第四十七話 戦いの果て 2/4

 劇場の端に近いところから舞台の上まで、自分は投げ飛ばされたのだとシーレンが気付くのに、十秒近くを要した。

 後にねじ上げていたはずのエルデの腕が、まるで何の拘束も受けていないかのように動くと、腕をつかんだままシーレンの体を舞台の上のニームのところまで放りなげたのである。まるで棒きれでも投げるかのように。

 起きたことを反芻するシーレンはしかし、自らが体験した事を信じられないでいた。

「おおかた、膂力を上げる強化ルーンでしょう」

「強化ルーンだとしたら、とんでもない倍率だぞ」

 ジナイーダの説明にシーレンは納得したものの、そのすぐ後のニームの言葉を聞くと、相手、つまりエルデが大賢者であるニームをして一目於くだけのルーナーである事を理解した。

「強化ルーンは全部消したのではなかったのか」

 現状把握が出来たシーレンは、既にいつもの冷静な戦士に戻っていた。だから疑問が生じる。それをニームに問うたがすぐに答えは得られないことを知った。

 ニームは興奮のせいもあるのだろう、普段よりも吊り上がった目でエルデの動きを追いながら、既に次のルーンを唱えていた。

 その背後でジナイーダが心配顔でそのニームを見つめている。

「殺すつもりなのか?」

 ニームがいったいどんなルーンを唱えているのかシーレンにはわからない。だが、ニームが憎悪と怒りで冷静さを失っている事だけはわかっていた。だからシーレンが問いかけた相手はジナイーダであった。

 しかし、ジナイーダは首を横に振った。

 クランは複雑な事ではグラムコール随一とされている。残念ながらジナイーダには解析は不能であった。

「そのチビを正気に戻せ。その上でとりあえず、ルーナーと護衛を分断しろ。護衛の方は私が引き受ける」

 そう言って得物を短剣から小型の弓に持ち替え、シーレンはエイル達の動きを目で追いながら舞台を下りた。

「いいか。誰も殺すな!」

 それだけを告げて。


 ジナイーダはあっと言う間にその場から消えた高位の風のフェアリーの最後の言葉を、大いなる違和感を持って受け取っていた。

 最後の言葉はニームに向けられたものだろう。ルーンの詠唱中は答える事は出来ないが、シーレンの言葉は届く。だがニームは眉一つ動かさずに三眼でエイル達の動きを追いながら詠唱をやめようとしなかった。

 ジナイーダの違和感とは、シーレンが人の命を最優先事項とするような台詞を吐いたことである。ともすれば忘れそうになるが、シーレン・メイベルは元ル=キリアの、言わば殺人請負部隊の一員である。目的の為には床に伏したまま動けぬ老人であろうが妊婦であろうがたとえ産湯を使ったばかりの嬰児であろうが、容赦なくその首をはねる事ができる人間なのだ。もちろん賢者とてそれは同様で、むしろ現世の人間の命など、賢者にとっては砂漠の埃ほどの重さもない。

 もちろん意味のない殺戮は禁忌である。しかしもともと賢者としてははみ出し者と言えるジナイーダやリンゼルリッヒはまだ人間に近い価値観を持っていたし、ニームに至ってはおそらくまだ人を殺めたことすらないはずであった。ドライアドのバード庁に入り込んでからは普通の人間の価値観に染まっていったことも間違いないとジナイーダは思っていた。ましてやエスカやスノウ達と交わるうちに、すっかり賢者の価値観など喪失しているとしか思えなかった。

 だが今のニームは「標的」しか見えていなかった。滅しようとする相手以外にその場に命が存在しているなどと猫の髭の先ほども意識していないに違いない。

 翻ってシーレンはどうだろう?

