第八十九話 金の三つ編み 2/4

 抱き合って囁き合っていた二人だが、ゆっくりしている時間はなさそうであった。

 二人のいる地下右翼の再奥部は、王宮内でも特定の人間しか入れないような場所になっていた。それはここにたどり着く途中に、二カ所も通関所があった事でそれと知れた。ルーナーの中でも強化の専門職、コンサーラであるニームの「存在感を消すルーン」は相当に強力のようで、二人は堂々とその二つの通関を突破していたのだ。

 だが、二人の耳には複数、それも相当数の靴音が届いた。ある程度指揮系統の混乱が落ち着き、内部の警護による再探索が始まったのかもしれない。どさくさに紛れたノッダ側の密偵が内部に潜んでいないとも限らない。徹底した捜索は味方の士気の為にも必要なものだと言えた。

 捜索の手を逃れるために継続時間の長い「存在感を消すルーン」に変えて「姿を消すルーン」をかけ直す事も可能ではあったが、ニームはそんな「間抜け」ではなかった。もちろん感知を恐れたのだ。

 通関時と違い、相手がいるかも知れないという前提で捜索隊は動いている。つまり、強化解除のルーンを使えるルーナーが捜索隊ごとにいてしかるべきであった。高位にあるニームの強化ルーンが、並のルーナーの解除ルーンで無効化される事は考えにくかったが、感知ルーンはルーナーの高低に関係無く「感知」できる。むしろ相手のルーンが強ければ強いほど感知しやすいのだ。

 そうしている間にも足音が大きくなっていた。最深部にも彼らの手が回る可能性は高い。

 つまりは彼女たちのとるべき道は一つであった。


 二人は無言でうなずき合うと、目の前にある、アルヴでも余裕を感じる大きさに作られた、要するにかなり大きな扉に手をかけると音をたてないようにゆっくりと開き、まずはジナイーダが部屋の中の様子を伺った。

 地下の部屋である。窓はない。代わりに天井に備え付けられたルナタイトと思われる大きめの発光石が一つだけ光り、あまり広くはないその部屋の様子をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 一見してその部屋が武器庫であることがわかった。

 いや……。

「これは……呪具の類か」

 ジナイーダの背後から部屋をのぞき込んだニームが扉の正面にある壁に掛けられた手斧と、その横にある薄い金属板でできた楯を見てそうつぶやいた。

「曰く付きっぽい場所にしては、扉に鍵がかかっていないのが私は気になりましたが」

 ニームはゆっくりと首を横に振った。

「しっかりルーン錠がかかっておった。ただし、私のような存在には意味を成さぬ」

「なるほど」

 二人のルーナーの間に相当の力の差がある場合、低位のルーナーが使うルーンは高位のルーナーによって無効化される。いや、強制的に破壊されると表現した方が適切だろう。それは攻撃ルーンだけではなく、もちろん精霊陣や仕込まれた施錠ルーンなどにも当てはまる。

 ルーンの存在を知った上で、ニームはそれを何ら特別な事をせずに普通に解除してみせたのだ。いや、無視したと表現した方がいいかもしれない。つまり施錠ルーンをかけたルーナーとニームとの間にはそれほどまでの大きな能力差があるという事であった。

 もちろん「呪具庫」のような場所の施錠を任されるルーナーが「低位ルーナー」などであるはずはない。まさしくシルフィードのバード達の中でもそれ相当の力を持つルーナー、それもコンサーラであろう。

 それが証拠に賢者を名乗るジナイーダは精霊陣の存在すら認識出来ていなかったのだ。ジナイーダが攻撃ルーンの専門であるエクセラーだという事もあろう。だが、末席賢者とは言えルーナーとしては相当の高位にある。要するに生半可なルーンで施錠されていた訳ではないのだ。

 だがニームは大賢者。しかもコンサーラであった。

 ルーナーの能力としては底が知れない……。ジナイーダは頼りなく泣きじゃくる子供のようなニームと、その持っている能力の大きさの対比にめまいがする思いだった。


「誰もおらぬようだな」

 手早く一通り部屋の中を見渡した二人は部屋に入ると扉を閉めた。ジナイーダはその時ニームが手に持った細長い布紐を扉の取っ手に素早く巻き付けるのを見た。おそらくそれは施錠の精霊陣になるのであろう。その方法だと感知ルーンには引っかからないのであろう。そしてこの強力なコンサーラが施した精霊陣を破れるルーナーはシルフィードには存在しないだろうと素直に思った。

 可能性があるとすればただ一人。もちろんサミュエル・ミドオーバだが、シルフィードのバード長とは言え、さすがにこの混乱である。自らが探索の指揮を執る暇があるとは思えなかった。すなわちしばらく時間稼ぎが出来るという事である。

