第十四話 アキラの正体 5/6
「あなたには驚かされてばかりいる」
しゃがれた声になるかと思っていたアキラは、存外まともに落ち着いた声が出せた自分を内心誇らしく思っていた。
「それを言うなら、私こそ本当に驚きましたよ」
「いつわかったのです? アキラという名前はツゥレフではありふれている。アモウルと言う名前は墓標用で他人に知らしめる事はない。名前では特定できないはずだと自負していたのだが」
アキラの言葉を聞いて、アプリリアージェはくすくすと笑い声をたてた。
「わかったのはたった今ですよ、大佐」
「え?」
「あなたがただ者ではない事は最初からわかっていました。でもまさかドライアド軍、しかもスプリガンの司令だったとはいくらなんでも想像すらしていませんでした」
アプリリアージェの答えに、アキラはめまいを覚えた。自ら正体を明かしたのだと指摘されても覚えがない。完全にアプリリアージェの術中にはまった事は受け入れたとしても、納得がいかなかった。
「あなた自身の口からエスカ・ペトルウシュカという将軍の名前が挙がらなければ、アキラ・エウテルペという人物に辿り着くことは不可能だったでしょうね」
アプリリアージェはそう言っていつものように包み込むような笑顔をアキラに向けた。
「ペトルウシュカ侯爵家の兄弟仲の悪さは有名です。あなたが持っているのは公爵符で、そもそも兄のミリア・ペトルウシュカから託されたもの。たとえペトルウシュカ家の実権を握っているとしても、弟が兄の公爵符を持ってきた人間を快く思うはずはないと考えるのが普通の人間ではないでしょうか?」
アプリリアージェのいう事はもっともらしかった。
だが、兄と弟両方と懇意である事も考えられるのではないのか?
「勿論、兄弟共に懇意にしている可能性も考えました」
アキラの胸の内を見透かしたようにアプリリアージェはそう続けた。
「でも、私達はあなたと出会ってからこっち、ただの一度もあなたの口からエスカ・ペトルウシュカという人物についてうかがったことがありません」
その言葉を聞いてアキラは唇を噛んだ。
そうだ。
エスカの名を出してしまうと、アキラという名前から連想をされては困ると思い、一切口にしなかったのだ。
それが「不自然」だと思われたわけである。
裏目がさらに裏目に出たという事であった。
「『エスカ・ペトルウシュカに渋い顔をされたが、結果としては協力してもらえた』あるいは『叩き出されたが知り合いが居たのでその人を通じて食い下がり、なんとか用意できた』という話を聞いてれば、実に自然に『お疲れ様でした』と感謝だけしていたにちがいありません。それだけあなたは完璧に近い身分秘匿が出来ていたのですよ、今まではね」
「たったそれだけの事で……ですか?」
人物特定に至ったアプリリアージェの違和感についての話を聞いてもなお、アキラには納得がいかなかった。
「最初に言いましたが、あなたがただの笛吹きではない事はわかっていたのです。ただどの陣営の人間かまでは特定出来ていなかったのですよ」
「そうでしたか」
「そうそう、もう一つ。人間というものは知った振りをするより知らぬ振りをする方が難しいということも覚えておいて損はないですよ」
アプリリアージェは思い出した様にそういうと、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこには険しい顔をしたミヤルデとセージが剣の柄に手をかけていつでも抜けるような体勢を維持していた。
「戦う必要は無い。二人とも構えを解け」
アプリリアージェが後ろを向くと同時に、アキラはそう声をかけた。
アキラは理解した。アプリリアージェが後を振り向こうとした瞬間に、今の言葉の意味が体に染み渡った。
知っていたのだ。二人がアキラの部下だという事を、アプリリアージェは初見で気付いていたのだ。だから様々な予想が既に用意されていて、消去法あたりを使えば正体にたどり着くのはさほど困難なものではないだろう。
謎を解く人間がアプリリアージェ・ユグセルであれば。
そんなアキラの予想を、しかしアプリリアージェは簡単に超えてみせた
「あなたは、アモウルさん……いえエウテルペ大佐が好きでたまらない……ですよね?」
「え?」
「ええ?」
最初の声はアキラ、次に上がったのがミヤルデの声だった。
