第五話 三番目の鷹 2/2
「ごめんなさい、ティアナ。私は少し意地の悪い言い方をしてしまいました」
ほんの少しの間を開けて、エルネスティーネは柔らかい調子でティアナに声をかけた。
「ルネを助けたくないなどと、あなたが思っている訳がありません。私もそれをわかっていてあんな言い方をしてしまいました」
ティアナは下げたままの頭をさらに低くした。
「もったいないお言葉です」
「あらあら。その言い方はやめなさいと何度言ったらわかるのですか?」
エルネスティーネは苦笑を浮かべると、隣にいるエイルの手を取った。
「ただし、私はもう決めました。ですからティアナ。ここでお別れです。あなたはリリア達と一緒にお行きなさい」
「え?」
その言葉に弾かれたようにティアナは頭を上げた。
「心配はいりません。私にはミエリッタがいます」
顔を上げたティアナに、エルネスティーネはエイルの手をとったまま、それを掲げて見せた。
「ミエリッタたるエイル、それにエルデもいます。みすみす三聖のいいなりになるつもりはありません」
「な、何をおっしゃいます!」
「それでも止めるというのなら、あなたは私のミエリッタであるこのエイルと戦わねばなりませんよ」
「えええ?」
これはエイルである。
とんでもない方向に話が進み始めただけでなく、弾け始めたエルネスティーネはあろう事かティアナとエイルの決闘をけしかけだしたのだ。
もちろんエイルはそれがエルネスティーネの本心ではないとは信じていた。
信じてはいたが……。
だが、ここまでのエルネスティーネの暴走とも思える行為を、その身でいやという程味わっているエイルは、信じる心を確信に変える事ができなかった。
エルネスティーネの顔を見ても、緑の瞳が涼しくティアナを見つめているだけで、その向こう側にある考えは読み取れなかった。
「ちょっと、おい、ネスティ」
不安にかられたエイルは声をかけようとしたが、ティアナがそれに先んじた。
「いいでしょう。それで姫が思いとどまると言うのであれば」
「えええ?」
エイルは救いを求めてアプリリアージェに顔を向けた。
だが、アプリリアージェはいつもの微笑を浮かべたままティアナを見つめていた。エイルの視線は当然感じているはずだが、それを受け止めようとはしなかった。
「おやおや、私のミエリッタにあなたが敵うとでも思っているんですか?」
エルネスティーネはティアナの決意に対して、まるで嘲笑するかのような調子でそう言い返した。
「あなたの目が節穴でなければ、ジャミールでのエイルの腕前を見て、自分が相手になるかどうかの判断は出来ているはずではないですか?」
エルネスティーネの容赦の無い言葉に、ティアナは唇を噛んだ。
「それでもあなたはエイルと戦うと言うのですか?」
「無論です。いえ、恐れながら愚問だと言わせていただきます」
エイルもエルネスティーネの問いかけは愚問だと思っていた。
ティアナはもともと武人である。それも誇り高いアルヴ族の武人であり、その事を自らの誇りとしている。自らの誇りの為にティアナが命を惜しがるなど考えられなかった。だからエルネスティーネが見え透いた徴発をしても、いや、すればするほど前言の撤回はありえないと思われた。
「強き者と剣を交える事は武人としての本懐。それが我が信念を賭した闘いであればなおさらの事。ましてや戦わずして勝敗が決まるなど、失礼ながら笑止千万。たとえ相手が異能の剣を使うものであろうと、我が決意に一点の迷い無し」
ティアナの言葉に、エルネスティーネは眉根を寄せてあからさまに不快な表情を作った。
「そんな顔をされても無駄です。アルヴとしての我が決意と誇りはどのような脅しにも屈しませぬぞ」
「お黙りなさい、ティアナ・ミュンヒハウゼン!」
眉根を寄せ、目を少し吊り上げ、誰も滅多に見た事のない怒りの表情をつくったエルネスティーネは、強い調子でそう怒鳴った。
だがもちろん、そんなものではティアナはまったくひるまなかった。
だが……。
「ならば問いましょう。私はアルヴ族ではないのですか? 私には矜持はないのですか? それらはこの世でティアナ・ミュンヒハウゼンしか持っていない、いえ持ってはいけないものなのでしょうか?」
「あ……う……」
エルネスティーネのその一言は、覚悟を決めたティアナの首をうなだれさすのに充分な効き目を持っていた。
「矜持と矜持がぶつかり合い、互いに譲らないとあっては戦うのもやむなし。本来ならば私が直接ティアナと剣を交えるのが筋でしょうが、多少なりとも剣の心得があるとは言え私は剣士ですらありません。すなわち私が剣をとることは剣士であるティアナにとって礼を欠く行為となりましょう。もちろん本来であれば、それでも敢えて私自身があなたと戦うのが筋でしょうが、ミエリッタは我が剣。すなわち私と戦う事と同義です」
エルネスティーネの言葉はティアナにこれ以上無いと言うほどの痛みをもって突き刺さった。
「もう一度言います。我が矜持を持って行おうとする行為を、あなたは止めようというのですか、ミュンヒハウゼン卿。ならば我が剣をもって自らの矜持を守るまで」
ティアナがエイルと戦う事を受けたということはエルネスティーネと剣を交えると言う事と等価なのだ。
多少なりとも頭に血が上っていたとは言えミエリッタの事を知らぬティアナではないはずなのである。
