第一話 ミエリッタ 4/5
「子供はゆっくりと大人になっていくのではなく、ある日突然大人になるのですよ」
何があったのかと問うエイル達の質問をやんわりと拒否するように、アプリリアージェはそう言っただけで、それ以上はいくらエイル達が訪ねてもその件についてはもう何も答えなかった。
その後ハイデルーヴェン地下房での出来事をファルケンハイン達から聞き、それが一つのきっかけになり、持っていた一面が強調されたのだと、何とはなしにエイルは理解したものの、それでも戸惑うばかりであった。
エイルに向かって投げて寄越す何気ない会話の様子が今までと……いや、今まで以上に楽しげで、そして今まで以上に親しみの情を込めたものになっていたが……それは全くもって少女のそれであるだけに、真顔の時の不用意に逆らえないような威圧感ある佇まいを見ると、何か落ち着かない気分になるのだった。
今もまさにそうだった。
アプリリアージェの話をじっと聞いていたかと思うと、エイルの言葉に頬を染めた姿は少女のそれであった。だが、その数秒後にはまるで自分がその場を取り仕切るのが当然のような態度で事態の処理にかかったのだ。
一人だけで。
誰と相談するでもなく。
口調などは完全に王女の、いや王女の時にもそんな口調にはならなかったとティアナは言っていたから、そうではないのだろう。だが以前のエルネスティーネの事を知らない人間がその場にいたとしたら、そこにいるアルヴィンは、王女か女王なのではないかと思わずにはいられなかったであろう。
口調だけではない。
厳しい眼差しで大柄なティアナを睨むように見上げる表情もまた、エイルがそれまで知らなかったものだった。
「『一つの剣(ミエリッタ)』とは本来、王妃が婚儀の最後に夫である王に対して与える称号。もしくは女王が夫に対して授けるもの。それを今ここで姫がエイルに与えることはできません」
ティアナはエルネスティーネの態度に、実のところは怯んでいた。だがティアナにも武人であり、かつエルネスティーネの教育係の一人であるという自負があった。
だから精一杯厳しい顔を作ってそう言い返した。
ヴォールにあるマーリン正教会の地下室。
その中でも彼らがあてがわれた場所は特別な区画で、大規模を誇る教会内でもその存在を知るものは一握りに限られていた。
ハロウィン……いや、エウレイの旧知であるという教主長が、無条件に解放してくれた第一級の精霊陣で隔てられた結界区画だったのである。
仲間が一体何人なのか?
誰と誰がいるのか?
そんな事は一切不問で、彼らは人目に付く事なく、エルデの不可視ルーンを使って中に入る事を許可されたのだ。
その部屋にいた面々は十一人。
すなわちエイル、エルデ、アプリリアージェ、エルネスティーネ、ファルケンハイン、ティアナ、テンリーゼン、エウレイ、ベック、ラウ、そしてファーンである。
その面々には既にエルネスティーネの正体が知れていた。だからティアナがエルネスティーネの事をたとえ「姫」と呼びかけても、誰も咎める者はいない。
「カラティア家の嫡子が、軽々しくミエリッタを指名するなどあってはならぬ事です」
ティアナはミエリッタという単語を持ち出したエルネスティーネに対して恐ろしい程の剣幕でたしなめた。いや、食い下がっていると言い換えた方がいいかもしれない。
「そ、そんな大それたものなのか?」
ある意味、自分の事でにらみ合っているエルネスティーネとティアナの剣幕に押され、エイルは隣のエルデに小声でたずねた。
「知識としては知ってる。でも、シルフィード王室のミエリッタ慣習をここで持ち出すとは……さすがに驚いた、っちゅうか新型ネスティはなんちゅうかこう、ただもんやないな」
「新型って……」
「まあ冗談やろけど、それにしても驚いたわ」
「驚いてばかりいないで教えろよ、ミエリッタって要するに何なんだよ?」
「剣の腕がたつご婦人の護衛の事や。ただし、意味はほとんど夫婦やで」
「えええええ?」
「言うとくけど、嘘やないから」
エイルはミエリッタという言葉の持つ意味の大きさに、びっくりするよりもむしろ呆れていた。
いや、そんな大それた事をエイルに向かって事も無げに口にしたエルネスティーネに対して呆れていたと言った方が正しいだろう。
「そうだよな、さすがにそれは冗談だよなあ」
「問題など何もないっ」
エイルの言葉を遮るようにエルネスティーネが声を荒らげた。
「ティアナ、そなたの知識は極めて表層的でミエリッタの本質を語るものではない」
「え?」
「本来『ミエリッタ』とは、我がカラティア家の女が自分の守護役として生涯ただ一人に与える称号。それ以上でも以下でもありません。それがいつの間にか形骸化し、婚儀の中に組み入れられ、やがて様式となったに過ぎないのです。カラティア家の女として生まれたこの私がエイルを本来の意味の『ミエリッタ』に任命する事に一体何の問題がありましょう?」
口調を多少柔らかく変えはしたものの、エルネスティーネの言葉は、まるで非難の矢のような強い調子でティアナの耳に刺さった。
「勘違いをしないでちょうだい、ティアナ。私はエイルと婚儀を結ぶといっているわけではないのですから」
「こ、婚儀って」
「はしゃぐな」
「はしゃいでない!」
「やかましい!」
「何怒ってるんだよ」
「怒ってへん!」
「いやいやいやいや」
エイルとエルデのヒソヒソ話が耳に入り、それに気が削がれつつもティアナは食い下がった。
「されど、その相手がただの人間、それもファランドールではなくファランドール・フォウから来た違界人。本来であろうが現在であろうがミエリッタの称号を戴く以上、カラティア家に深く関係する事になる人間に違いはありません。異界人がその役にふさわしいとは到底思えません。つまり私は付き人として姫のわがままを認める訳にはいきません」
「ウチも反対や」
二人の会話にエルデが口を挟んだ。
「そんな微妙に怪しい称号、勝手にウチのエイルに付けるな!」
「おやまあ」
エルデの物言いに、エルネスティーネはあからさまに乗ってきた。
「それは何のイチャモンでしょう、賢者殿? そもそも『ウチのエイル』とは初めて聞く称号ですね。正教会ではそんなつまらなさそうな称号があるのですか?」
エイルはたまらずアプリリアージェを見た。取りなしてくれるだろうと思ったのだ。
だが、アプリリアージェはにこにこしながら二人を眺めているだけで、エイルの視線に自分の視線を絡めようとはしなかった。
仕方なくエイルはファルケンハインに助けを求めたが、その場で最も長身の武人は、これまたあからさまに顔をそむけた。
「説明聞いてたら、どっちにしろエイルをネスティの特別な男にするって事やろ? そんなもん、ウチがはいそうですか、って認めるわけないやろ」
「あらあら。なぜ私が賢者殿に認めて貰わねばならないのでしょう? これは私とエイルの問題です」
「いや、そやかてそれは……」
「ああ、なるほど、やきもちですか」
その挑発に、エルデはいとも簡単に反応した。
「なんやて?」
いつの間にかエルデはティアナの隣に居て、ごく近くでエルネスティーネとにらみ合う格好になっていた。
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