「アモウルさんをチラリと見ては視線を反対側に逸らす……その繰り返しですよ。指示を仰ぐためならそんな視線の動きにはなりません。大方アモウルさんから『私の事をあまり気にかけるようなそぶりは見せるな』と言われていたのでしょうね。でも見ないわけにはいかない。見てしまうと見入ってしまう……現に私が認識しているだけでもこの中尉さんは三回ほどあなたに見惚れていましたよ」
アプリリアージェの指摘に、アキラでもミヤルデでもなく、最初にセージが観念したように目を伏せた。
当のミヤルデはと言えば顔を赤くして引きつった表情を浮かべたまま固まっていた。
「降参です」
アキラはそういうと、とりあえずミヤルデを喪失状態から救い出した。その一言は、アプリリアージェの視線を自分に向けさせる為のものであった。同時に、戦う意思も、そもそも敵意すらないことを示すためでもあった。
そうは言っても、アプリリアージェのとんでもない指摘にアキラも思わず短時間、言葉を失っていた。それでも当然ながら動揺の程度はミヤルデほどではなかったのだ。
「それで、どうするつもりですか?」
こうなったら腹を割った話をするしかない。
アキラは切り替えた。
ミヤルデの事は……後でなんとかするしかないと思いつつ。
「どうする、とは?」
再びアキラに向き直ったアプリリアージェは首をかしげた。
「いや、ル=キリアの司令とスプリガンの司令がこうやって相まみえてしまった訳だが」
アキラの言葉にアプリリアージェは今度は声を出して笑った。
「あははははは」
「何がおかしいのです?」
「あははは。おかしいでしょう? でもなぜ私が笑っているのかわからないのであれば、敢えて言いましょう。『今更何をおっしゃるのですか?』と」
アキラには目の前で笑う黒髪のダーク・アルヴが、人を馬鹿にしているようには思えなかった。だがさすがにムッとして思わず眉をひそめた。
「だってそうでしょう? あなたはこの船で、無事に私達をエルミナに送り届けるつもりだった。そしてあなたはそのままペトルウシュカ将軍の元に戻るだけ……。一応念のために私の動向はあなたのことを心から慕うこの二人に任せ、報告は受ける。ここまではいいですか?」
無言で頷くアキラを見て、アプリリアージェは笑いを絶やさぬまま続けた。
「そんなあなたに感謝する事はあっても、恨み事をいうはずがないではないですか? そもそも私はもうル=キリアではなく、風のエレメンタルの同行者。私達の目的を妨害するというのならまだしも、あなたがやろうとしているのはその逆です。確かに驚きはしましたが、それだけです」
アキラはチラリとミヤルデとセージをみやった。
なんとか平常心を保とうとしているミヤルデはアキラの視線を受けて少し目を泳がせたが、すぐに首を横に振って見せた。『私は信じられない』という合図だ。
セージは肩をすくめて見せただけである。『お任せします』と言う意味である。
アキラは大きなため息をつくと頭をバリバリと掻いた。そしてその仕草がエスカの癖と同じものだとすぐ気付き、思わず苦笑を漏らした。
「ははは。これはいい」
いきなり上機嫌になったアキラを見て、二人の部下は思わず顔を見合わせた。
「相手の正体がわかっても、別に敵でなければ関係ない。そういうわけだ」
「そういうわけです」
アプリリアージェも機嫌のいい声でそれに応えた。
「感謝しています。今までのことも全て含めて。ただ、できればお願いが一つあります」
アキラはうなずいた。
「そうですね。だいたいわかりますが念のためにおっしゃって下さい」
「我々の情報をそのままドライアドの軍部に伝えるのは少しの間待っていただきたいのです。それは可能ですか?」
「その事なら大丈夫ですよ。私は軍の命令であなたたちに近づいたわけではないのですから」
「え?」
アキラの答えに反応したのはアプリリアージェではなかった。
「大佐、それは本当ですか?」
質問はミヤルデ・ブライトリング中尉だった。
「休暇中の行動です。私は血湧き肉躍る冒険をいろいろと体験させてもらいはしました。よい創作活動ができそうです」
アキラはミヤルデを制してそう続けた。
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