 禁忌などという言葉すら無意味なほど、多くの殺戮を経験してきた人間の方がむしろ、この場で「その他」の命を重んじている。

 ジナイーダはシーレンと初めて出会った時の事を思い出していた。

 あの時、ニームとジナイーダは確かに命令に従わなければ命を奪うと脅され、その脅しに嘘はないと信じていた。

 だが……。

 今の一言でそれが単なる脅しであった事をジナイーダは確信した。

 最初からシーレンはニームの護衛として現れたのだ。ああやってあたかもそれが本当のように脅した方が「それらしく振る舞える」からなのであろう。確かにいきなり護衛だと言われたら、二人とも全く信じようとはしなかったはずである。それこそ隙を見てシーレンを拘束するなりして排除したに違いない。殺意を表明した後で自らの役割を伝える事で信憑性を高めたのであろう。

 シーレンの一言はその考えがまず間違っていないとジナイーダに確信させるのに充分であった。

 その上でジナイーダは「誰も殺すな」と告げたシーレンの意図を理解した。

 二つある。

 一つは本当にこの場で死人を出したくないという、普通の人間が普遍的に持つ価値観から出た言葉であり、もう一つはニームを「人殺し」にしたくないという思いであろう。

 それはもう間違いないとジナイーダは確信していた。だがそうなるとシーレン・メイベルの背後にいるミリア・ペトルウシュカという人間の意図がますます謎を帯びてくる。

 何度かシーレンに訪ねた事があるが、答えは一つだった。

「私は駒だ。ただ与えられた命令に従っているに過ぎない。主の意図など知るものか」

 言葉通りに受け取る事も出来る。だがシーレンと旅を続けるうちに、ジナイーダはそれが嘘だと確信していた。

 シーレンは主(あるじ)であるミリアに心の底から共感しているに違いない。だからこそ、こんな役回りを請け負ったのだ。

 そう。そこには命令ではなくむしろ自発的なものが介在するとしか思えなかった。

 ジナイーダは思った。

 禁忌の自白ルーンを敵に対して使うのならば、ついでにシーレンにも使って、行動の意図を聞きだして欲しいものだと。

 だが、当面はニームだった。

 その場の人間の命など、末席であろうと賢者であるジナイーダとしてはさほど重要視できないのは確かであった。もちろん必要もないのに殺してはならないという基本的な考えは持っている。だが目的の為に犠牲が出る事についての背徳感など微塵もない。その点ではシーレンと完全に同調できるわけではなかった。しかし、ニーム・タ=タンという少女を人殺しにしたくないという思いには強く共感できたのだ。


 ジナイーダがそんな事を考えていたのは、時間にしてほんの十秒程度であったろう。それはニームが長めの詠唱を終えるのに充分な時間であった。同時にエイルとエルデにとってはその仮設劇場から外に脱出するには短すぎる時間であった。

「クリューデファイリュ・アーデラート・アイナセールターリャ」

 認証文を唱え終わったニームは、儀仗セ=レステをエルデ達の方へ向けた。同時に二人の間、即ちニームとエルデの間に真っ白な……いや、色のない光の帯が走った。その帯は一瞬で消えるわけでなく、数秒にわたって存在していた。

 光の帯が消え、舞台から走り去ったニームの背中を慌てて追いかける段になって、ジナイーダにはようやくニームが放ったルーンの内容がわかった。

 単体に対する電撃攻撃。すなわちニームは強力な稲妻をエイルに放ったのだ。しかもおそらく単に稲妻をぶつけたのではない。通常、稲妻はほんの一瞬で消える。少なくともエクセラーであるジナイーダは、五秒近くも一つの的に対して放出され続ける稲妻系の攻撃ルーンなど、見たことも聞いたこともなかった。

 そう。「攻撃ルーン」は。

 だが、稲妻を自分の周りに展開する強化系のルーンの存在は知っていた。それは弱い稲妻を常時纏うことにより、他者からの物理攻撃を跳ね返す、または直接触れることなく近接する者に衝撃を与える効果を持つ強化ルーンである。

 コンサーラであるニームは、その強化ルーンを応用したのである。纏わせるのではなく集束して広く展開させ、結果として光の帯のようなものを相手にぶつけ、攻撃ルーンとして転用して見せたのであろう。もちろんたとえ高位であっても、そんな芸当ができるコンサーラがそうそういるとは思えなかった。

 ニームならではの応用ルーンなのだ。




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