第十四話 アキラの正体 6/6
「それからこれも付け加えておきます。『エスカ・ペトルウシュカの命令でもありません』とね」
アプリリアージェはその言葉を受けて目を細めてアキラを見つめた。
「今日は驚きの連続です。あなたがエウテルペ大佐であった事は我が人生でも五本の指に入る驚きでしたが、今の一言はその上を行きますね」
「さすが、と申し上げるしかありません。『事』が始まっても、あなたとは戦いたくないというのが偽らざる今の気持ちです」
「風のエレメンタルを力尽くで奪おうとしない限り、敵と味方になることは無いでしょう」
「力尽くでなければよい、と?」
「力尽くで押し倒すのはかまいませんが、そんなことはなさらないでしょう?」
「参ったな」
アキラは苦笑するともう一度頭を掻き、
「一つだけ教えて欲しいのですが」
そうアプリリアージェに声をかけた。
「一つと言わず何なりとお尋ね下さい」
「それではお言葉に甘えて。あなたは私の正体を知っている事をここで明かす事によって自分の身に危険が及ぶとは本当に考えなかったのですか?」
「その問いに答える代わりに私から一つうかがいます。私がわざと一人だけになったとは考えなかったのですか?」
「わざと無防備な状態を作り出し、事があったら隠れているリーゼが動き出すのではないかと恐れていましたよ」
「おやおや。これは私の現状把握が間違っていたようですね」
「と言うと?」
「あなたは私ではなくリーゼを恐れて手を出さなかったという事実を知って、少々薄ら寒い気分になったという事です。有り体に言えば今私は誇りを傷つけられてご機嫌斜めという状態です」
「お言葉ですが…」
「私の速度や剣技ではあなたにはかなわない、と?」
そういうアプリリアージェの表情はかわらなかった。少なくともアキラには機嫌良く微笑んでいるようにしか見えない。
「私の口から申し上げるのははばかられますが、まあそういう事です」
「なるほど。あなたの勘違いがこの場で起こったかもしれない惨事を未然に防いだという事ですか。皮肉なものですね」
そしてアプリリアージェの次の言葉には、明らかに皮肉の色が込められていた。
「命拾いをしましたね、エウテルペ大佐」
ピクリとアキラの眉が動いた。
「私に剣技で勝てると?」
「いえ。私はあなたの本気の剣技を存じませんから剣技で勝てるなどとは言えません。それよりも私の剣技を知っているあなたが『勝てる』と思っているのですから、おそらくそうなのでしょう」
「では、どういう意味でしょう?」
「あなたの勘違いとは、私がここで剣を使うと決めつけていた事です」
「と、いうと?」
「あなたは私がフェアリーだという事を忘れています」
「え?」
アプリリアージェは、論より証拠だと言うと、すぐ側にあった船倉の扉に手を差しのべた。その瞬間、パンっという乾いた音がしたかと思う間もなく、扉の取っ手が煙を上げ始めた。よく見ると取っ手の付け根部分が焦げていた。
「私の雷は、リーゼの剣よりも速く複数の人間を貫くことができるのですよ」
そういうアプリリアージェの笑顔から目を逸らすと、アキラは唇を噛んでゆっくりと息を吸い込んだ。
「そんな力は反則ですよ、リリアさん」
「私も自分のこの力が恐ろしくて恐ろしくて……」
悪びれもせずにそういうアプリリアージェの笑顔を見ていると、アキラはたとえ勘違いであったとしても、自分の決断を褒めてやりたい気分でいっぱいになった。
表情に余裕があったのは、はったりなどではなかったのだ。
アプリリアージェが一人になっていたのも、もしかしたらそうすることによってアキラがしっぽを出すのではないかと本当に考えたからであろう。
普通の人間相手であれば、まず負けることはあり得ないという余裕があればこその行動であり、表情なのだ。
「と、まあ戦闘力の差の話は後付けです。その前にあなたは決して私の命を奪おうとはしないだろうと高をくくっていたことを白状しておきます」
