第十一話 亜神の苦悩 1/3
イオスの指示を受け、一行はすぐにでもエルミナへ出発する予定だった。
だが問題が一つあった。
ゾフィーの件である。
麻薬の効力を無くすためにはエルデの「神の空間」がどうしても必要になる。
類まれな能力を持つハイレーンであるエルデでさえ、通常の状態で使えるルーンでは中毒状態にある体を元に戻すことはできない。
エルデにできないということは、おそらく誰にもできないということになる。
唯一エルデが作り上げるヴィーダという「神の空間」で使える能力のみがそれを可能とするのだ。
もっともハイデルーヴェンでエルデがキアーナ・ペンドルトンに対して施した治療も確実に治癒しているかどうかは「わからない」という。エルデは初めて試みたわけで、経過をみていない。いや、経過していないのだから本当に完治しているかどうかはもうしばらく経たないとわかりようがないのである。
いや。
実のところ問題は完治するかしないかではない。どちらにしろやってみなければわからないなら試せばいいだけなのだが、実はそこに問題があった。
それが簡単にできるのあれば、エルデとてすでにヴィーダを構築してゾフィーに施術していただろう。
そう。できない理由があったのだ。
エイルはヴィーダを使った治療の仕組みを知らされて愕然とした。
ハイデルーヴェン城の戦いでエルデが行ったこと……それは「神の空間」に存在する生命の力をエーテルに変換して、特定の個体に流し込む作業だったのだ。
あの場にいたシーン・ジクスをはじめとする新教会の僧兵達が倒れたのは、攻撃ではなく命を吸い取られたからであった。
いや。そもそもの目的や仕組みはどうあれ、彼らにしてみれば立派な攻撃には違いない。それもあらがう事すら出来ない恐ろしい攻撃である。
治癒を司る亜神エルデは、自身が作り出す「神の空間」に内在する、ありとあらゆる生命力の支配者なのだ。
通常のエーテルを使っていてはとうてい成し得ない事が、命そのものを材料とすることで可能にしてしまう。ある意味でそれは命という力を使った力業といえる。
だが、それこそがヴィーダの正体だった。
「いつやったかな。ウチはアンタに言うた事があったな?」
ヴィーダの説明に言葉を失っているエイルに向かって、エルデは膨れ面でそう言った。
「一番恐ろしいのはエクセラーやのうて、高位ハイレーンやって」
エイルは記憶をたどった。
確かにそんな会話がなされた事があった。だがその会話の答えはその場で得られなかった。それを今明らかにしたのだとエルデは言う。
「高位って言うのは亜神級のハイレーン、と言うかお前を特定してるって事だよな?」
自分自身こそが恐ろしい力を持つハイレーンだと、エルデはそう続けたのだ。
「なあ?」
エイルは同時に記憶の深海から浮かび上がった別の疑問をエルデに投げた。
「お前が存在している事が知られると、マズイ事になるって言ってたよな?」
エルデはしかし、その問いかけには答えなかった。
かまわずエイルは自分の想像を告げた。
「理由はヴィーダの力のせいなんだな? その力のことを知っている人間がいれば、確かにこう思うよな。『ヴィーダのあの強大な力を使えば、死にかけてる奴だってたちまち治る』って。そうなるとそいつはたぶん、その力を自分のものにしようとするだろうな。お前は高位ルーナーだけど、ハイレーンだ。亜神とはいえ、高位エクセラーやコンサーラとは戦っても力負けする。少なくとも面と向かって戦っては勝てない。つまり場合によってはお前は捕まってヴィーダの能力を利用されるかもしれない……それを恐れてたってことだよな?」
エルデは目を閉じてエイルの話をじっと聞いていた。エイルが話にいったん区切りをつけると、ため息を一つついたが、それでもまだ何も答えなかった。エイルはその態度に違和感を覚えた。おそらく今言った事は間違ってはいないはずであった。だが、エルデは何も言わない。まるで……そう。まるでまだ足りないと言わんばかりに催促をしているのだ。だから不満そうにため息をついたのだろう。
エイルは自分の言葉を頭の中で反芻した。
何が足りないのか?
