第八十九話 金の三つ編み 3/4

 ジナイーダはもてる情報を駆使して目の前に忽然と現れた「ように見える」アルヴィンの少女の特定を急いでいた。

 ル=キリアとはフェアリー、それも風のフェアリーだけで構成された特殊な戦闘集団である。目の前の少女が本当にル=キリアの一員だとすると風のフェアリー、それも高位のフェアリーである事は決定事項である。ならば、目の前の少女がたとえ誰であろうと、おそらくその移動速度は二人の比ではないだろう。最も短いルーンで相手を攻撃しようとしたとしても、そのルーンの前文を唱え終わる前に視界と意識がなくなっている事はジナイーダにも容易に想像が付いた。

 だがそれでも、人物特定は重要である。名前がわかれば特性などがある程度把握できる可能性がある。賢者会が掴んでいる情報が果たして役に立つかどうかはわからないが、少なくとも無駄になる事はないはずだった。


「私はル=キリアの名前は知っているが、さすがにそっち方面には詳しくはない。だが、まさかコイツがあの『ドール』なのか?」

 ニームがジナイーダにそう尋ねると

「いえ」

 ジナイーダは即座に首を振った。

「私の持っている情報では、『ドール』は顔に醜い入れ墨が施されているそうです。それにドールは銀髪のはず」

「そうか」

 ニームは目の前のアルヴィンの金髪を見つめて納得した。

「そういえば『ドール』は喋れないと聞いていたな」

「ええ、さらに言えば……」

 ジナイーダもニームに倣って目の前の少女の顔を改めて見つめた。

 薄い緑色の大きな目が、今は細められている。作り物のような整った顔だが、アルヴィンらしく無表情だった。しかし、もしもこの少女が笑顔であったなら、見とれてしまう事だろうと思えた。

「そもそも『ドール』は少年です」

「ふむ」

 ニームは目の前の三つ編みのアルヴィンが「ドール」と呼ばれ、恐れられているアルヴィンとは別人だと知って、少しばかり安心した。だが同時に不思議な気持ちを自分の中に見つけた。それは軽い失望であった。悪名高い「ドール」に一度は会ってみたかったという思いがあったのだ。

 そんな自分を客観的に観察したニームは、思ったよりも動揺していない事に微かな誇りのようなものを感じていた。それもまたニームにしては不思議な感情だと言えた。

 それもすべては相手から殺気をまったく感じない事に起因するものだ。もちろん神経はピリピリと張りつめてはいた。だが危機感がそれほど湧いてこないのだ。

 翻って昨夜の相手、ミリア・ペトルウシュカはどうだったのか? 同様にミリアもあからさまな殺意をむき出しにしてその場に「存在」していたわけではなかったのではないのか? 

 そこまで考えると、急にその時の恐怖と絶望が頭をもたげた。ニームは思わず唇を噛んだ。生まれて初めて、なりふりなど構っていられない恐怖心に呑まれた自分が惨めで悔しかった。以前ならば何があっても決してそうはならない確信のようなものがあった。だが、今の自分は外界に対して予想以上に反応してしまう。

(ああ、そうか……)

 ニームはここに来て初めてその訳を知った。全てはエスカに対して特殊な感情が生まれてからではないか。

 だが、ニームはそのことによって自分が弱くなったとは思いたくなかった。それでは自分だけでなくエスカも否定してしまうように思えた。

 今の自分は弱い。この恐怖に飲み込まれるのは簡単だった。だが、やるべき事ではなく、やりたい事を見つけた自分は、それを否定せず飲み込む事が出来るはずだ……。

 ニームは一つ大きく息を吸い込むと努めて目を大きく開き、目の前の三つ編みの兵士を睨み据えた。

 別人とは言うものの、目の前の少女の登場は「ドール」と呼ばれるテンリーゼン・クラルヴァインの噂そのものだった。気配がまったくないのに忽然と目の前に現れるアルヴィン。圧倒的な移動速度を誇るル=キリアのアルヴィン……。


「一応、名を聞いておきたい」

 あれこれ不確実な推理を働かせる事がばかばかしい事に、すでにニームは気付いていた。何しろ目の前に本人がいるのだから、本人に聞くのが手っ取り早い。

 ニームが三つ編みの少女を睨むようにしてそう言うと、予期せず二人を狙っていた矢がスッと下りた。狙いが解かれたのだ。

 照準が外された事に二人が少なからず驚いていると、少女が口を開いた。

「シーレン・メイベル」

 少女は静かにそう告げた。

「メイベル……あの『凶兵』か」

 ジナイーダは絶句した。メイベルの名は忌み言葉として知れ渡っていた。当然ながら情報があった。

 ひとたび人を殺し始めたら、その場にいる全員が動かなくなるまで戦闘を止めることのない、殺戮者。狂気の光をその緑色の目に宿し、時には戦闘を止めに入った味方すら何のためらいもなく切り捨てる暴走ぶりに、シルフィードが自ら処刑したと伝えられている。


