第九十二話 共通点 4/4
「落ち着け、リーン」
ケヤキの根元に横たわるイエナ三世の側に立つガルフは、部下にそう声をかけた。
「言われずともそれが正しい事など、私にもわかっております」
いつになくトゲのある言葉を直接的に投げつけてきたリーンに、アルヴの老将は目を細めた。
「しかし拒否します」
リーンの言葉の真意をはかりかねたガルフは、視線をイエナ三世に戻すと普段よりもゆっくりとした口調で語りかけた。
「ワシの火力を侮るな。こう見えてもルーンの射程に入る前に大きな火炎の掃射がまだ数回はできる。戦力としてあてにしろ」
リーンはその言葉を聞くとわざとらしくため息をついた。
「失礼ながら、そんなものはすでに想定済みです。さらに言えば強化ルーンがかかった敵には落ちぶれた線香花火など、ほとんど無力であろう事も織り込み済みです」
「ほう。このワシの炎はあまり戦力にならぬと言うのか?」
「『あまり』ではありません。この戦いでは閣下はおそらく『戦力外』です」
「なんと。言い換えるなら『役立たず』と言う事か?」
「言い換える必要を認めませんな。しかしその通りです。彼らを前に閣下の火力などろうそくの火の役にもたちますまい」
ガルフは苦笑いした。
「いつも以上に手厳しいな」
ガルフとて本心はリーンと同意見であった。リーンが落ち着かない様子なのも十分理解していた。だが、それにおぼれさせてはならないと思い、リーンと会話をすることを目的に口を開いたに過ぎなかった。
「ではお前とワシは剣で立ち向かうか?」
リーンはしかし大きく首を横に振った。
「たとえベーレント准将の部隊が加わったとしても、私は敵と戦うつもりはありません」
「ほう。シルフィード王国の軍人が敵を前に戦わぬと申すか?」
「のんきに戦っている暇などありません」
リーンには一つの作戦があった。
だがそれを実行に移す為には、是非ともミリアの力が必要だったのだ。ミリアがリーンの頼みを聞いてくれる保証はない。しかしリーンはミリアという人間を彼なりにとらえており、受け入れてもらえるという確信のようなものがあった。
だから、ガルフが釘を刺しても動じなかった。
「ペトルウシュカ公爵のお力で、陛下を直接ノッダに移送しようとしても無駄だぞ」
「もとより承知しております」
リーンが落ち着かないのは、ミリア達が馬車からいっこうに姿を現さない事であった。馬車の扉を見ながら行ったり来たりしている訳であるから、ガルフもリーンがミリアを待っている事はわかっていた。
同時にミリアに対してイエナ三世の移送を頼んでも無駄であろうという事も。
ミリアは一から十までは彼らに手を貸そうとはしなかった。
ミリアの移動能力を使えば、大葬で遷都宣言をした後、ラクジュ街道を馬で走らせるのではなく「力」を使って直接ノッダに移動させてしまえる。
今回の作戦を立てる際、リーンがなぜそうしないのかをミリアに尋ねた事がある。その時ミリアはこう言ったのだ。
「シルフィード王国は、一人の人間の力に頼り切って国を成り立たせたいのかい?」 と。
ミリアは彼らの手助けはする。
最大の手助けは、大軍隊を移送した事である。
次にイエナ三世がエレメンタルである事を各国の来賓だけでなくサミュエル・ミドオーバ近衛軍大元帥に印象づける為、部下のフリストが持つ竜巻の力を提供した。
だが直接イエナ三世をエッダからノッダへ運ぶ事はしなかった。
そもそもイエナ三世の身柄を確保するだけならば、ミリアはいつでもできたのだ。ミリアの力があれば、イエナ三世の自室にいつでも入り、そのまま安全に連れ出して、ノッダに連れて行けばいいだけである。
だが、ミリア・ペトルウシュカはそれをしなかった。
ガルフはミリアのもう一つの言葉を思い出していた。
「ボクがその気になれば、そうだね。小一時間もかからず、この場所にサミュエル・ミドオーバ大元帥の首をぶら下げて戻ってくる事もできる」
それが大言壮語でない事は今ならわかる。だがミリアはこう続けた。
「でも、ボクがそれをやってもファランドールは何も変わらない」
シルフィードではなく、ファランドールとミリアは言った。
ガルフはその言葉に思わず問いかけずにはいられなかった。
「あなたはファランドールを変えたいのですか?」
ミリアはしかし、首を横に振ったのだ。
「それはボクの役目じゃない。ボク以外の、変えるべき人が変えるのさ」
ガルフにはミリアの行動原理は理解できなかった。この世界の成り立ちを知り、深い知識と洞察力を持っているばかりか、彼のフェアリーの能力は世界を短期間で変えるには最適なものだと思われた。
だが、イエナ三世をエッダから救出する手助けはしても、それ以上はガルフ達の仕事だとミリアは言ったのだ。
「その後は、シルフィード王国が決める事だ。ボクじゃない」
ミリアは宝箱の鍵の場所を教えるだけなのだ。自分で宝箱を開けようとはしない。もちろん宝を手にする事もない。そして鍵のある場所への案内すらもしないのだ。
だからたとえ窮地に陥ったとしても、ここからイエナ三世をノッダに移送する事はないだろうとガルフは考えていた。そしてそこまではリーンも同じ考えなのだと言う。
ではリーンの思惑は何なのか?
