第十四話 アキラの正体 2/6
「エルデのあのルーンを使って海上にある関所の連中を全部眠らせていけばいい」
海上封鎖に近い状況を知ったティアナは、憤慨のあまり思わずそう口にしたが、もちろんルーンの原則上、それは不可能だった。
座標軸固定の法則である。
エイルの体を使っていたかつてのエルデは、本体が竜墓……時のゆりかごの中に安置されていた為に一見その法則を無視したルーナーに見えていただけなのだ。精霊波からすれば術者はあくまでもエルデ・ヴァイス本体であり、座標軸が固定されていると見なされていたのである。術者の言葉が本体とはかなり離れた場所から唱えられているだけであって、それ自体には問題はないという事なのだろう。
それはルーンの仕組みがよくわからないエイルにとってはあっけにとられるような考え方であるが、当の本人であるエルデすら知らなかった事だという。
おそらく、いや間違いなくそんな異常な状態のルーナーなど、今まで居なかったのだろう。
試しにやってみたら出来た。
だから理由を考えた。
その詳しい仕組みまではわからない。
とまあ、言ってみればエルデとてエイルと同じ程度の理解にすぎないのだ。他人に詳細を説明できる段階にはない。
どちらにしろ意識と本体がすでに一体化して元に戻ったエルデは、今現在は通常のルーナーと立場は同じである。だから、たとえ亜神と言えどもルーンの法則から逃れられないのである。
ファーンがいつものきまじめな口調で座標軸の問題でティアナの提案がそもそもムリなのだという説明をすると、ティアナは思い出したように頭をかいた。
「いや、そういう問題じゃなくて」
エイルは傍らで服の裾を握りしめているエルデをちらりと見て口を開いた。
座標軸固定の法則を、ティアナはうっかり忘れていたのだろう。それはそれでいい。だが、問題はそういう事ではないのだ。
エイルはだから、あえて言っておく必要があると考えた。
「あれは相当消耗するみたいなんだ」
それは事実だった。
何事も無かったかのような様子を見せているエルデだったが、ヴィーダの連続使用はかなり無理があったようで、自立する事すらやっとの状態だったのだ。
近くでエルデの額を見れば、そこに浮かぶ脂汗がはっきりと見えた。
そしてさらに観察すれば、その濡れたような大きな目にいつもの力がない事もわかる。
エルデとは反対側、エイルの左側を自分の場所だと決めているエルネスティーネは、エイルに寄りかかるようにしているエルデに抗議をしようとしてその状態を知り、口をつぐんでいた。
「大丈夫。ちょっと疲れているだけや。でもファーンの言うとおり、どちらにしろ海上でアレは使えへんな」
覇気の無い声でそれだけ言うと、エルデはエイルの服の裾を握る手に力を込め、浅い息を続けた。
その様子を見て初めて、確かにエルデが普通の状態ではない事を全員が認識した。
エルデはハイレーンである。必要ならば、いや可能なら自らに回復ルーンをかけていてしかるべきなのだ。本来ならばエルデがそんな体調に陥る事はないと考えるべきだろう。つまり回復ルーンなどではどうしようもない状態であるという事になる。
とは言え一行にしてみれば、エルデの事を最もよく知るエイルがまだ冷静な状態にある事で一応安心だと思う事にした。
「辛ければ、もっとエイルに頼って歩いた方がいいのではないですか?」
それは最近のエルネスティーネの行動を知っている者からすると意外とも思えるな提案であった。
「え?」
ミエリッタの一件からこっち、あからさまな独占欲を隠そうともしなかったエルネスティーネである。しかも今まで、その矛先の多くはエルデに向けられていた。
だからその発言はエイルにも、そしてその場の全員に小さな驚きをもたらせた。
「あ……」
エルネスティーネの言葉を受けて、エルデは自分がエイルの服の裾を掴んでいる事にようやく気づいた。そしてすぐにその手を離すと、少しだけエイルから距離を取った。
つまり、エルネスティーネの提案とは全く逆の行動を取ったのだ。