 ニームの言うとおり、ジナイーダもその部屋に人の気配を感じなかった。

「ここで、間違いないのですね?」

「わからぬ。だがここしか考えられん」

「とりあえずは待つしかなさそうですね」

「そうだな」

 二、三言葉を交わすと、ジナイーダは少しだけ警戒を解いた。

 だが、まるでその瞬間を狙っていたかのように「それ」は二人の目の前に現れた。


「え?」

 ニームとジナイーダは異口同音に口の中で小さく叫んだ。

 目の前に人がいたのだ。

 一人だ。

 ニームとジナイーダは一瞬の隙を付かれた格好だった。

「騒ぐな」

 声を出したのは目の前のその小柄な人物だった。

 小柄……いや、やや尖った耳と緑の瞳。少女のアルヴィンであった。少女と言っても背格好は成人したアルヴィンのそれである。ニームやジナイーダには少女に見えるが、例によってアルヴィンやダーク・アルヴは年齢がわからない。

 もちろん、ただのアルヴィンの少女でない事はすぐにわかった。二人はその少女に矢で狙われていたのだから。

 長い金髪を後ろで三つ編みにした少女は、一つの弓で二本の矢を番え、それぞれが二人の喉をピタリと狙っていた。

 剣でなく矢を使っているのは一人で二人を一度に狙うには都合がいいからという理由であろうが、それでも一つの弓で二本の矢を制御できる人間はあまりいない。相当な熟練が必要だからである。もしくは特殊なフェアリーの能力があるのか……。

 少なくともこのアルヴィンの少女が弓を得意にしている事だけは確かであろう。

 しかも戦闘員である。それは纏っている服でわかる。


「私は使いだ」

 ニーム達がすぐに動かない事を確認する為の短い間を与えた後に、少女は改めて口を開いた。

「おとなしくしていれば危害は加えない。そう命令を受けている。だがルーンを使ったり攻撃的な態度を見せた場合、始末していいとも命令されている」

 アルヴィンの少女の抑揚のない声からは、その言葉がどれほどの重さを持つものかを判断するのが難しかった。

 まるで書き付けの文字をただ発音しているかのような、さらに言えば下手な役者が台本の台詞の文字をただ読んでいるだけのようで、奇妙な空気をその場に生んだ。

「念のために言っておこう」

 三つ編みの少女はさらに続けた。

「私を普通の兵士だと思うな。お前達のその目が普通に機能していて、それなりの観察眼と知識があればすでに理解しているだろう。それともさらなる説明が必要か?」

 言い終えた少女の瞳が、ルナタイトの光を反射して濡れたように光った。

「ニームさま」

「わかっている」

 二人は三つ編みの少女の襟元で鈍く輝く階級章のようなものに、既に気付いていた。少女のいう「観察眼」とはそれが目に入っただろうという事であろう。そこには銀糸で、翼のある矢が縫い取られていた。その階級章はどの国であろうと軍に関わる者であれば、いや、ファランドールの情勢に興味を持つ人間ならば知らぬ者はいないある特殊な軍組織の部隊章であった。

「ル=キリアは全滅したと聞いているが?」

 ニームはそう言うと改めて金髪三つ編みの少女の様子を子細に観察した。

 驚きはしたが、矢を突きつけられていても不思議と恐怖は長続きしなかった。最初はもちろん思わず息を呑んだが、突きつけられた矢から殺意は伝わってこなかったからだ。もっとも体は正直で、最初に感じた恐怖により背中は冷たい汗でびっしょりだった。一瞬だが、昨夜の恐怖が脳裏に蘇ったのだ。だがそれは本人が認識するよりも早く消えていったのではあるが……。

 ニーム達の目の前の少女は敵意や殺意というものとは無縁の存在として、そこに静かに立っていた。立ち姿が矢を番える格好であったというだけである。微動だにしないその姿は少し離れてしまえばそういう「人形(ドール)」と見間違う可能性すらあった。

 敵意が無いという事は、少女の言うとおりおとなしくしていれば危害を加えられない事は確かであろう。そもそも殺すつもりなら有無を言わさず矢を放てばよかったのだから。

 ニームが施錠ルーンを解除した際に、ルーンの法則によりあらかじめ自分達にかけていた強化ルーンは全て剥がれている。感知を恐れてかけ直す事もできなかったのだから、射られていればひとたまりもなかったであろう。

 アルヴィンの少女は間違い無くルーンの決まり事、いやルーナーの持つ弱点を熟知した人間だと言えた。もしもニームが部屋に入る前に強化ルーンをかけようとしていたなら、その時は詠唱を開始しようとした時に姿を現したに違いない。

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