ミリアの力を借りようとしている事は確かだ。だがガルフの考えでは断られる公算の方が大きい。
しかし、落ち着かない様子こそ見せてはいるが、リーンの言葉には自信のようなものが込められている。
現時点ではガルフにはリーンの考えが読めなかった。リーンの作戦が荒唐無稽なものでないとすると、すでにリーンはガルフを超えた戦術家である事が確定する。
それはガルフにとっては何ものにも変えられぬ喜びであった。
そもそもリーンが荒唐無稽な作戦を立てる訳がない事を知っているのはガルフである。つまり、有効と思われる作戦が立てられなかったこの時点ですでにリーンは彼の手を離れていた。イエナ三世の知恵袋の一つとして、この先自分自身より役に立つことだろう。
窮地の中でガルフは少しうれしい気分になっている自分に驚いていた。
リーンとガルフの会話が途切れて少したった頃だった。
二人が待ちわびていた事が起きた。馬車の扉がゆっくりと開いたのだ。
二人が固唾をのんで見守る中、小柄なダーク・アルヴが大柄なスノウに支えられて降りてきた。
その光景を目の当たりにしたリーンは絶句した。
(本当に……ベルクラッセ中尉は生き返ったと言うのか?)
とは言え、目の前の光景を見れば、もはや疑問の余地はなかった。
土気色で全く生気がないとは言え、確かにフリスト・ベルクラッセは自らの足を地に着け、浅いながら呼吸をしていたのだ。
「状況……説明を」
フリストは苦しそうな声でリーンにそう声をかけた。足を地につけているとは言え、自力では立てないようで、体重のほとんどをスノウに預けていた。
スノウは涙でぐしょぐしょにしてずいぶんひどい顔だった。焦点の定まらないぼんやりとした顔でいる事が多いその少女が、ここまで感情を表に出している事が新鮮でもあった。それだけフリストに対する情が深いのであろう。
「時間がない。急げ少尉」
フリストに促され、リーンは我に返った。
「そうか……」
一通りの説明が終わると、フリストは少し離れたところで待機している親衛隊を見回し、一番体格がいい兵を指さした。
「あの兵と馬を借りたい」
「その体でいったい何をするつもりですか?」
「敵の部隊を押さえる」
「え? いや、それは」
「少尉とここで言い争っている時間はない。訳は全部あとだ。私が出立したらイエナ三世を率いてベーレント准将と合流せよ」
フリストは苦しそうにそれだけ言うと、リーンの返事は聞かず、スノウに指示して横たわるイエナ三世の側にむかった。
「陛下」
声をかけても目を覚ます様子が無いのを見ると、フリストはためらわずにイエナ三世の頬を叩いた。
二、三度頬を叩くと、イエナ三世はうっすらと目を開けた。
「え?」
目の前にフリストがいるのを見て、イエナ三世は飛び起きた。
「フリスト!」
抱きつこうとするイエナ三世を制すると、フリストは膝をついて頭を垂れた。
「ご無事で何よりです」
「フリスト。傷は? すごい血……大丈夫なの?」
「おかげさまで。ですが陛下。長話をしている時間はありません。私は一仕事ございますので、いったんおいとまします。あとはアンセルメ少尉の指示に従って下さい」
「え? でも、フリスト?」
「では、後ほど」
ふらふらと立ち上がろうとするフリストをスノウが支えようとしたが、そこへスノウよりも二回り大きな手が差しのべられた。
フリストが指名した親衛隊の兵士だった。
「ご指示を」
フリストはうなずいた。
「最初の指示だ。こんな状態ですまんが、私をベーレント准将のところへ運んでくれ」
「承知いたしました」
短いやりとりのあと、フリストは大柄なアルヴの兵に軽々と抱きかかえられ、馬上の人となった。
イエナ三世は何も言えずにその様子を見ていたが、馬が走り出す際にチラリと振り返ったフリストの顔を見ると、思わず立ち上がり、追いすがるように手を伸ばした。
フリストの顔色は悪かった。だが、そこには穏やかな……優しい笑顔があったのだ。
だがその顔はあまりにはかなげで、イエナ三世は思わず胸を押さえた。
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