その様子を見て眉をひそめた人間が二人居た。
一人はアプリリアージェ。もう一人がエルネスティーネだった。
エルネスティーネはエルデの様子を見て、ハイデルーヴェンの宿で初めてエルデ・ヴァイスという瞳髪黒色の少女に出会った時の事を思い出していた。
その時もエルデは無意識にエイルの服の裾を握りしめていた。まるで親とはぐれまいとする子供のように。
最初はエルネスティーネに自分たちの関係を見せつけるつもりでエルデがわざとやっている事だと思った。だがすぐにそれが無意識のものだと知った。
それは他人に見せつける為に意識的に握りしめるよりも、むしろより深くエルネスティーネの胸に刺さった。
エルデがどれだけ深くエイルを頼っているのかがその無意識の行動から痛いほど見て取れたからだ。
強大な力を持つ亜神、エルデ・ヴァイスが、その実、精神的には他人に依存する部分がある。図らずも左手がそれを告白してしまっている。
無意識の行為を認識したとたん、それを解いてエイルから離れたエルデを見て、エルネスティーネはいらだちを覚えていた。
遠慮をしているのが明らかだからだ。
もちろんエルネスティーネに対してである。
あの傲岸不遜で自我が崩壊するほど怖ろしい空気を作り出すエルデが、なぜか自己を封じる様が気に入らなかった。
エルネスティーネのその複雑な思いはおそらくデュナンには理解しがたい心情であろう。古くから続くカラティアという血統を持つアルヴィンならではの、自らが持つ誇りを傷つけられたような気持ちになるのである。
「さあさあ。我々には自称呪医の先生もいますし、ハイレーンの賢者もいます。エルデの事は彼らにお任せしておきましょう。それよりもアモウルさんの話の続きを伺いましょう」
エルネスティーネの顔が険しくなったのを見たアプリリアージェが、明るい調子で一同を自分に注目させた。
「さんざん脅しをかけたくせにその余裕の表情……つまり困難な状況下ではあっても、我々は安心していいということなのでしょう?」
そう言ってにっこりと笑いかけられたアキラは苦笑しながら頭を掻いた。
アキラの話とは、勿論海上封鎖に関する補足事項、いや、その封鎖を回避する方法の事である。
「本当にあなたにはかないませんね」
多くの船舶が係留されいる桟橋に向かってゆっくりと歩いていた一行をいったん止めると、アキラは一艘の中型船を指さした。
「まあ、論より証拠ではないですが、向こうに見えるあれです」
そう。
段取りはほとんど終わっていたのだ。
アキラの誘導で、一行は最奥、すなわちもっとも湾の出口に近い桟橋に係留されていたドライアド船籍の快速船に乗り込んだ。
それは外観も内装も、どう見てもドライアド海軍の輸送船であった。
「ご覧の通り、軍船を調達しています」
出帆の為の最終調整中の船内を案内しながら、アキラはアプリリアージェ達にそう告げた。
「ですがご心配なく。これはドライアド軍籍の船ではなくエスタリア州に所属する軍船です。ペトルウシュカ公爵家、いえエスタリアが独自の州兵を有していることは?」
勿論アプリリアージェは知っていた。何しろ一国の海軍の「元」中将である。他国の事であろうと、いや他国の事だからこそそれくらいの事を知らぬはずがない。
アキラも勿論そんなことは承知の上で、敢えてそう尋ねてみたのだ。
「これも例の公爵符の力、という事ですか?」
当を得たアプリリアージェの言葉にアキラはうなずいた。
「大したものですよ。もっとも実際の食料や物資類がこんなに短期間に揃えられたのは、ベックのおかげですがね」
戦争が始まったことにより、様々な物資の調達にも影響が出だしていた。カネがあれば好きなモノを好きなだけ手に入れられるというものではなかったのだ。
そこで活躍したのがそんな時にこそ改めて思い知る調達屋の力である。アキラはこのとき初めてベック・ガーニーの実力を知ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます