第十四話 アキラの正体 3/6
この件についてはアキラ側、つまりアプリリアージェやエイル一行とベック、両者の利害が一致していた。アキラ側にとっては市場を裏で牛耳り、流通についての事情を全て把握している調達屋組合の人間と直接やりとりができる事は大きな利点であった。
もちろんドライアドにしろシルフィードにしろ、それぞれ調達屋組合もしくは調達屋個人との関わりはある。だがそれらはどちらも金銭的な契約が土台となった関係だ。しかし今回の件については金銭よりも心情的な繋がりでベックは動いていた。
「金で買えない物はない」と誰はばかる事なく口にするベックだが、人間を動かす原動力は金だけではない事もまたよく知っている人間だった。
父親の遺産を受け継いだとは言え、もともとウーモスで調達屋として非凡な才能と実績を築き上げてきたベックである。ヴォールの調達屋組合でも彼の名を知らぬ者はなく、さらに引っ提げてきたのがエスタリアのペトルウシュカ公爵符を持つ要人に物資手配の全てを任された大仕事だという事で、彼の株はいやでも上がらざるを得なかった。
新参者に対する風当たりが強いのはいつの世でも同様であるが、彼はその逆風をねじ伏せるだけの力を持ってヴォールでの初仕事に当たったのだ。
「他力本願大いに結構」というのもまたベックの口癖で、利用できる者を利用してこその調達屋であるという綺麗に割り切った考えが行動原理となっていたから、ベックの力は単に公爵符によるものだと陰口を叩かれても、胸を反らしてこう反論して見せた。
「悔しかったらお前らも公爵符でも伯爵符でも利用したらいいだろう?」
偶然だろうが幸運だろうが、公爵符の後ろ盾を掴んだ事実には違いがないのだ。凡庸な人間が何もせずにそんな幸運を手にする事はあり得ない。
それもまたベックの実力なのである。
ベックを妬む者も嫌みを言う者も、調達屋であればその事はよくわかっていた。
そんなわけで船の乗組員を含めて三十数名程がヴォールからエルミナへ向かって航海するのに必要な物資は、ベックが、そしてアキラが予想よりも順調に揃えていた。
いや、順調という言葉を使うのは語弊があるかもしれない。戦争が始まった事であらゆる物資の価格が値上がりをしていたのだ。もちろん価格高騰という事態もベックは先刻承知の事であったが、その値上がり率は彼の予想よりはるかに大きかった。
だが、言い換えればその頃はまだ物資がないのではなく、金さえ出せばなんとか手に入る段階であった。そういう意味では順調だと言えよう。
ヴォールからエルミナまでの距離はさほど長いものでは無い。だが軍船はエルミナに逗留し続けるわけではなく、そのまま物資調達という名目でツゥレフへ向かう事になっていた。要するに軍務を遂行する為の軍船だから、ドライアド海軍の海上封鎖に引っかからないという事である。
そういうわけで、つまりその船はそれなりの長期航海になるわけで、物資はそれに合わせた量になる。
アキラは船内を案内しつつ、アプリリアージェの一挙手一投足を注意深く探っていた。
エイルはその場にいなかった。船内に入った彼はとりあえずエルデを休ませる為に船室に連れて行き、案内どころではなかった。
当然のようにエルネスティーネがそれに付き添い、ハイレーンであるファーンも行動を共にした。
ラウはファーンの供という格好だ。
それを見ていた心配顔のティアナに対して、アプリリアージェはファルケンハインと共に、エルデの近くの船室で待機するように命じた。
エウレイとメリドはベックと共に行動中で、メビウス・ダゲットとその妹、つまりベックの「家」にいったん顔を出していた。エウレイとベックについては出帆前には合流する予定ではある。
しかしメリドとゾフィーはヴォールで一行と別れる事になった。
メリドはヴォールでの滞在中に念願であったエウレイから精霊石を使った治癒系の呪法、すなわち呪医の知識を手に入れたのだ。
いや、叩き込まれていたと言った方がいいかもしれない。
