第三十五話 月白の森羅(げっぱくのしんら) 1/5

 三ヶ月の間、エイルが悲しみに打ちひしがれ、時が無為に過ぎるのを看過していたわけではない。それはエルデとて同様で、むしろ彼らはエルネスティーネへの思いで意識が食い潰さぬよう、狂ったようにある事に集中していた。

 エイルの能力、つまりエレメンタルの力の制御の訓練を行っていたのである。

 訓練と言っても何が正しくて何が効果的なのかなどエイルにはもちろんエルデにもわかりようがない。全てが手探りで、お互いに案を出し合い、明らかに危険であると判断されない限り、それらを片っ端から試していた。闇雲という言葉がこれほど似合うものもないと思われるほどで、おそらく端から見たら滑稽な行動も多々あったに違いない。幸いな事に思いついた訓練が効果的かどうかという結果を出す事に於いて、彼らには圧倒的な利があった。

 もちろんエルデ・ヴァイスという換えの利かないハイレーンの能力を持つ亜神の存在がそれである。

 一つの訓練をおこなう前に、エルデはエイルの様々な体調を調べ上げる。そして訓練の後で再び同じ事をして両者を即座に比較し、訓練の有用性を即座に検討することが出来たのだ。もちろん体調といっても脈拍や心拍、発汗などの生理的な項目だけでなく、いやむしろそれらの項目による変化は付随的なものであり、彼らにとってはエイルが行うエーテルの制御能力の微妙な変化こそが重要であったのだ。生理的な情報であれば同じハイレーンのファーンでも極めて正確な情報を得る能力がある。しかし、微妙なエーテルの状況を把握する能力については、所詮は亜神と人とである。そこには埋める木にすらならぬほどの隔たりが存在した。

 言い換えるなら、エルデのエーテルの感知能力があればこそ、エイルの訓練が成立するのである。

 エイルは、エルデが少しでも有効だと認めた訓練は空き時間を惜しんでやり込んだ。疲労を伴うものばかりだが、意識を失うまで続けた。むしろ意識を失うほどやることが目的であるかのように。

 もちろん、エルデがいるからこそできる訓練法である。いくら疲労しても、たとえ負傷しても、エルデがいれば……命さえあれば、回復するとわかっているからである。


 手探りで訓練をはじめて一月ほど経った頃に、訓練法がいくつかに絞り込まれた。

 最も効果的だとエルデに判断されたのは、妖剣ゼプスを抜刀したエーテルの放出訓練であった。それはエイルが今までずっとフォウで行っていた剣技の鍛錬と重ねる事で明らかな効果を生み出した。

 ゼプス以外の剣を構えても有効性は見られたが、ゼプスを使った時とは明らかにエーテル制御の伸び幅が少ないのだ。

 エイル自身、ゼプスを抜刀した瞬間に自らのエーテルの状態が把握しやすいと感じる程であるから、それはもう議論の余地はなかった。

 さらに一月経つと、エルデがエイルの訓練の補助具として役に立つ事が判明した。

 エルデの仮説では、もともとエレメンタルとは膨大なエーテル供給装置のようなものだと言う。ならば、エーテル制御能力が先天的に高い亜神がその供給装置を制御出来ないものかという案をもとに試行錯誤を重ねた結果、エルデがエイルに触れ、自らがエーテルを制御する精神的な状況をエイルに送り込む事により、それを「なぞる」事で徐々にその感覚を自分のものとして掴む事ができる用になっていったのだ。

 具体的なやり方としては、妖剣ゼプスを抜刀したエイルの背中を抱くようにエルデが体を密着しエイルの動きをできるだけ妨げぬようにしつつ、エイルがやろうとすることに同調し、エーテルのブレをエルデが制御してみせるという方法であった。

 三ヶ月後には、エイルは既に炎のフェアリーとしては例外的な程の力を持つ事に成功していた。

 だがそれは二人にとってただ順調なだけの訓練ではなかった。

 反動があった。いや、反動がある事をエイルは確信していた。

 エルデに、である。

 二人が一体になっておこなう訓練を始めてから、明らかにエルデの失神回数が増えたのだ。回復が専門のハイレーンが、自らの体調を維持できない……。

 それがどういう意味をもつのかわからないエイルではなかった。だがエルデはエイルの心配を頑としてはねつけ、訓練方法の変更を頑なに拒んだ。なぜならたとえ多少の無理はあろうとも《蒼穹の台》との約束を果たさねばならぬからだという。