「あなたの負けですよ、ティアナ」
アプリリアージェがゆっくりとした調子でそう声をかけた。
つまり、そう言う事なのだ。
エルネスティーネの術中であった。
ティアナが自分の矜持を出すならば、それはエルネスティーネとて同じ事なのだ。
そしてそれは頭で認めていても心の中でエルネスティーネを一人前の大人だと認めていないティアナに対する非難も込められていたに違いない。
アプリリアージェが何も言わなくとも、エルネスティーネが次にティアナに投げる台詞は同じ意味のものであったに違いない。
もちろん第三者から示される仲介の方が両者にとって都合が良いのは間違いない。すなわちこれがエルネスティーネの即興による脚本なのだとしたら、アプリリアージェはエルネスティーネにとって理想的な役者として振る舞った事になるのである。
「ところで、ミュンヒハウゼン卿というのは?」
アプリリアージェは場の冷却の為に話題を転じた。
その言葉に当のティアナがハッとしたように顔を上げてエルネスティーネを見つめた。
「ああ、その事ですが、ティアナはエッダ出立の際に故父王よりクレストを下賜されているのです。爵位などはありませんが、貴族としての権利と義務が発生したと私は考えています」
エルネスティーネはそう言うとちらりとエウレイへ視線を走らせた。
「私もその場に立ち会っていた。彼女がアプサラス三世から下賜されたクレストは、桜花星」
「桜花星……」
桜花が入ったクレストの重みは爵位を持つ貴族であるアプリリアージェならば重々知っている事であった。シルフィードでは王族以外に決して使用できない意匠なのである。それを王族どころか貴族ですらないティアナに下賜されていたという事実は重い。もちろんたとえ王であろうと勝手に桜花の使用許可を与える事はできない。しかし花ではなく星という事であれば言い訳にはなる。それでいて王自身が桜花という名の付いたクレストを下賜したという事実は残る。つまり、ティアナは王から特別な人物というお墨付きを得ている事になる。それをエルネスティーネは「貴族」と同等の存在だと捕らえ、この場面で「卿」という言葉を敢えて使ったのだ。それはすなわちただの剣士と剣士の話ではなく、貴族と貴族が互いに背負ったものを賭して戦う覚悟があるのか? という意味であり、つまり一段も二段も話を大げさにしてティアナを追い込んだのだ。
アプリリアージェは改めてにっこりとティアナに微笑みかけた。
「ここはネスティの言葉を尊重しましょう。彼女はエルミナに行く。そしてあなたは私と…そしてファルとも一緒です」
「ですが、私は姫をお守りしなければ……」
「守りたければ守ればいいではありませんか」
アプリリアージェは吹っ切れぬティアナにそう畳み込んだ。
「え? ですが離れてしまっては……」
「誰が離れるといいました?」
「ええ? 先ほどリリアさんは我々がエルミナに行く利はないと」
「確かに利はないかも知れませんが、私は一緒に行かぬとは一言も言っていませんよ」
「えええ?」
それはティアナとエイルが同時に上げた声だった。
話の流れではどう考えても今まで一緒にやってきたアプリリアージェ一行が、ここで分かれて別行動に移る展開であった。
「もっともまだ最終的には決めかねていますが、暫定的にはエルミナ行きで合意しましょう」
アプリリアージェはそう言うと、ファルケンハインが頷くのを確認してからエウレイに向き直った。
「あとでゆっくりこの間の積もるお話を伺いましょう。先ほど知ったのですが、この教会にはいいワインが樽であるそうですよ」
「そいつは楽しみだ」
エウレイは心の中でほっと一息ついた。
アプリリアージェは彼の思惑に感づいていると確信できたからである。もちろん全貌は知るよしもないだろう。だが彼に含むところがあるということは伝わったようであった。そして詳細をラウとファーンがいない場所で詳しく聞くと言って寄越したのである。
訳がわからないのはエイルである。
アプリリアージェが一緒に行けないと言ったあと、エルネスティーネは行くといい、それはダメだと言ったティアナと戦う羽目になったかと思うと、結局全員でエルミナに行く事で一応の納得を見た……。
簡単に言えばそう言う事になるのだが、その間のやりとりについてはどうにも蚊帳の外といった感じで、腹の探り合いについて行けていない自分のふがいなさにイライラしたものさえ感じていた。
だが、そんなエイルにも何となくわかった事があった。
エルデとアプリリアージェという二人の飛び抜けた策士とは別に、一行には実はもう一人爪を隠した鷹が紛れ込んでいたのである。
エイルは三番目の鷹の表情をもう一度良く見ようと顔を巡らしたが、その時突然頭の中に声が鳴り響いた。
【どちくしょー!】
聞き間違えるはずがない。
そんな言葉を人の頭の中でいきなり吐く人物を、エイルは一人しか知らなかった。
「エルデ?」
呼びかける言葉は、声に出ていた。
そしてあろう事か、視線の先にはエルネスティーネが居たのである。
当然ながらエイルのその行動に、さしものエルネスティーネもその愛らしい笑顔を引きつらせた。
【……アホ】
つい今し方怒声を放ったエイルの頭の中の傍若無人な声は、今度は呆れたようにそうつぶやいた。
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