ベックの情報網とアプリリアージェの人脈により、ファルンガ領アアクの近くへ向かう船の手配が本日中に整う手はずになっていた。こちらはユグセル公爵名が入った紹介状が、シルフィードの海上封鎖を抜けてゆく鍵になった。
「存在しない人間」であるアプリリアージェがいったいどのような人脈を使ったのは定かではないが、ベックを通じてとある筋の有力商船組合と渡りがつけられ、二つ返事で受け入れ要請が通ったのだという。
ベックによれば「よからぬ噂がある」と言われている商船組合だそうだが、アプリリアージェはそれを聞き流し、メリドには「軍船などより、よほど安全な事は、私が保証します」といつになく強い調子でその船に乗るように勧めた。
ゾフィーはアプリリアージェの猛反対で同道を許されなかった。
術後の回復具合を診たがっていたエルデだが、その必要性を詰められて降参した形である。キアーナ・ペンドルトンが大丈夫なら、ゾフィーが大丈夫でないはずはないという論法である。
言葉は悪いが「足手まとい」が増えるのは歓迎できないのは確かなのである。それはエルデも重々承知していた事であった。
そういうわけでゾフィーのたっての申し出にも関わらず、上船は許されなかった。
一行を見送った後、情勢が情勢でもあり、いったんアダンのベンドリンガー家に戻る事になっていた。
残るはテンリーゼンだが、いつの間にかその姿を消していた。
つまり、アキラが船内を案内しているのはアプリリアージェただ一人だった。
アキラの説明に嘘はない。
船の装備や荷物にも不審なものはない。たとえ疑われたとしても、船板を全て剥がそうが、アキラの正体に繋がるようなものは一切出てこないはずだった。
ただし乗組員を除いては、である
船内に入る際、アキラは一行に案内の補助用員として二人の乗組員を紹介していた。それは女のデュナンと男のダーク・アルヴで、どちらもエスタリア州兵の将校服を着ていた。
その二人とは誰あろう、ミヤルデ・ブライトリングとセージ・リョウガ・エリギュラス。すなわちアキラの腹心の二人だったのだ。
エスタリア州兵ではない。アキラ同様、れっきとしたドライアド王国軍の軍人、しかも将校である。
ヴォールでアキラが自由に動ける様になったことで無事に合流出来た二人は、それでもお互い慎重に接触方法を模索し、エスタリアが用意した軍船の乗組員という形で正式な接触を行った。もちろんエスタリア軍船の調達については二人を通じてエスカ・ペトルウシュカに骨を折ってもらっていた。
そこまではいい。
問題はミヤルデが船についてはまったくの素人であった事だ。セージは海とは切っても切れないツゥレフのレナン育ちであるだけに全くの素人というわけではなかったが、軍船に関しての専門知識はない。
アキラとて海軍籍ではない。軍船に関する専門知識はない。
もちろんスプリガンには軍船もあり、それには海軍籍の人員が操船要員として乗り組んでいるが、それはスプリガンが海軍籍の船を借りている格好に過ぎない。独立部隊とは言え、スプリガンは陸軍管轄なのだ。
対してアプリリアージェ率いるル=キリアは海軍籍であるだけでなく、実際に「自分たち」で操船ができる事をアキラは知識として知っていた。ル=キリアは風のフェアリーの部隊である。帆船との相性はすこぶる良いのだ。
つまり軍船の専門家と言っていいアプリリアージェが専門的な質問をミヤルデとセージに投げかけた場合、怪しまれる可能性が高かった。
とはいえアキラもその点については回避策、つまり都合のいい言い訳を用意していた。
「軍船調達として指名されたペトルウシュカ公爵家に仕える者」という偽りの肩書きだ。セージの発案で、肩書きだけでなく、それぞれもっともらしい背景も設定されていたようだが、アキラはその多くを敢えて知ろうとしなかった。お互いの記憶に齟齬が生じる方が不自然に思われると判断した側面もあるが、そもそも知り合いである必要が無いのだから、お互いの背景自体を白紙の状態にしておく方が自然に映るだろうと考えたのだ。
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