第四十三話 邂逅の知らせ 1/4

 ピクサリア大聖堂のある丘にさしかかると、そこでの催事の規模が尋常ではないことが一行にもわかってきた。

「これはもはや演芸大会という規模を越えてるな」

 ファルケンハインの言う通り、参道の両脇には文字通り隙間無く露店が軒を連ね、およそ手に入らぬものは無いといったありとあらゆる商品が所狭しと広げられる巨大な大市の様相を呈していた。

「骨董もありそうですね」

 ファルケンハインに答えるようにそう言ったのはアプリリアージェであった。

「ランダールの大市の二十倍、いえ百倍くらいの規模はありそうですね」

 その様子が「以前のアプリリアージェ」そのものに見える事をエイルとエルデは顔を見合わせてうなずき合った。

 現時点で冷静なのはたぶん間違いないと思われた。

 それまで手にした情報から、仮に、ではあろうが尾行者を特定し、あまつさえ落雷でその尾行者に自己紹介までして見せたのだ。あの短時間のうちにそこまで考え、そして決断できる人間はそうそう多くないと思われた。そして自失する以前のアプリリアージェならば、間違いなくその少数に含まれる人間であるのは間違いない。

 とは言え今のアプリリアージェの心情は誰にもわからない。だが、冷静さと、そして大胆さを同時に持ちあわせている状態に見えるという事が重要なのだ。なぜなら今のアプリリアージェならばおそらく、もう二度とイオスの館を出発する前に見せたような行動をとる事は無いだろうと思えるからだ。確信は勿論ない。だが、二度とあのような醜態を見せたり「ヘマ」を繰り返すような人間であるはずがないと彼女を知る誰もがそう信じていた。


 一方エイル達の心情などどこ吹く風。童心が常態になっているティアナは、まさに子供らしく、人と、そして露天の多さに興奮していた。

 目を輝かし、「自分を守ってくれる大っきい人」であるファルケンハインの手を引いて、興味を惹いた店の前に座り込んでは一行の動きを止めていた。

 だが、そんなティアナを誰も咎めなかった。

 ティアナに対して寛容である事も勿論だが、特に急いでいるわけではないのも一つの理由だ。その日の目的は、とりあえずは大聖堂に辿り着く事だったからである。

 通行の邪魔になるという理由で、エルデは自分とエイル二人以外の「存在感を無くすルーン」を解除していた。その上で自分達はラウやアプリリアージェたちの陰に隠れるようにしてティアナとファーンを見守っていた。

 そうやって何度かのティアナの座り込みと質問攻めによる停滞の際に、アプリリアージェがある露天の前で動かなくなった。

 それはまさにティアナと同じ行動で、その場にしゃがみ込む事はしなかったものの店頭の商品に興味を奪われた様子であった。

 見ればそこは乾物屋の一種で、無数に並ぶ小振りの樽の中をのぞいたエイルは、様々な種類の乾燥果物を見つけた。フォウでも一般的な干しぶどうや干しトマト、杏子やナツメヤシをはじめ、見たこともないような物もかなりあった。

 アプリリアージェはそんな乾燥果物の一樽を注視していた。

「ふーん。乾燥イチジクか」

 アプリリアージェの隣で同じ樽の中味に目をやったエルデは、独り言のようにそうつぶやいた。

「リーゼの大好物でした」

 アプリリアージェはぽつんとそうつぶやいた。エイルとエルデはそんなアプリリアージェを同時に見つめた。

 だが二人の心配は杞憂だった。そこにいたのは、いつも通りの微笑を浮かべた黒髪のダーク・アルヴであった。

 向こう側、つまり本心が見えないいつもの微笑み。しかし、テンリーゼンの話を聞いた後では、エイルにはそのいつもの微笑がどうしても寂しげに見えて仕方がなかった。

 露天の店先の売り物にさえ、その面影を投影するほど、アプリリアージェにとってテンリーゼンが大きな存在であったかがうかがい知れる。

 ここに至る道中も、空や雲や草や木は勿論、髪を揺らす風にさえテンリーゼンの面影を見つけていたに違いない。

 エイルはそっと手を伸ばして、樽の中の乾燥イチジクを一つつまむと、それをひょいっと口の中に放り込んだ。

 歯の間でプチプチと潰れる種の感触を楽しむ間もなく、独特の甘みが口一杯に広がってくる。だがそれは味覚を一気に覚醒させるような強烈なものではなく、染みいるような優しい甘さであった。しかし乾燥果実特有の凝縮された甘みは、それなりに濃厚だった。

