第四十一話 悲しみの向こう側 4/6

 ファルケンハインはエルデが知っていた、いや思い至っていた事で、自分の違和感が一気に膨張していくのを押さえようがなかった。

「しかし……」

 そこに話の軸をおこうと食い下がるファルケンハインに、次の言葉をかけたのは以外な事にラウ・ラ=レイであった。

「ユグセル公爵夫妻の事故について疑義を持っているのであれば、賢者会が少し動いた事があると言っておこう。だがそれはすぐに打ち切りとなっている。つまり、そういう事だ」

 賢者会が当時に動いていたという事に、ファルケンハインの驚きは極限に達した。


「今となっては、いえ、当時であっても、そんな事はもはやどうでもいいことだったんですよ、ファル」

 アプリリアージェの静かなその言葉は、ファルケンハインがたった今知りたいと思った事をきれいに覆っていた。

「要するに、今度はお前が同じようなことを誰かに対してやれ、という問いかけだと私は理解していましたから」

「ですがそれではあまりに……」

「あまりに、なんですか? 私がかわいそうですか? それともアプサラス三世陛下とキャンタビレイ大元帥が人でなしすぎますか?」

 微笑みながらそう問いかけるアプリリアージェに、ファルケンハインは投げる言葉を見つけられなかった。

「それは……」

 だが、胸に広がる黒い雲は晴れるどころか密度を増してきてどうしようもない。

「ありがとう、ファル。でも私など本当にたいした事はないのですよ。リーゼに比べたら。いえ……比べるような話ではありませんね」

 ファルケンハインはそこでなぜテンリーゼンの名前が引き合いに出されたのかわからなかった。

「シーレン・メイベル。エイル君たちがエルミナで出会った我らの仲間の、ル=キリアに来るまでの二つ名を知らぬわけではないでしょう?」

 勿論ファルケンハインが知らぬ訳はない。シーレンは特殊な構成員が多いル=キリアでも特別な存在であった。

「凶兵……」

 アプリリアージェはうなずいた。

「凶兵についての黒い噂は当然知っていますね?」

 今度はファルケンハインが頷く番であった。

「ではなぜ、シーレンはそんな実験台になっていたのかは?」

 人体実験の噂は軍でのいろいろとささやかれてはいた。だが結局それは誰にも知らされないまま、終息していったはずであった。

 だが、それをアプリリアージェは知っているのだという。

 今の質問はつまりそういうことであろう。


「凶兵を作りだすような人体実験が、いったい何の為に行われたのか。強化人間を作り、戦場に送り出すため? ふふふ。そんな建設的な目的などではなかったんですよ」

「ル=キリアに来た当時のシーレンを知っているでしょう? 狂い出す前の平時のシーレンは、誰かに雰囲気が似ていませんか?」

 その言葉はファルケンハインに対する説明として、これ以上ないほど簡潔で、かつ的確であった。

 シーレン・メイベル。

 小柄なアルヴィン。

 無表情で、感情が一切表に出ない。

 いや、感情を持っているとはまるで思えない、人形のような存在。

 そう、つまり……

「まさか」

「そのまさかです。リーゼの感情を、心を殺す方法を探るための実験の副産物こそが凶兵だったんですよ」


「何の話をしてるんですか?」

 たまりかねたようにエイルが問いかけたが、それを遮るようにして発言したのはラウであった。

「やはりシルフィードは薬品やルーンによる人体実験をしていたのだな?」

 ラウの言葉はエイルの問いに対する答えとも言えた。

 絶句するエイルに呼応するかのように、ファルケンハインは思わず心臓の上辺りの服を握り締めた。

「ラウ、ファーン」

 続いて叱責するような声がエルデから発せられた。

 だが、その必要はないようだった。

「わかっています。この件は《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》には報告はしません。もとより既にシルフィード軍籍もない、錯乱した女の言葉です。証拠も何も無い。報告すべき程の話とも思えません」

 そう言ってラウがチラリと視線を投げた先にいたファーンは小さくうなずいた。

 ファーンはティアナを眠らせると、すぐに戻ってきていた。

「ラウっちの判断は適切かつ的確。付け加えるならば極めて合理的なものです。その程度のうわさ話なら、賢者会には腐るほど揃っているはずです。だから敢えて我々が三聖さまに報告するような事柄ではないと、そういう結論が私の中で出ました。今」

 あきらかにほっとした表情になったエルデは、視線をアプリリアージェに戻した。

「あのアルヴィンが生き残った事で、同じ手法をリーゼに使った……そう言うんやな?」

 だがアプリリアージェは首を横に振った。

「事実は私にはわかりません。私が出会った時、既にリーゼは『あんな風』だったのです。シーレンの事はずっと後に知りました。同じように幼い頃からキャンタビレイ大元帥の肝煎りで英才教育を施されている者達がいるという事だけは知っていました。おそらく様々な実験をされていて、安全性の高いものだけが順次施されていったのでしょう」

「待ってくれ」

 アプリリアージェの話をさえぎったのはまたしてもエイルだった。

「リーゼについての話はだいたいわかったけど……いや、わからないけど……今の話が全部本当の事だとして、その事をネスティは知ってたのか?」

 アプリリアージェは苦しそうに首を振った。

「それも私が関知する問題ではありません。でも、ネスティの態度を思い出して下さい。想像がつきませんか?」


「ネスティの態度?」

 アプリリアージェの問いかけに、ファルケンハインはエルネスティーネと出会ってからの行動を反芻した。エイルも同じ記憶を辿っているはずであった。

 その事、つまりエルネスティーネがテンリーゼンの身の上に起こっている事を全て知っているのかどうかを裏付けるような決定的な態度にはファルケンハインは思い至らなかった。だが、エイルはファルケンハインが見つけられなかったものに辿り着いたようだった。

「そうか……。だからネスティはリーゼに自分から近づく事はおろか、声をかけようともしなかったんだな」

 エイルの言う通りだった。そう言われて初めてファルケンハインも思い出していた。

 誰にでも声をかけていたエルネスティーネだが、テンリーゼンだけには近寄ろうともしなかった。だが相手はともすればその存在すら忘れそうになる「人形」である。たとえエルネスティーネが声をかけても反応などしない事が「わかりきっていた」ファルケンハインは、それをおかしな事だとは思わなかったのだ。

 テンリーゼンのことを知らないエイルだからこそ違和感を持ったのだろう。だがその違和感もテンリーゼンを知るにつれ当たり前の事として薄らいでいったのだ。

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