「なるほど。表舞台では抹殺されたが、その実はシルフィード軍の裏とも言えるル=キリアで生き延びていたという事か。いや、裏で使う為に表を消したと言うべきか?」

 ジナイーダの説明を聞いたニームは、感想ともとれる言葉を直接「凶兵」に向けた。そして相手の答えを待たずに続けて次の質問を投げかけた。

「お前はペトルウシュカ公ミリアの使いなのだな?」

 シーレン・メイベルはうなずくと、手を首筋にやって、襟を止めていたボタンを外した。それはル=キリアの部隊章を隠す事になった。

「そうだ」

 それは二番目の質問に対するものだとニームは解釈した。

「面妖な話だな。ペトルウシュカ公はドライアド王国の人間であろう? なぜシルフィード王国直轄と言われるル=キリアがあやつの使いをしているのだ?」

「部隊章は自己紹介用だ。私は今、ル=キリアでもシルフィード海軍でもなく、ミリア様に従っている」

「どういう意味だ?」

「それについて答えるようには命じられていない」

「『凶兵』が、ただの使いで現れたのか」

 ニームが挑発を込めてそう言った瞬間、視界からメイベルが消えた。いや、消えたというのは正確ではない。三つ編みにされた金髪がなびく残像が網膜に残っていた。右に回り込んだものと思われた。だが顔をそちらに向けるよりも速く、首筋に冷たいモノがあてがわれていた。

 それはあまりに速い移動であった。ニームが息を呑む間もなく、後ろから感情のこもらない声が聞こえた。

「人でもない三つ眼(みつめ)の分際で、二度とその忌み名で私を呼ぶな」

「金の三つ編み」

 三つ眼という言葉にムッとしたニームが口を開く前に、ジナイーダが横でそうつぶやいた。

「え?」

「ル=キリアはニーム様もご存じの通り、表に出る事のない部隊です。兵達は名前ではなく二つ名で呼ばれています」

「それがコイツの二つ名か?」

 ニームは今し方自らが体験したシーレンの残像を思い出していた。

「なるほどな」

 ニームは小さなため息をついた。

「私もなるほど、と思いました」

 ジナイーダは似たようなため息をついた。おそらくニームと同じ残像を見たのであろう。

「だが、凶兵と呼ばれた程の兵士の新たな二つ名が『金の三つ編み』とはどうなのだ?」

「どうなのだ? と言いますと?」

「拍子抜けする程穏やかな名前ではないか?」

「そもそもル=キリアの隊員の二つ名に強い兵士を想像させるものはあまりありませんよ。『ドール』、『金の三つ編み』、『双黒の左』、『夢の織り手』、『日和見』 どれも強そうではありませんね」

「そうだな。司令だけは例外のようだがな」

「『白面の悪魔』、確かにそうですね」

 ニームとジナイーダの無駄話を、シーレンは制するそぶりを見せず黙って聞いていたが、会話が一段落付くとニームの首元に当てていた短剣を収め、ゆっくりと二人の前に戻った。

 最初に口を開いたのはシーレンだった。

「『金の三つ編み』はル=キリアの名だ。今の私はただのシーレン・メイベルだ」

 ニームはわかったという風にうなずいた。

「ならばシーレン・メイベル。お前の主が私をここに呼び出した訳をききたい」

「私は道案内だ」

「道案内だと? どこへ行くのだ?」

「?」

 その時、シーレンの表情に初めて感情らしきものが浮かんだ。

「聞いていないのか?」

 ニームは頷いた。

「我が主からはニーム・タ=タンには伝え済みと聞いている」

 そう言われてニームは思い出したくなかった昨夜のあの記憶をたどった。ミリアとの会話は全て記憶しているわけではない。所々で意識が飛んでいたのだ。

 ニームの体に再びその時の感覚が蘇り、体中の汗腺からどっと汗が出るのを感じた。

「正直に言おう。所々で記憶が飛んでいて、その目的地とやらの事は覚えておらん」

 シーレンはそう言うニームの様子を目を細めて眺めていたが、やがて小さなため息をついた。

「主のいう通りだな。お前では弱すぎる」

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