第二十三話 雨の檻 4/4

「捕まえたぞ、エルデ」

「エイル……」

「ずっと、こうしたかった」

 エイルはエルデに回した腕に力を入れた。

 対してエルデの体からは力がどんどん抜けて、自立する事も難しくなっていった。エイルはそんなエルデをしっかりと抱きしめ、倒れないように支えた。

「好きなんだ」

 エイルの思いを込めた言葉は短かった。だが、それは間違いなくエルデに届いた。

「うう」

 反射的に何かを言おうとするエルデの口を塞ぐように、エイルはエルデの頭を胸に押しつけてさらに強く抱きしめた。

「オレはお前が好きなんだよ。そんな事くらい、お前ならとっくにお見通しだろ?」

 エルデは拘束された頭をなんとか振って見せた。エイルは腕の力を弱めた。


 ひょっとしたらそうかも知れないとは思っていた。

 もしそうならいいな、とも思っていた。

 でも、結局本気で選ばれる事はないだろうとも思っていた。

 エイルが最後に選ぶのは、亜神ではない。人間の少女に違いないと。

 だが、エイルはエルデの弱気を完全に否定した。

「オレは言ったぞ。お前が大好きだって言った。今度はお前が答えてくれ、エルデ。お前はどうなんだ?」

 エイルはそう言うと、エルデに回した腕の力を抜いて、エルデを長いすに座らせ、自分もすぐ横に腰掛けた。そしてお互い半ば向き合うようにすると、エイルはエルデの両肩に手を置いた。

 冷えた肩に載せられたエイルの手は温かかった。

「でもウチは……あっ」

 うつむこうとするエルデの顎を、エイルがそっとつまんで上を向かせた。

「ウチは、口が悪いし……」

 エルデは逆らわなかった。エイルの目をじっと見つめてそうつぶやく。

「知ってる」

「皮肉屋やし」

「知ってる」

「すぐムっとするし……」

「知ってる」

「ネスティの方が可愛らしいし」

「ネスティが可愛いのには同意するけど、オレは今のお前の方がずっと可愛いと思う」

「うう……」


 精杖ノルンが床に落ちた事で、二人の顔は下から照らされていた。そんなぼんやりした光の下でも、エルデの顔が一気に上気したのがエイルにはわかった。

「そやかて……」

「なんだよ?」

「ネスティの金髪はきらきらしてて綺麗やし、目も緑で華やかで……」

「アルヴィンの特徴だからな」

「む、胸も……着やせしてるだけで実はネスティの方が」

「頼む、あの事はもう忘れてくれ。あれはその……本能に流されただけで……すまん、言い訳はもうしない。でもオレはああいうことは本当はお前としたいんだよ!」

「え? いいいい?」

「仕方ないだろ? 好きになったらそう思うのが普通だろ?」

「で、でもでもでも、ウチはネスティと違うて背は小っちゃくないし、むしろアンタよりちょっとだけ背が高かったりするし」

「背の高さが関係あるのかよ?」

「関係……ないのん?」

「ないってば」

「でも、ウチは、その……そう言うの奥手やし」

「いや、今はそっちの話はやめよう。オレがお前の事を死ぬほど好きだっていう話だ」

「し、ししししししし死ぬほどって……」

「落ち着け」

「うん」

「よし。今言ったのは本当の事だ」

「ええええええ?」

「だから落ち着けって」

「いやいやいやいや、でもウチは……亜神やし、人間やないし」

「そんな事、とっくに知ってるって」

「そやかて、人にとってはうちは化け物……なんやで?」

「わかってるって言ってるだろ? でもお前に喰われるんなら、オレは本望なんだよ」

「そんなん、アカンやろ? アンタは死ぬだけやけど、残されたウチが死ぬほど後悔するやん!」

「そんな事オレが知るかよ、オレが死んだ後の事なんか、オレにとってはどうでもいいんだよ。後悔したくなかったらオレを喰うのを我慢すればいいだろ?」

「いや……さっきから喰う喰うって、人聞き悪すぎるやろ、喰うわけやないから」

「エルデ」

「はい」

「落ち着け。まずは深呼吸してみろ」

 エルデは素直に深呼吸をおこなった。


「どうだ?」

「お、落ち着いた」

「よし。じゃあオレの話をちゃんと利いてくれ」

「ちゃんと聞く」

「前に言ったよな? オレの血で良ければお前に全部やる。これはかっこつけてるわけじゃなくて、本気なんだ」

「でも……ウチは三眼なんやで? 額にもう一つ、あの真っ赤な目があるんやで」

「二つ目だろうが三ツ目だろうが、お前はどっちだってすごく綺麗だ。俺が言うんだから間違いない」

「嘘や」

「嘘じゃない。嘘だと思うなら赤い目を開けて見ろ。証拠見せてやる」

「し、証拠?」

「ああ、証拠だ」

 エイルは挑発しているつもりはなかったのだろう。だがエルデはそれでも逃げ道を探していた。だがなぜ逃げ道を探す必要があるのかすらエルデにはもうわかっていなかった。おそらくは極度の緊張とある種の恍惚が生んだ混乱状態であったのだろう。