 テンリーゼンが甘いものに目がない事は皆が知っていたことだ。だからこの干しイチジクが好物だったと言われると、エイルはなるほどと思った。

「うん。イケる」

 そう声に出すと、エイルはアプリリアージェに向かってにっこりと笑いかけた。

「そうですか」

 アプリリアージェはエイルに微笑み返すと、ファルケンハインを呼び寄せた。

 そして干しイチジクの樽を指さした。

「これを買ってくださいな」

「これって?」

 アプリリアージェが刺す品物を特定したファルケンハインは納得したような顔でうなずいた。

「なるほど。やや小粒ですが良さそうな品ですね」

 アプリリアージェは嬉しそうにうなずいた。

「味はエイル君のお墨付きですからね」

「いや、オレは一つ味見をしただけだって」

 視線を向けてきたファルケンハインに、エイルはそう答えた。

「干しイチジクの味見役は、ずっとリーゼだった」

 ファルケンハインはそれだけ言うとエイルの肩をポンと叩いた。それがどういう意味なのか、エイルにはわからなかったが、それ以上の説明をするでもなく、ファルケンハインはアプリリアージェに向き直った。

「どのくらい仕入れておきましょう?」

 アプリリアージェは小分けにされた一袋や二袋ではなく、もっと大量に欲しかったのであろう。だからファルを荷物持ちとして呼んだのだ。

 エイルのその予測は基本的には当たっていた。だが、アプリリアージェが口にした量はさすがに予想していなかったに違いない。

「一樽全部お願いします」

「ええ?」

 ファルケンハインだけでなく、エイルとエルデも異口同音に声を上げた。

 小振りの樽とはいえ、とても一人で持てる重さではない。

「だって、赤ワインにとっても合うんですもの」

「いや、それは知ってますが」

「今夜はこれを肴に、とことん飲む事に決めたんです」

 そう言って蕩けるような優しい笑顔でにっこりと笑うアプリリアージェに、ファルケンハインはそれ以上意見を述べる事を諦めた。

 その笑顔を浮かべた時のアプリリアージェは、何人(なんぴと)の意見であろうと耳を貸さないことを経験として知っていたからだ。


「いくらなんでも目立ちすぎやな」

 肩を落としてそう言うエルデの視線の先には、干しイチジクが一杯に詰まった樽を軽々と肩に担いで人混みの参道を歩くファルケンハインの背中があった。

 エルデの言う通り、アルヴがそもそも少ないピクサリアである。デュナンにとってはまず一人で抱えることもできない樽を、当たり前のように担ぐ長身のファルケンハインの姿は格好の見世物と言えた。

 その姿はティアナにも大好評のようで、顔を輝かせながらファルケンハインのすぐ側にまとわりついては色々としゃべりかけている。

 その様子をしばらく見ていたエルデが、肩だけでなく今度は顔まで伏せ、湿った声でつぶやいた。

「見てるウチがこんなに辛いんやから、ファルは……」

 エイルは涙声のエルデの言葉をさえぎった。

「よそうぜ」

 エルデはエイルへ顔を向けた。エイルはしかし、エルデとは視線を交わさなかった。ファルケンハイン達の方に顔を向けたままである。

「エイル?」

「見ろよ、ティアナはあんなに楽しそうじゃないか。はじめは怖がられてあんまり近寄ってこないティアナが、今じゃあんな笑顔で懐いてくれて、ファルだって嬉しそうだ」

 勿論、涙を溜めたエルデの顔はエイルの視界に入っていた。エイルの言葉を受けて、慌てて涙を拭うその仕草も。

「そうやな」

「今の状態を全部否定する事はないさ。特に、あんな楽しそうな時間はそれはそれで大切にしたいとオレは思う。偉そうな事を言うとさ、今の二人を見ていると、幸せの形って色々あるんじゃないかなって思えてくるんだ」

「偉そうというか、その言い回しは年寄り臭い」

「ひどいな」

「でも、そやったらええな、とはウチも思う」

「うん」

「ひょっとしたら、リリアさんはあれを想定して、お大尽な買い物をしたとか?」

「まさか」

 エルデの言葉を即座に否定したエイルだったが、その可能性については完全否定できないと思っていた。

「いやいや、さすがに今回はホンマにワインのアテを大量に買い込んだだけやろけど」

「だよな」

 二人は同時に小さく笑い合った。

「考えてみたら……」

 エルデは遠慮がちに手を伸ばし、エイルの指先を探った。エイルはそれに応え、先にエルデの手を捕まえた。

「ファルのあんな無防備な笑顔、初めて見たかも。アトルに見せたら喜ぶやろな」

 エイルの手をギュッと握ると、エルデがそう言った。もう涙声ではなかった。

「オレもだ。ファルでもあんな顔するんだな」

「ファルでも、は失礼過ぎや。でも、アンタはあんなもんやないもんなあ。もっとだらしない顔してるけどな」

「え? オレが? いつ? っていうかウソつけ」

「ふふ。ウソやないもん」

「だったら言って見ろよ、オレがいつそんな顔をしたんだよ? 何月何日、何時何分何秒だ?」

 エイルの声にやや怒気が含まれていたが、エルデはまったく取り合わなかった。

「子供か!」

「うるさい」

「秘密や。そもそも他人には絶対見せられへんし」

「あ……」

「えへへ」

「えヘヘじゃない」


 ファルケンハインだけではない。二人がそうやってじゃれ合うのも、本当に久しぶりの事であった。

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