(これだけじゃない? )
そしてまさかと思う言葉が浮かんだ。
エイルは喉を鳴らしてつばを飲み込むと、とっさに浮かんだ恐ろしい仮説を口にした。圧倒的な治癒の「その先」にあるものを。
「まさか……ひょっとして、ヴィーダを使えば死んだ人間だって……」
エルデはエイルがその言葉を口にするのを待っていたのかもしれなかった。即座に閉じていた目を見開くと、それをつり上げてエイルの言葉を遮ったのだ。
「ヴィーダで死人は生き返らへんっ!」
強い声だった。
おそらく部屋の外にも響いたに違いなかった。
そのあまりの剣幕にエイルは言葉を失った。
「勘違いしたらあかん。ヴィーダは生きている人間にしか使われへんのや」
「だったら何で」
「アンタと同じ勘違いをしてる奴が多いっちゅう事や」
エルデは言う。
できるかもしれないという憶測が広がると、それはやがて願望や妄想で彩られ「できる」という言葉に置き換わる。そうなると本人がいくら否定してもそれが嘘にしか聞こえなくなる。
エルデに言われて、エイルにもそれは容易に想像がついた。
ヴィーダを使うものを虜にした人間は、その奇跡の力を得ようとして術者に様々な脅しをかけるだろう。
たとえヴィーダを使ったとしても「そんなこと」はできないのに、だ。
自分の意に沿わぬ術者の態度に、やがて脅しは度を超してくる。一つの命を助けるために正気を無くした人間は、もはや他人の命に価値など見いださないからだ。
「一番効果的な脅しはなんやと思う?」
そこまで聞けば、エイルはもう問われずともわかった。
もちろんヴィーダの使い手を殺すことはないだろう。手足をもぎ取り、目をくりぬいたとしても、生かしておくに違いない。
いや、むしろ逃げられないように最初からその程度のことはやるかもしれない。人間とはそれくらい平気で出来る残酷な生物なのだ。
死んでしまっては元も子もないが、逃げられても困るからだ。つまり術者を脅すには術者以外の人間の命を用意するに違いない。
ヴィーダの使い手に人間としての感情があれば、目の前で自分の大切な人間が殺されるのを見て耐えられるだろうか?
おそらく最初は肉親であろう。妻や夫、父や母、そして自分の子供かもしれない。
だが………悲しいことに不可能なことを可能にしろと言われても、いくら脅されても、目の前で自分の大切な人達がなぶり殺されても、できないものはできないのだ。
やがて相手は気付くことになる。脅しても無駄なのだと。
そして次にやることは……
「ヴィーダの使い手の血を飲み、それでもだめなら肉を喰らう。それでもだめなら心臓や肝臓、つぎは骨や脳……」
「もういい。もうわかった」
エイルは手を上げてエルデの言葉を遮った。
「いや、わかってへん。言葉で否定しても、それを素直に信じる人間がいるとは思われへん。そうなると結局……」
「もういい、やめろ。やめてくれ」
それは悲鳴に近かった。
エルデの口調は淡々としていた。だが、いやだからこそエイルの心に深く鋭く突き刺さっていたのだ。
エルデの話に類似した物語を、エイルはいくつも知っていた。勿論そのほとんどはおとぎ話、作り話という形で目にしたり耳にしたものだったが、全てに共通している言葉がある。「悲劇」という、文字にすれば軽すぎるそれは、様々な痛みと苦しみと暗い思いの集合体である。少なくともそこから幸せという言葉が生み出される事は無い。申し訳程度に添えられた多少救いのある挿話はしかし、悲惨さを彩る為の引き立て役として使われるのが常だ。それはいわば決して抜け出せぬ永遠の暗闇の恐怖にも似た、根源的な負の塊と言っていい。
その対象がエイルの目の前にいた。
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