第三十七話 クランとペダン 2/5
エルデが自らの体の不具合を、そうやって言葉にする事は今までなかったのだ。
「おい、目を開けろって」
エルデを抱いたエイルが、叫ぶようにそう言うと、エルデはうっすらと目を開けた。そしてエイルの胸に顔を埋めるような仕草で、片目だけをつぶって見せた。エイルにだけ見えるように。
それがエルデの合図なのだと気付くのに、エイルは数秒要した。そのままエルデの頭を抱き、跳ね上がった心臓の鼓動が静まるのを待った。
「大丈夫なのですか?」
ジナイーダが心配そうに声をかけてきた。
「今日は……いつもにも増して体調が悪いみたいで……」
エイルはそう言うと目を伏せた。
「それに治癒のルーンを使った後だから……」
「こうなることが多い、と?」
シーレンの問いにエイルはうなずいた。
「悪いけど、今日はこのまま帰らせてくれませんか?」
エルデの意図……目配せの意味はそこだと、エイルは判断した。偶然の地震が無ければどうするつもりだったのかまではわからないが、このどさくさを利用していったんイオスの館に戻ろうとしているのは間違いないだろう。
(いや、もしかすると……)
エイルはそこである想像をした自分に驚いた。そしてすぐにその考えを振り払った。『その為にエルデが地震を起こした』などと考えるのはさすがに想像力が過ぎると言うものだ。古代ルーンと呼ばれる地殻を操るルーンをジャミールの里で習得しているエルデである。エイルには未知であってもエルデがそれを知らないとは限らない。
だが……。
エイルはあらためて当たりの惨状を見渡し、そして胸に浮かんだ可能性を完全に否定した。
(エルデは、こんな事は絶対にしない)
「……津波」
弱々しい声でエルデがそうつぶやいた。
エイルに抱きかかえられたままの状態だった。
「え?」
エイルは思わず聞き返したが、ニーム達の方が判断は速かった。
「そうか。ここは港湾都市だったな」
足の具合を確かめるようにゆっくりと立ち上がったニームはそう言うと、エイルに対した。
「先ほども言った通り、私はお前達に少しばかり尋ねたいことがある」
エイルはうなずいた。
「わかってます。コイツもそのつもりだったんですから。だけど今日のところは……。オレ達はまだこの町に数日は滞在しています。コイツの体調さえ戻れば明日にでも改めて。場所は指定して貰えばオレ達の方からうかがいます」
「どこかへ行くのではなかったのか?」
「案内人がやってくるのが数日後なんです」
「なるほど」
少しの間思案していたニームは、ゆっくりとうなずいた。
「では勝手な事をいってすまんが、二人でピクサリアまで来ては貰えぬか?」
「ピクサリアって、この先の?」
ニームは再度うなずいた。
「足の傷は治ったが、実を言うと私もこのところ体調が思わしくない。さっきまではすこぶる調子が良かったのだが……」
「まさかコイツの治癒ルーンでぶり返したとか?」
エイルの問いかけに、いや、とニームは首を横に振った。
「私はこんな強力な力を持つハイレーンは見たことがない。体調が悪いのは別件だ」
ニームはエルデの治癒ルーンに改めて礼を言うと、ピクサリアの正教会敷地内にある芝居小屋の名前と場所をエイルに告げた。
「エコーという名のデュアルの娘がいる。彼女を訪ねてくれればいい。そこで私の名を出してくれ。私はニーム。ニームに会いに来たと言えばわかるようにしておく」
「芝居小屋?」
怪訝そうなエイルに、ニームは初めて笑顔を見せた。素直な笑いだと、エイルは思った。キンポウゲの花が黄色くほころぶ様にも似て、エイルの心に穏やかな思いがじわりと湧いた。
「ピクサリアでは大規模な演芸大会が催されているから、ついでに見ていくといい。ここ数日はエルミナの市よりもはるかに賑わっている」
ニームの言葉に、エイルは微笑んでうなずいた。
「サライエ一座か」
屋敷に帰り着いたエルデは、居間の長椅子に座り込むと大きなため息をついた。
「知っているのか?」
「ううん、全然」
「一座の用心棒、みたいな感じなのかな?」
エイルの言う「用心棒」とは、勿論ニーム達三人の事を指している。
「相当な使い手の剣士と、ルーナーが二人。大きい方はエクセラー。あの細かい子はコンサーラ。用心棒としてはなんとも豪華絢爛やな。っちゅうか過剰防衛やろ」
「なるほど」
エルデがそう言う言い方をする時は「違う」と言う意味なのをエイルは知っていた。
「何か気付いた事があるんだな?」
エイルの問いにエルデは険しい表情でうなずいた。
「クラン……」
「え?」
「あの細かい子」
「細かいって……ニームって言う名前の小柄な子?」
エルデの言うとおり、ニームは二人の目にも相当小柄なデュナンに映っていた。むしろデュナンではなくアルヴィンだと言われた方が納得できるほど小柄で、エイルより背が高いエルデからすれば「細かい」などと表現されても納得できてしまうほどだった。
もっとも小柄という言葉を使わず「細かい」という表現を用いているあたり、エルデはニームに対して多少なりとも思うところがあるのだろう。
エイルはそこを知りたかった。つまり、あの三人がエルデにとって敵になる可能性があるのか無いのかが重要なのだ。
「うん。あのニームっちゅう子が使てたグラムコールはクランやった」
店内であの場所を周りの喧噪から独立させたルーン。ニームが詠唱したそのルーンのグラムコールが「クラン」という文法を使っているというのだ。
エルデはクランというグラムコールに聞き覚えがあった。
「クランって、確かルートだよな?」
ルート……数多(あまた)あるグラムコールの基本形と呼ばれる大元の三つの文法、始祖ドライアドの三人の子がそれぞれ競ってマーリンの言葉を人間の言葉に解釈し、言語体系として編んだのだと言われている。その三人の子の名前をとり、世界最古のグラムコールをキュア、ユラトそしてクランと呼ぶ。そしてその三つを特別のグラムコール、すなわちルートと呼ぶ。
月の大戦の時代には、すでに純粋なルートを使うルーナーは限られていた。いや、エルデの話では特殊な儀式で使用される事があるのみだという。
だからエルデはそこが気になっているのだろう。
儀式でも何でもない、普通のルーンとしてルートのグラムコールを唱えるルーナー。それもまだ成人になったばかりだという若さで、である。
エルデはうなずいた。
「三つあるルートの中でも、最も複雑かつ難解と言われてるのがクランのグラムコールなんや。詠唱も他の二つに比べるとかなり長い」
「クラン、人気なさそうだな」
エイルの言い方にエルデは思わず吹き出した。
「なんだよ?」
「いや、エイルが居てくれて、ホンマにウチは救わてれるって思ったんや」
「いやいやいやいや、そう言う笑いじゃ無いだろ? 今のは明らかにオレを馬鹿にした感じだった」
「ちゃうちゃう。人気とか、そういう軽い言葉で一刀両断されたクランのグラムコールがかわいそうになっただけや。というか、そういう評価軸が新鮮で。くっくっく」
エイルは肩をすくめながらも、少し嬉しかった。
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