそぶりを見せたが、自分は三聖ではなく三聖と同じ立場にいるものだと答えた。


「マーリンは、正教会は俺達を守ってくれる為にあるんじゃないのか? なのに……」

 カノナールの問いはファランドールのほとんどの人々の価値観に拠る最も基本的なものであろう。

 全く同じ気持ちを抱えていたエイルにはカノナールの言葉が痛かった。カノナールの叫びはそのまま「あの時」の自分の言葉だったからだ。

 不条理なこの世界の理を知ってしまった今では、その苦しさが増したかのように息苦しい。

 同調したいができない。

 理解できるがもはや受け入れる事ができない。

 エルデはエイルと出会った時から、明らかにその行動が変化した。価値観が変わった事は間違いない。ラウもエイルの知る当初の【二藍の旋律】ではない。

 だがカノナールにそんな事を説明しても何にもならない事もわかっていた。

 それは簡単な言葉で表せる。

 世界が違うのだ。

 エイルがファランドール・フォウと呼ばれる異世界からファランドールにやってきた時に感じた「違う世界」が、同じ世界の中に同時に存在する。

 それは事実でカノナールはおそらく仕組みを理解出来たとしても一生「わかる」事は無い。エレメンタルであるエイルはもはやエルデやラウのいる世界の人間になってしまった。だがカノナールは普通の少年だ。「そういう世界」の存在を頭で許容したとしても、心が納得できるわけがないのだ。

 エイルはだから何も言えなかった。エルデの固定ルーンが解除されたとしてもカノナールにかける言葉を見つけられないのだから。


 だがエイルの心配はそこではなかった。

 エルデが自ら罪を被り、カノナールの憎悪の矛先になろうとしている事が一大事だった。「エイルの側」の価値観を受け入れてしまったエルデは、ファランドールでは実は極めて危うい存在だ。本能が理性に制御される前にエイルを襲ったあの事件で、エルデは自らの罪に対する罰として味覚芽を焼き潰して見せた。

 長く失っていた味覚を、やっとの事で取り戻した食事の楽しさを、エルデは完全に封じたのだ。そんな事ができてしまう今のエルデが今どんな行動にでるのか……。エイルはそれが恐ろしかった。

 カレナドリィの件でエイルはありとあらゆる罵声を浴びせてエルデを責めた。責め続けた。その時のエルデの責めを含めた罪に対する罰を、カノナールをきっかけにしてこの場で自らに下そうとしているのではないか?

 エイルは猛烈に後悔していた。

 今ならあの時のエルデのとった行動が精一杯のものであったことが痛い程わかるからだ。

 そして……エイルの嫌な予感は的中した。


「お前の気持ちはよくわかる」

 エルデはそう言うと額に巻いた黒い包帯状の布を外した。その額に現れた真っ赤な目を見たカノナールは、予想通り目と口を大きく見開いた。

「見ての通り、我々は普通の人とは違う存在だ」

 三聖は生まれながらの異形。賢者は三聖の一族に似せる為に作られた異形。どちらも「普通の人間」ではない。

 エルデはそう言うとちらりとエイルを見てから、改めてカノナールに告げた。エイルにはエルデの目が謝っているように見えた。

(やめろ!)

 エイルは心の中で叫んでいた。エイルが次に口にする言葉が容易に想像できたからだ。


「約束しろ」

 三眼のエルデは穏やかな表情だった。個人差はあるが、ファランドールの人間であるカノナールはエルデの強い感情の影響を相当に受ける。それをわかった上でエルデは努めて感情の起伏を無くしているのだろう。

「今からお前の戒めを解く。その時、その剣を向けるべき相手は私と知れ。お前の剣が私に向かう限り、私は甘んじてその剣によるお前の裁きをこの身で受けよう」

 エイルが予想した通りの事を、エルデは告げた。

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