第二十一話 小さな戦争 2/6

 二人のやりとりを心配そうに見つめていたエルネスティーネだが、ラウの勝ち逃げのような終息宣言をエウレイが受け入れるのを見て胸をなで下ろしていた。

 エウレイの言葉次第では、間に割って入ろうとして身構えていたのだ。だがそれは無意識下の行動であった。

「たぶん、大丈夫ですよ」

 隣に座っていたアプリリアージェにそう言われ、肩に手をかけられた時にエルネスティーネは初めて自分の行動を認識したのだから。

 無意識に……椅子から腰を浮かせていたのだ。言葉よりも先に体が動いていたのである。

「それに大賢者様もファーンの事を『道具』だなんて本心で思っている訳はありませんよ。そう思いませんか?」

 おそらくはアプリリアージェの言う通りであろう。

「そうですね」

 エルネスティーネはそう言うとゆっくりと椅子に腰を下ろした。意識してできるだけ深く座り直すと、静かに深呼吸をした。

 自分が熱しやすい性格である事をエルネスティーネは自覚していた。問題はその制御である。王宮で暮らしていた時には問題無く淑(しゅく)とした王女を演じることができていた。だが舞台である王宮を離れた時、すなわち演じるべき王女という役を失ったエルネスティーネは、それまでどうやって「自分」を制御していたのかを、ここにきて思い出せなくなっていた。

 アプリリアージェの一言はエルネスティーネに自分を見つめるちょっとした時間を与え、そしてエルネスティーネはそれにより自分のいらだちの原因に気付いた。

 小さく息を呑んだエルネスティーネは膝の上に置いた拳を固め、隣に座って微笑むダーク・アルヴの顔をじっと見つめた。

「リリアに、折り入って頼みがあります」

「はい?」

 エルネスティーネの真剣な眼差しにただならぬ気配を感じたアプリリアージェだったが、そんな事は一切表情に出さず、いつもと同じ微笑のまま首をかしげてみせた。



********************



「来てくれてありがとう、エルデ」

 その日……ファーンが「ツイフォン」でイオスの来訪を告げた日の夜半であった。

 ためらいがちなノックの後、エルデは招きに応じて部屋の扉をゆっくりと開けた。部屋の主であるエルネスティーネは優雅で丁寧なお辞儀をもって真夜中の来訪者を迎えた。

 エルネスティーネの芝居がかったその態度がエルデの出鼻をくじいたらしい事は、出かかった言葉を飲み込むようなエルデの表情でそれとわかった。

 第一声から毒づく事で自分の形をつくるエルデの話術に対抗する為には、隙を与えない態度をとるのではなく、最初に隙を作る必要があるとエルネスティーネは判断した。すなわち予想もしていなかった王族らしい隙の無い最高のお辞儀による出迎えは、勿論エルネスティーネが用意していた「戦術」であった。

 端から対決する構図を作り上げるのもいい。それでも今のエルネスティーネにはエルデに一歩も引けを取らないという自信があった。だがエルネスティーネには、戦う前にまずは言っておきたい事と、エルデに尋ねたい事があった。その話が言葉の応酬の中で埋もれてしまうのはお互いにとって得る物がないばかりか、肝心な話もできなくなる可能性があったのだ。即ちわざわざアプリリアージェを使って「場」を作った意味が無に帰す。だからそれは避けたかった。

 そもそもエルデの懐には「エルネスティーネから逃げる」という切り札がある。その切り札を封じる第一歩としても、この場をまずは自らの支配圏とする必要があったのだ。

 硬軟を自在に使い分けてこその交渉術である。エルネスティーネは王宮時代に随分長くそれを学び続けていた。

 交渉術などは生来備わった性格を生かす形で上積みするものである。歴史や文法のように、決まり切った法則や事柄があり、それを覚えればいいだけという、知識による学問ではない。学問とは言え、それはむしろ剣技などに近いものだ。

 だがどちらにしろ基本は大事である。

 短剣が合う者、槍が得意な者、矢を自在に放てる者。それぞれの特性を見るには、まずそれらの武器全てをじっくりと試してみないとわかりはしない。

 父が両手剣の戦士だったから自分も跡を継ぐ、あるいは憧れの英雄が槍使いで、それを真似るなど最初から自らの得意な武器を決めつけている者も多い。それもいいだろう。だが、その者が持つ特性は違うところにある可能性もあろう。さらに言えば全てに対して非凡な才を持っている者も多い。

 エルネスティーネは様々な教育を受けながら、自分がこれと言って得意なものがない事に気付いていた。

 だが交渉に関わる話術や他人の心理の読み方などの講義はなぜか幼い頃から好きだった。

変わり身であるイースとエルネスティーネの一番の違いは外見や表面的な性格などではなく、実はこの部分であったのかもしれない。

 好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、実際にそれを活用する場面は多くはなかったが、イースと二人きりでいる時は、いつも物事の主導権はエルネスティーネが握ることになってしまっていた。

 もっともエルネスティーネはそれを意識した事は無い。今回のエルデとの対面で、初めて自らの能力を吟味して客観的に評価する機会を得たと言える。そしてエルネスティーネは対等の条件下であれば、エルデに対してさえ自分の方が優位であると判断していた。

 だから会話になる前に会話そのものが成り立たなくなる状況に陥る事だけは避けたかったのだ。

 つまり会話さえできればエルネスティーネは自分の目的がほぼ達成されるだろうと確信していた。

 一見すると、エルデは話術に於いてもその場を支配するだけの強い能力を持っているように見える。しかしエルネスティーネの分析ではそれらは全て「後出しじゃんけん」だった。相手に対する優位を前提にした誘導会話のようなものがほとんどなのだ。

 勿論それはエルデの持っている並外れた演算能力と、豊富に蓄えられた知識によるものであり、エルデの力そのものと言える。加えてエルデは高位のルーナーであり、そもそも人の上に立つ、「人間とは別の生き物」である。会話や交渉ですら支配できるのは当然であろう。

 だが、条件が対等であったならどうか? 

 しかもそれが知識や演算能力などといったものとはあまり密接な位置にはない事柄に関するものならどうだろう? 

 そこでは並外れた頭脳など、そもそも意味を成さない。経験値もお互いに持っていない。知識についてはおそらく相当の差があると思われたが、そもそもそんなものは役に立たないだろうとエルネスティーネは判断していた。


「それにしても」

 意表を突かれたエルデがなんらかの言葉を発する前に、エルネスティーネは自ら言葉を発した。

「その豊かな黒髪と黒い瞳は、真夜中の訪問者としてふさわしすぎますね」

「な……」

「まさに『できない易者』ですね」

「え?」

「どうしました?」

「いや……最近はますます原型が推測できない方向に向かってるような気がするな、と。もしくは私に類推力が足りないのかもしれないが、そうは思いたくないというか」

 エルデは相変わらずの南方語で独り言のようにそう答えた。

「何の話ですか?」

「何でもない。こっちの話だ。それより……」

「さあさあ、いつまでもそんなところに立っていないで、こちらへどうぞ」

「ち、ちょっと」

 エルネスティーネは駆け寄ってエルデの手を取ると、そのまま強引にテーブルの方へ引っ張っていった。

 そこには既に紅茶が用意されていた。

 どこから調達したのか、赤いジャム付きの小さなクッキーも添えられている。とはいえ出所がベックなのはおそらく間違いはないだろう。

 エルデは小さなため息をつくと、ベックの仕入れ帳を一度吟味する事を決心した。

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