「それはまたなぜ?」
「言ってもいいのですか?」
アプリリアージェは意味ありげにそういうと、チラリと背後のミヤルデを見やった。
「かまいません。どうぞ」
「では申し上げましょう。甘いと言われるかもしれませんが、ネスティを好きになってしまったあなたに、本気でその仲間の命が狙えるとは考えていませんでした」
「う」
アキラは虚を突かれ、思わず唸った。
視界にミヤルデの顔が凍り付く様があったが、今はミヤルデの事について考えるのはやめた。
アプリリアージェが本心でそう言っているのだとすれば、それはまさに「勘違い」である。あの緊張感の中、アキラにはエルネスティーネの事を頭に思い浮かべるだけの余裕はなかったのだから。
何の事は無い。勘違いによる無防備は、勘違いによってその勘違いを形としては全うできたのだ。
そしてアキラは改めてアプリリアージェの言葉を噛みしめていた。
エルネスティーネを悲しませずに済んで良かった、と。
心優しい王女は、アプリリアージェが死ねば勿論だが、アキラがアプリリアージェの手にかかった事を知っても、そしてアキラの正体を知らされてもなお、心から悲しんで涙を流したに違いない。覚醒し、王の風格を纏うようになったエルネスティーネならばなおさら深く悲しむに違いないと。
「最初にクレストが描かれた手鏡を出された時から思っていた」
アキラはゆっくりと視線を自分の下、つまりアプリリアージェの顔に向けながらしみじみとそう言った」
「え?」
「あなたにはかなわない」
「ああ……」
アプリリアージェもアキラにそう言われて当時のことを思い出したのだろう。おかしそうに笑った。
「買いかぶり過ぎもよくありませんよ。なぜならあなたはその気になればアプリリアージェ・ユグセルを後ろから数百回斬り殺す事だってできたのですから」
アキラは肩をすくめるとくるりと背中を向けた。
「立ち話が長くなりました。では操舵室へご案内します」
文字通り背中を向けたアキラに、アプリリアージェが声をかけた。
「そうそう、さっきの話ですが」
「はい、なんでしょう?」
「やはりこの船は私がしばらくお借りしようと思います」
「え?」
「あら? あなたがそうおっしゃったのですよ。私なら船長としてこの船を動かせると」
結局アプリリアージェは冗談ではなくエスタリアの州兵を全て引き上げさせ、自分達だけで船を出帆させることにした。
帆船を操作した事がほとんどないにもかかわらず、である。
アキラは無謀な判断だと常識的な意見を述べたが、アプリリアージェは事も無げにこう答えたのだ。
「経験上、何の問題も無いと申し上げているのですよ、陸軍の大佐殿」
中型船までであれば、ル=キリアなら二人でも操ることが可能なのだという。
「海戦をしながらであれば勿論ムリでしょうが、ただ船を海の上に滑らせるだけなら、二人居れば充分です。今回は戦闘はない上にル=キリアは三人もいます。余裕といっていいでしょう」
そう言われては、アキラとしてはもう何も言い返せなかった。
いったん相手の素性を知ってしまった以上、アプリリアージェとしても異分子のいない状況に仲間を置いておきたいと思うのは無理からぬ事である。
それはもはやアキラの同道の有無は問題ではない。
さらにアプリリアージェが余裕の表情でそう言い切るということは、本当に余裕なのだと思うほかないのである。
果たしてアキラは、風も吹かぬ凪の時間にゆっくりと桟橋を離れるエスタリアの軍船に大きく手を振っていた。
甲板で小さな体を精一杯伸ばして両手を降り続けるエルネスティーネの姿を追いながら、アキラは背後にいるミヤルデの事を一体どうしたものかと考えていた。
それがアプリリアージェ一流の軽い悪意なのだという事に気付いたのは、人物が点になるほど船が遠くに行ってしまってからであった。
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