第四話 甘い罠 4/4

「そう思いたくはありません。でも、エルデは何もかも違いすぎる。何をしでかしても不思議ではないと思いませんか?」

 おそらくティアナの脳裏にはついさっきの情景が浮かんでいるのだろう。確かにネスティに対するエルデの精神的な威嚇は衝撃的なものだった。だが、それだからこそ、アプリリアージェはティアナの考えが的外れである事を確信していた。

「うーん……そっちの心配ですか」

「他に何が?」

「エイル君がネスティではなくエルデを選んで、ネスティが悲しみのどん底に沈むのを見るのが辛い……というのがティアナの悩みかと思っていました」

「姫が……ネスティが女の魅力でエルデに負けるわけなどありません」

「え?」

「ネスティは人間です。エイルも人間なら、あんな……あんな……」

「人間ではない、化け物を選ぶわけがない、と?」

「それにもう、あそこまでの間柄になっていますからエイルはもう、文字通り身も心もネスティの虜でしょう。そうなると私はエルデの嫉妬が怖いのです。『アレ』が指をちょっと曲げただけで普通の人間などひとたまりもないのですよ?」

「ティアナ」

「はい?」

「世の中には心配事がそれこそ星の数ほどあると思いますけど」

「はあ?」

「あなたの心配事はその中でももっともする必要の無い心配事の中にあって、さらに一番しなくていい心配の階層に属するものですよ」

「え?」

「この件については、エルデは『からっきし』でしょう。そもそもネスティとの闘いに負けたら、エルデは素直に身を引く覚悟だと思います。これはカンではなくて確信です」

「な……」

「なぜそんな事が断言できるのかと言いたいのでしょうが、私は少し前にこの件について直接エルデと話をしました。その時に確信したのです」

 アプリリアージェはそこで言葉を切ると、声を一段低くした。

「確信した理由を聞きたいですか?」

 ティアナは一も二もなくうなずいた。

「あなたがさっき言った事を、エルデはそのまま言ったのです」

「え?」

「化け物は人間と結ばれてはならない……」

「まさか……」

「もちろん本心ではないでしょう。悲鳴に聞こえました。それでもエイルはネスティを選ぶべきだと、ね」

「エルデが……」

「自分が人間でない事を一番わかっているのはエルデ自身なのですよ。そしてできればエイルにだけはそれを知られたくはなかったんです。さっきエルデが部屋を出るのを見ましたか?」

「はい。泣いてましたね」

「ベソをかいていた、と言った方がいいかもしれませんね。その時が来てしまったのですからね」

「そんな……」

「そして、ここが重要です。それもこれも、全部ネスティが仕組んだ事なんですよ。しかも状況を把握してそれを有効活用する計画を立て、実行に移すまでの時間の短さときたら、舌を巻くしかありません」

「え?」

「私もつい先ほど気付いたところです。実に巧妙ですね」

「まさか、仕組むなんて……」

「あなたの中のネスティはいつまでものほほんとしたエリー姫なのでしょうけど、もっと現実のあの子を見るべきです。もともとカラティアの血統ですから、そうとうに芯の強い娘だとは思っていましたが、迷いがなくなった後のネスティは、強靱でしたたかで、おまけにとても魅力的です」

「あの地下房の事ですか?」

「あれは結果です。おそらくきっかけはエイル君の背中にあった呪法による痣を見た時だと私は思っています。その後髪を切り、父王の訃報を聞き、ジャミール族の再生の旅立ちをその目で見たのです。普通の娘でも成長する余地は相当あったでしょうね。でもネスティは伸び代がずば抜けています。バード長ミドオーバ卿が彼女にかけたルーンは『変わり身』との外見的な整合性だけでなく、精神にも作用していたのだと私は考えています」

「そのルーンが解けて、元々持っていた能力が解放されて成長が加速したと言うのですか?」

「言葉にすると妙な感じですが、子供なんてたった一晩で大人になるものかもしれません。雨が上がったと思ったら季節が変わっていたという経験はありませんか?」

「頭では認めたくはないと思っていますが……」

「そうですね。私も認めたくはないのですが、例えばまったく同じ戦力をもつ同数の兵からなる軍隊を私とネスティ、それぞれが与えられたとしましょう」

「は?」

 ティアナはさすがにこの話題の転換にはついて行けなかったようで、問い返した。

「私とネスティがそれぞれ敵味方に分かれて戦争をしたら、という話です」

「はあ」

「あなたはどちらが勝つと思いますか?」

「それはもちろん、中将率いる軍にネスティが……」

「敵う訳がない、と?」

「ええ」

「そうですか。でも今の私はそういう状況になったら、勝てる気がしないのです」

「まさか、ご冗談を」

 だがその時アプリリアージェは微笑をやめていた。唇を噛み、目を閉じてカップに残った残りの紅茶を一気に飲み干した。

「私もそう思いたいのですが、言ったでしょう? 認めたくない、と」

 ティアナは思わずゴクリとつばを飲み込んでアプリリアージェの顔をじっと見つめた。冗談を言っているようには見えない。だがアプリリアージェはいつだって冗談なのか本気なのかわからない事を口にしているのだ。

 エルデはその会話の中にアプリリアージェの本当の言葉を見つけ出す事ができているようだが、ティアナにはそんな自信は無い。

 だが、今の一言は本心なのかも知れないと思った。

(でも、まさか)

「勘違いしないでくださいね。私はネスティを悪意のある策士だと言っているのではないのですよ」

「え?」

「ネスティがいったいどれだけまっすぐにエイル君が好きなのかという事です。そしてたとえ強力な競争相手がいても身を引くつもりなど全くないという意思表示に舌を巻いている……そんなところです」

 その一言でティアナはまた混乱した。

 アプリリアージェがエルネスティーネに対して一目於いているという意思表示をするだけなら、やや冗長で大げさすぎる話であった。

 決しておしゃべりではないが話し好きのアプリリアージェは、誰とでも言葉の遊びのような会話をしている。ティアナもそれをしょっちゅう耳にしているから、わかりにくい例えやもったいぶった言い方をする人だという事はもう理解しているつもりであった。

 だが、自分自身が会話の相手となると、そしてそれが世間話程度の軽い話題ではなく、かなり深い話になってくると、アプリリアージェという人物が皆目わからなくなるのだ。


「このままでは面白くないと思いませんか?」

 またもや唐突な質問がティアナに投げられた。

「面白くない?」

「さっき言ったように、たぶんエルデはこれで身を引く覚悟を決めたと思いますよ。さすがに『あれ』は決定的でしたしね」

「リリアさんは、つまりエルデに加勢してネスティと戦うとおっしゃるんですか?」

 だがリリアは肩をすくめて小さく頭を振った。

「私は面白ければいいんです。エルデについたり、ネスティについたり……。でも今はエイル君に付くのが楽しそうですけどね」

「リリアさん……」

「そうそう。話は変わりますが、ティアナはどう思いますか?」

「え? え?」

「エレメンタル同士が結ばれたら、いったい何が起こるのでしょうね」

「え?」

 さすがにアプリリアージェのその質問の意味は不明だった。

 エルネスティーネは風のエレメンタルである。

 だが、エイルはただの……。

 ティアナは目を見開いて無意識にアプリリアージェに詰め寄った。

「まさか?」

「さあさあ、ご両人の登場ですよ」

 だがアプリリアージェは自ら振った話をはぐらかすように立ち上がった。

 ティアナもつられて立ち上がる。

 アプリリアージェの言うとおり、エイルとエルネスティーネが寄り添いながら広間に入るところだった。

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