第九話 最後のエレメンタル 1/4

 両者は睨み合っているわけではなかった。

 ミリア・ペトルウシュカは相変わらず穏やかな表情を崩しておらず、グラニィ・ゲイツの手にもはや剣はなく、それは地面に横たわっている。

 そして相変わらずオオソケイの林には、眠気を誘う葉擦れの音が不定周期で強弱を繰り返していた。

 睨み合ってはいない。

 ミリアの瞳にグラニィの姿は映っていた。しかし一方のグラニィは目を閉じていたのだから。

 そして二人の間にはしばらく会話が途絶えていた。


「その話を全て信じろと言われるか?」

 口を開いたのはグラニィであった。

「君はボクが嘘を言っていると思うのかい?」

 グラニィはゆっくりと首を横に振った。だがそれはミリアの問いかけに対する否定行為ではない。おそらく自分自身の中に生まれる様々な雑音を振り払おうとしたのであろう。

「世界情勢については突飛だと思える部分も多々あるが、私の知識と照らし合わせてみて、確かにうなずける部分がある。つまり百歩譲って信じることはできる。しかし……過去の話は荒唐無稽に過ぎる」

「バカ殿はやっぱり頭がおかしいバカ殿だった。それが君の感想ということかい?」

「いや……」

 グラニィは自分の言葉に対して自ら疑問を投げかけた。質問という形ではない。それは自分の言葉を自分で否定する形で、当然ながらミリアへの問いかけにもなった。

「荒唐無稽だと言い切るには、内容が緻密で前後の辻褄が合いすぎている。全てが本当だとしたら、話には一切の破綻がない……」

「スノウ」

 グラニィの自問を聞くと、ミリアは二人を見守るようにじっと立ったままのモテアの少女の名を呼んだ。

「ボクが今話した事は真っ赤な嘘だと思うか?」

 グラニィの視界の中にいる長身の少女は首を横に振ると、短く答えた。

「全て本当だと思う」

 仲間に自らの話の信憑性を語らせるのは意味のある行為でない事くらい、ミリアとてわかっているはずである。しかしそれでも敢えてそうしたということは、これ以上嘘か本当かという根本的な問答をするつもりはないという意思表示なのであろう。

 グラニィはそう判断すると無意識に大きなため息をついた。

「では、誰も見た事のない時代の話はいったん棚上げとしましょう。ここからは極めて実質的な部分に関する疑問ですが……」

 グラニィの言葉に、ミリアは嬉しそうに微笑んだ。

「そう来なくちゃ」

「細かい疑問は星の数ほどあります。しかしその前に二つの疑問と一つの質問に答えていただきたい」

「勿論、いいとも」

 即答するミリアには何の動揺も見られない。

 スノウに対して一瞬だけ見せた焦りを除くと、終始落ち着いた表情を崩さない。そもそも他人からは「夢でも見たのだろう」と一笑に付されるような話をしに、わざわざこんな辺境にやって来るなど考えられない事である。

 面識のない左遷将校をからかうのなら、もっと手軽な方法がいくらでもある。百人に話せば百人がホラだと笑い飛ばすような話を告げる意味がわからない。

 つまりグラニィが冷静に判断するならば、ミリアの心は本気なのだ。

 ならば本気である事の裏付けが気になったのである。

「一つ目の疑問は、もっとも根本的な問題。普通の分別ある大人であれば真っ先に考える事です。あなたの構想を推し進める為には相当な経済力がなければ成り立ちません。私の漠然とした試算ではドライアド一国の経済力をもってしても多すぎる事は無いのではないかと思われます。失礼ながらエスタリアの噂は私も存じております。あなたにそのような経済力があるようには聞き及んでおりません」

「バカ殿がエスタリアを破産寸前まで追い込んだ話は知っているという事だね」

 グラニィはうなずいた。

 ミリアの度外れた遊興と贅沢三昧で、余裕のあったペトルウシュカ公爵家の資産は底を突き、それが元で本人は弟に首府から離れた山荘に軟禁同然になっているという話は国事に少しでも関わっている人間であれば……いや誰でも知っている話であった。

 今は所蔵している美術品や宝石などを売って、弟が臣下と共になんとか持ちこたえているとグラニィは聞き及んでいた。

 加えて上層部では弟が実働部隊を除くエスタリアの首府機能を実質的にミュゼに引き上げ、領地を国王に献上して借金の「かた」を逃れようとしているという噂で持ちきりであった。

「うん。それは当然の疑問だね。何よりカネの話を真っ先にするところが地に足が着いた軍人としての君の非凡さ、いや、優秀さを証明しているね」

 ミリアはグラニィの質問に満足そうにうなずいて見せた。

「先に二つ目の疑問も聞いておこう」

 グラニィはチラリとスノウをみてから、ミリアに向かい直った。

「あなたが本物だという証拠は?」

 もっともな質問であった。

 だからおそらく、ミリアはその答えをあらかじめ用意しているに違いなかった。

 グラニィはしかし、たとえ用意されていようがいまいが、その答えを見ないわけにはいかなかった。

「どっちもいい質問だね。なぜいい質問かというと、その質問には、一つの答えで済むからだよ」

 ミリアはゆっくりと歩き出すと、泉の側で立ち止まった。

「こっちへ来てよく見ておくといい」

 要請に添う形でミリアの近くに歩み寄ったグラニィは、そこで信じられないものを目にした。

 ミリアは無造作に手を伸ばすと、泉が湧く巨大な一枚岩にそのままめり込ませたのだ。

 それはまるで水の中に手を入れるように何の抵抗もなくあっさりと行われた。勿論グラニィは最初はそれが手品の類であろうと思ったが、すぐに地のフェアリーの存在に思い至った。

 今では希少なフェアリーである地のフェアリーにはあまり能力の高い者はいない事になっていた。いや、定説であったと言い換えた方がいいだろう。だが、強い力を持つ者であれば、何の抵抗もなく岩をすり抜ける事も可能かもしれないと考えたのである。


「ここではこんなものはどうだろうね?」

 突っ込む時と同じく無造作に、何の抵抗もなく岩から手を引き出したミリアは、抜いた手をグラニィの目の前に突き出すと、握っていた拳を解いた。

「こ、これは?」

 ミリアの掌の上には杏の実ほどの大きさの緑色の石があった。

「これと同じ大きさのものが、この辺ならあと二個ほど採れる。だから君がこれを手品だと思うなら、そうだね、全裸になって君が指示する場所に手を突っ込んで採って見せてもいいよ」

 だがグラニィはその必要性を感じなかった。

 グラニィが首を横に振るのを見て、ミリアはにっこり微笑んだ。

「これはペリドットだ。ここの地質だとこれが一番カネになる素材だね」

「ペリドット? これが?」

 グラニィもツゥレフからペリドットが産出されるのは知識としては知っていた。だが杏の実ほどもある結晶など聞いた事もなかった。

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