 だから挑発に乗ると言うよりもむしろ、言われた事に素直に従い、三番目のまぶたを開き、赤い瞳でエイルを見つめた。

 そして三つの目を大きく開いた時だった。


「……」

 最初は開かれた赤い三眼のまぶたに「それ」が触れた。熱く、柔らかい「何か」だった。初めて感じるその違和感に、エルデは思わず目を閉じた。すると今度はエルデの唇にその感触が広がった。

 混乱の中でも、それが何であるかはエルデにもはっきりとわかった。エイルの唇が重なったのだ。そしてそれは触れるだけでなく、今度はゆっくりと押しつけられた。

 エルデは再び訪れた感情の一瞬の空白の後で、今度は確かに自分の意思でエイルの思いに応じた。ゆっくりとではあるが、強く、自ら唇をエイルに押しつけたのだ。

 重なる唇の感触に、思わず小さな吐息が漏れた。

 一度離れた唇は、しかしすぐに互いに引き合うように元の状態に戻った。今度はさらに強くお互いを押しつけ合う。一度目よりも長く、そして吐息も熱くなる。

 また離れる……今度はお互いの顔を見つめ合えるくらいに離れたが、すぐにまた引き合った。そして互いに閉じていた唇を割り、互いを深く探る為におそるおそる舌を伸ばし、求め合った。

 三度目の口づけは長く続いた。互いが互いを自分のものにしようと戦っているかのような口づけが終わると、極限まで高まった鼓動を互いに感じながら、今度は抱きしめあった。


「ウチ……めんどくさい女やで?」

「今回の事で、つくづく思い知らされた」

「わがままやで?」

「それは知ってる」

「めっちゃ嫉妬深い……と思うで?」

「オレはお前しか見えないから」

「う、嘘ついたらアカンやろ」

「だからもう、あれは忘れてくれ。人間の本能の恐ろしさをオレは身をもって知った、それだけの事だ」

「一度ある事は……」

「お前がいると思えれば、もう絶対に無い」

「……ほんま?」

「当たり前だろ? お前以上に美人で可愛いやつなんか、ファランドールにも、フォウにもいるもんか」

「三つ眼……でも?」

「オレ、今のその……三つ眼のお前とキスしたんだけど。それに言っとくけど、今だってすごくキスしたい」

「う、うちかて……」

 言い終わる前に今度はエルデから口づけを求めた。四度目の口づけは三度目よりも長く続いた。


「あ」

 口づけの後、二人は無言で抱き合っていたが、エルデが何かを思い出したように顔を上げた。

「今度はなんだ?」

「えっと、今気付いたんやけど」

「だからなんだよ?」

「ウチはたぶんめっちゃ『甘えた』やで? って言うか、甘えたい。思いっきり甘えたい」

 エルデはそういうと抱きしめる腕に力を込めた。

 エイルも同じように力を強めた。

「オレはさ。誰かに甘えてもらった事がないんだ。だから、甘えられるのは嬉しい。すごく嬉しい。いや、きっと嬉しい以上だ。エルデが甘えてくれると、幸せな気分になると思う」

 エイルの答えを聞いたエルデは、再びエイルの唇を求めてきた。エイルがそれに応える。そして口づけが終わると、少し落ち着いた声でエルデがつぶやいた。

「それから……ウチは、エレメンタルの監視者とか三聖との兼ね合いとか色々あるけど……」

「全部ひっくるめてオレも関わる。関わらせろ。今更何があってもオレの気持ちが変わるわけないだろ?」

「うん……おおきに」

「だからお前の気持ちが聞きたい。態度だけじゃなくて、言葉にして欲しいんだ。それがあればもう、オレは絶対に迷わない。お前に向かって、二度とあんな事は言わない」

「エイル……」

「うん」

「エイル……」

「ああ」

「ずっとずっと前から……ウチはアンタのことが好きや」

「そうか。ありがとう、エルデ」

「今も好きや。大好きや」

「うん」

「この先も、死ぬまでずっと大大大大好きや」

「うん、オレもだ。大好きだ、エルデ」

「ウチなんか、死んでも、ずっと好きやから」

「オレもだ」

「これ、夢やないよね? ウチ、夢見てるんやないやんね?」

「それはオレのセリフだ。お前がオレのものになるなんて、ファランドールを、いや宇宙を手にするより嬉しい」

「それは……いい過ぎや」

「いや、言い足りないくらいだ」

「あほやな、エイルは……ウチみたいなどうしようもない女を……短気やし怒りっぽいし、嫉妬深うて独占欲だけは強いくせに実は依存心高いし、自意識過剰で見栄っ張りで、オマケに意地っ張りやし、それに……それに」

「おっと、それ以上オレの好きな人の悪口を言うな!」

「え?」

「今度言ってみろ、オレは全力でそいつの口を封じてやる」

 口調とは裏腹に、エルデの目に映るエイルの表情は、かつて見たことがある優しさと同じ色を纏っていた。エルデはこみ上げる衝動のままにエイルの胸に飛び込み、六度目の口づけを、甘く、そして狂おしいほど熱く長く交わした。

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