第九話 最後のエレメンタル 2/4
グラニィには宝石に対する知識はさほどなかったが、ペリドットそのものはさほど高価な宝石ではない事は知っていた。だがこれほど巨大であれば、おそらくとんでもない値段がつくに違いないと思われた。
「勿論こんな綺麗な球状のモノが土に埋まっているわけではないよ。この意味はわかるよね?」
グラニィはうなずいた。ミリアが見せたのは埋まっているものを掘り出す能力などではない。もっとずっと高度な能力。すなわち、小さな結晶達を集めて一つに「まとめる」能力なのだ。
「君も知っていると思うけど、エスタリアにはいい金鉱がいくつもあってね」
もはやそれ以上の説明は要らなかった。グラニィは得心していたのだ。
エスタリアは……いやペトルウシュカ公爵は経済的な破綻などしていなかったのだ。その気になれば炉端の雑草をむしるよりも容易にファランドールの大地そのものから、無尽蔵に「カネ」を、文字通り掴み放題なのだから。
そして得心した。
ペトルウシュカ公爵家の財政の問題はいつも取りざたされるのに、エスタリアという領地の民が困窮にあえいでいるなどという話はついぞ聞いたことが無い。勿論、推測として民の困窮を嘆く声はあった。だが実際にエスタリアがそういう事態に陥っているという報告は一切目にしていなかった。
領主がまともであれば、自らが破産する前にまずは領民に対する税率を変えるはずである。勿論率は上げるのであって下げるのではない。要するに増税である。
むしろ家が傾くという話になっているにもかかわらず、税率変更の噂が聞こえてこないのは奇妙な話であろう。
しかしグラニィはそれを不思議だとは思わなかった。
なぜならエスタリアの領主は代々名君で、これまでも領民に対して無茶な増税をよしとしてこなかった。先の大戦においてもペトルウシュカ家は増税による資金ではなく、蓄えを大幅に切り崩す事で国家へ上納していたという。
いよいよになれば動くであろうが、ギリギリまで増税という札を場に出す事をしないのが伝統に支えられた昔ながらのペトルウシュカの「貴族魂」であると、多くの者は納得していた事が一つ。
もう一つがミリアの賢弟、エスカの存在であった。
経済破綻の根源である愚兄を戒め、台所に大なたを振るって最悪の事態を脱したエスカという救世主により、ペトルウシュカ家は「なんとか」保っていると多くの者は信じ込まされていた。
いや、エスタリア本土には足を踏み入れぬ弟エスカもまた、愚兄であるはずのミリアに翻弄されていただけの、その正体はとんだ賢弟であっただけなのかもしれなかった。
「こんな力があれば……」
差し出された緑色に輝く結晶を見つめながら、グラニィはその後に続く言葉を飲み込んだ。
見えたのだ。
ミリアがグラニィに語った途方もない与太話が、じつはすでに現実となって動いている様が。
「昨今、ミュゼを始めドライアドでは急激に物価が高騰しており、軍備費用が膨れあがっていると聞き及んでおりましたが、それもあなたなのですな?」
ミリアは小さく声を出して笑うと、手に持ったペリドットの結晶をグラニィにゆっくり放り投げた。グラニィは慌ててそれを両手で受け止めた。
「この石ころ一つでそこまで理解するとは、ボクが目を付けて隠しておいただけの甲斐はあったという事だね」
「まさか私の左遷もあなたが? それではまさかあの時ル=キリアと通じて……」
「まさか。ボクの友好関係はそれほど広くはないさ。あまりボクを買いかぶらない方がいいよ。もっとも異例に厳しい人事をゴリ押ししたのはボクだけどね」
グラニィは膝を突いた。
ずっと以前からミリアが周到に行動していた事がよくわかったからである。考えてみれば石の多い軍の中にあって、グラニィ自身が玉だと認めていた人物が、不当な人事で表舞台から退いた例がいくつもあった。グラニィ自身は数ヶ月前の話であるが、おそらくそうとう以前からミリアは「人材」を潰されぬように確保していたのに違いない。
そして確保した人材がそのまま腐って堕すか、それでもやはり「材」足りうるかを見届けた上で、最終的にこういった直接的な勧誘を行っているのであろう。
「勇敢なだけではダメだ」
ミリアがつぶやいた。
「剣がいくら強くてもそれは要件にはならない。いくら高潔で意志が強くとも、敵の策略に陥るようでは話にならない」
ミリアは続けた。
つまり全てを語って聞かせる事が、最後の試験なのであろう。
その試験でグラニィはミリアに評価されたという事である。
「ボクが話した未来の、さらに向こう側を考えてくれる人間が、欲しいんだ」
グラニィは膝を突いたままで、しかし素直にミリアに頭を垂れる事はしなかった。
「確かに」
掌の中のペリドットの巨大な結晶を握りしめながらグラニィは続けた。
「公爵ほどの力がある地のフェアリーが一人いれば、たいていの事はできましょう。大量の金を流通させ、一国全体の物価を底上げしてしまうなどたやすい事。しかし、これが証拠だと言われても、あなたの身分証明としてはいささか役者が違うように思われます」
「ははっ」
ミリアの顔が弾けた。そこには満面の笑みが広がっていた。
作った笑いでも、計算した笑いでもない。それはその瞬間、確かに生じたミリアの感情の発露であった。
「聞いたか、スノウ」
嬉しそうな声で呼びかけられたスノウはしかし、ぼんやりした表情のまま、首を小さくかしげただけであった。
「この疑り深さ。用心深さ。自分が納得するまでは答えを出さない賢明さ。まともな指導者であれば、誰だって喉から手が出るほど欲しがる人材じゃないか?」
スノウに向かってそう言うと、ミリアはグラニィの目の前にきて片膝を突き、同じ高さで顔を突き合わせた。
「誰も本物を見た事は無い。だから意味があるとは思わないけど、それでもボクは君に『徴』を見せよう」
グラニィは無言だった。ミリアは間を置かず、右手で左の袖を引きちぎり、肩にある痣を示した。
そこには複雑な模様の痣が浮かび上がっていた。
それがただの痣でない事は明白であった。しかし、意図的に入れ墨を彫る事はできる。
「その上で、ボクの力をもう少しだけ披露しよう。それがボクの身分証にならないと言うのであれば、もうボクは何も言うまい」
ミリアはそう言うと一瞬だけ目を閉じ、そして再び開いた。
グラニィは何が起こったのかがわからなかった。先ほどの、岩に手を突っ込んで見せたような派手な動きはない。
だが……。
何が起こったのかを理解した時には、グラニィは声を失っていた。
(何が『派手な動きがない』だ……)
この自嘲は何日も経ってからようやく出た言葉である。この時には思考をまとめる事さえできなかったのだから。
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