 イオスが屋敷に訪れた際、炎精……炎のエレメンタルであるエイルをエルデに預ける条件が「力を制御できるように調整する」というものだったのだという。

 時間制限もあった。

「ヴェリタスの雪が溶ける頃までに」

 イオスはそう告げたという。

 到達点が果たしてどの程度のところなのかはエルデにもわからないと言う。それは「これでいい」と思える指標がないということであり、つまり二人は常に全力疾走を強いられているようなものであった。

 

 だが、それでもエルデは冷静であった。たとえ回復ルーンで体の状態はもとに戻ったとしても、精神的な疲労はどうしようもない。それを回復させるのは睡眠や安静ではない。ともすれば逸るだけのエイルに別なやり方が必要だと説き、通常の訓練を休む日を作った。

 休養日は屋敷の外へ出た。屋敷の中にいるとアプリリアージェやティアナを見る事になり、それは精神の休養にならないという判断からである。

 そこで気分転換という名目で、休みの日は二人だけでエルミナの町へ出かけてる事にしていた。

 もちろんそれなりの対策をとって、である。

 エイルはともかくエルデは目立つ。

 ルーンでエイルの髪と瞳の色を茶色に変えるエルデだが、自分の髪の色と瞳の色を変えることはかたくなに拒むからだ。

 エイルの要請に対してエルデは悲しい顔で首を横に振るばかりだ。エイルがエルデの黒い瞳と髪を綺麗だと褒めた事がその理由だと本人は言うが、他にも何か譲れないものがあるのだろうとエイルは思っていた。

 気分転換の為に出かけようとしているにも関わらず、その事でもめていたのでは本末転倒というものだろう。だから二度ほど頼んで断られてからは、エイルはもうエルデの好きなようにさせる事にしていた。

 ただしさすがにエルデも全く無防備にそのままの姿をさらすつもりはないようで、外にいる間はラシフのマントを羽織りフードで頭をすっぽりと覆って、ちょっと見ただけでは髪が見えないようにはしていたし、消すことができなくなった額の目を隠す為に上から黒い包帯を巻いていた。

 もっともそれで完全というわけではないし、別の意味で目立つ可能性があった。だから、エルデは例の「存在感を消すルーン」を併用した。

 もちろん完全に姿を消すルーンではないから、誰にも見られないというわけにはいかない。「そこに誰かが居る」と気付かれ、そのつもりで注視されれば姿は見えてしまうのだ。

 瞳髪黒色の美少女がエルミナの町中でたびたび目撃されているという話にはそういう背景があった。


 前回の事件を踏まえて、エルミナ側の出口は既にある屋敷の正面玄関とは別に設置された。利便性を考えると出入りがしやすいようにする事も重要だったが、何よりも現在の出入り口が危険であるという判断であった。

 物資と情報の入手を考えても、エルミナへの行き来は重要だというエイルの提案はエルデにもラウにも受け入れられ、二人がかりで複数の出入り口が作られた。

 エルミナ側の二カ所はエルデが担当し、いざというときの為にと物資補給基地でもある近郊の集落であるピクサリアにもラウが強固な精霊陣を施していた。


 気晴らししの町歩きという名目ではあったが、二人には別の目的もあった。

 人捜しである。

 もともとエルデは賢者二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)の使者に扮してエルミナの正教会から。

 別経路としてベックが調達屋組合を使って。

 探していたのは「ある人物」で、それはとあるリリス鍛冶である。

 エルネスティーネとティアナの為に二振りの懐剣を鍛え上げたと言うファルケンハイン・レインの父、クレメンス・レイン。それが「尋ね人」の名である。

 その先には、懐剣に精霊陣を仕込んだルーナーを特定し、ティアナが受けた呪法を完全解呪するという目的があった。

 もちろん懐剣に鍛え込んだルーナー本人でなくとも、強力な解呪の力を持つ高位のコンサーラが見つかればそれでもよかった。

 エルデとコンサーラであるラウが解読を試みてはいたものの、発動後にどうやら埋め込まれていた呪法の一部が揮発しており、既に壁に突き当たっていた。呪法を専門とする人物の力がどうしても必要なのだ。

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