第七十六話 血の記憶 5/6

「やれやれ、剣が光る理由より先に入手先の尋問ですか」

 シュクルはそう言って苦笑したが気分を害した様子もなく、素直に手に入れた経緯を話し出した。

「ミドオーバ殿から頂戴したものですよ」

 ミドオーバという名前をシュクルが告げたとたん、トルマの顔色が変わった。エスカとニームはもちろんそれを見逃さなかった。

「ミドオーバというと、近衛軍大元帥の?」

 エスカの問いに、しかしシュクルは首を横に振った。

「同じミドオーバでもカテナ・ミドオーバ陸軍中佐の方ですよ」

「倅の方か。そう言えばお前達は確か士官訓練所で同期だったな」

「ご存じないかも知れませんが、シルフィードでは士官訓練所を卒業しても士官になれるわけではないのが特徴でして」

 シュクルはエスカに向かってそう言うと肩をすくめて見せた。ドライアドでは貴族学校を出て軍人に志願すれば無条件で准尉の階級章が与えられる。そして一度実戦か、実戦訓練を行えば少尉にはなれる仕組みになっていた。

 その背景を考えるとシュクルの言動はエスカに対する皮肉とも取れるが、そういう邪気はシュクルには一切ないようであった。


 シルフィードにはそう言った仕組みはなく、士官訓練所とは文字通り訓練を積むための場所であり、それを生かして結果を出し、評価されたものだけが階級を勝ち取る事ができるのである。言い換えるならば士官訓練所が必要のない者も大勢いると言う事である。むしろ士官訓練所は軍内部での顔合わせや人脈作りの場という側面が大きい。

「まあ、同期と言っても机を並べたのはたったの一年ですからね。でも陸軍と海軍の軍人がじっくりとつきあうには実にいい場所です」

 エスカはシュクルの言葉にうなずいた。

「シュクル殿はさぞや優秀であったのでしょうな」

 エスカのその言葉はおべっかでもなんでもなかった。シュクルの若さで少佐という階級を持っている事がシルフィードでは異例であることは知識として知っていたからだ。

「いやいや、私が優秀などと思われてはシルフィードの軍力を過小評価していることになりますぞ、ペトルウシュカ将軍」

 シュクルはおどけてそう言ったが、トルマが横から口を挟んだ。

「いや、あの年の優秀賞は、確かスリーズという名前ではなかったかな?」

 それは実のところトルマとシュクルの間だけで時折交わされる定番の嫌みだったのだが、もちろんエスカ達には意味は通じなかった。

 シュクルは大げさに肩をすくめて苦笑して見せると、エスカに説明した。

「同期と言っても訓練所は一般的な学校とは違いますから参加している人間の年齢は様々なんです。ミドオーバ中佐は私よりも五つも年上ですし、その年の優秀賞をとったスリーズという人間は私よりも三つも年下でしてね」

 スリーズという族名がシルフィードでは多いのか少ないのかはエスカには知るよしもなかったが、要するに同じ歳に同じ族名を持った別人が優秀賞を取った事でシュクルは揶揄られているのである。

「従兄弟なんですが、ここの出来がちょっと普通じゃなくて」

 シュクルはそう言って指で頭をさした。

「お気の毒な方?」

 エスカのつまらない突っ込みにシュクルは小さく笑って反応した。

「いやいや。まあそうかも知れません。何しろ奴は一度読んだ本の内容は完璧に記憶しているんですよ。『歩く図書館』って呼ばれてましたっけね。正教会や新教会の聖典や経典は全部覚えてますから、いつでも高僧の代理で説教ができますし、便利この上ない」

「それは……」

 大したものだと言おうとしたエスカだが、すぐに側にいる焦げ茶色の少女の事を思い出した。エスカの価値観からすると記憶力に関してはニームも充分に異常と言えた。

「まるで賢者のようだな」

 そう言ったのはニームだった。

 シュクルはニームの言葉に一瞬顔色を変えたが、すぐに元の柔和な笑顔に戻った。それは本当に一瞬の変化で、さしものエスカも気にとめる事はなかった。それよりもエスカはニームが「賢者」という言葉を口にした事が気になった。

「従兄弟殿はさぞや出世したのでしょうな」

 エスカはニームの口からでた物騒な単語についてお互いが言及する事の無いよう、あわてて話の流れを元に戻した。だが、そうする必要があったのかどうかという疑問がすぐに浮かんでは来たのだが……。

「大佐ですよ。今のところ一族で一番の出世頭です」

 シュクルはそう言うとうつむいた。エスカはシュクルのその態度で「大佐」の意味を理解したような気がした。

 ――従兄弟とやらは既にこの世にないのであろう。二階級の特進で大佐になったのかもしれない。


「おっと、湿っぽい話はなしでいきましょう。まあ、従兄弟は変わり者でしたから普通の上官の下ではなかなか出世は出来ませんでしたよ。私の方が常に階級は上でしたから。ま、そんな話はおいといて、中佐殿から私がこの懐剣をせしめた話でしたね」

「せしめた?」

 トルマは怪訝な顔で懐剣とシュクルを見比べた。


 シュクルの話をかいつまんで説明するとこういうわけである。

 訓練所でシュクル・スリーズとカテナ・ミドオーバが知り合ったきっかけは、「ゴダン」というマス目と丸い駒を使う古来よりシルフィードで盛んな対戦将棋であった。

 シルフィードの軍人はゴダンをたしなむ者が多い。訓練所に集まった軍人達も例に漏れず宿舎では毎夜対戦が行われていたのである。そこで圧倒的な強さを見せていたカテナに勝負を挑んで勝ったのがシュクルだったのだ。

「実のところ、私の師匠はその従兄弟でして」

 棋譜として残っている過去の名勝負・珍勝負を全て暗記しているその従兄弟にとって、ゴダンで勝負に勝つのは簡単な事であった。そこに目を付けたわけでもないのだろうが、幼い頃よりシュクルはその従兄弟の手ほどきを受けており、自身が相当の腕前だったのだ。

「まあ、その従兄弟はもはやゴダンなどには見向きもしてませんでしたから、ミドオーバ中佐を破った私が一席棋士になってしまいましてね」

 いざ勝負となると熱くなるものの、その勝負の結果をあまり引きずることのないアルヴとは違い、カテナ・ミドオーバはデュナンであった。相当ゴダンについては自信があったのであろう。その後はシュクルをまるで目の敵のようにして幾度も勝負を挑んできたのだという。

 訓練所を出た後もシュクルとカテナのゴダンの勝負は連綿と続いており、不定期ではあるがカテナの都合で呼び出されては勝負を挑まれ続けているのだという。

「最近は三回に一回は負けるようになりましてね。ただ負けず嫌いなだけでなくてけっこう勉強をして研鑽を積んでいるようです。まあ、真面目なのでしょうね」

 件の懐剣は、丁度一年ほど前にミドオーバ中佐の部屋で勝利の報酬として受け取ったのだという。

「丁度私が少佐になった時でした。昇進を聞きつけたミドオーバ中佐が祝いに何かをくれるというのです。私はちょうどその時、よい懐剣を探していた事もあって、一つそれを頼むという話になったんです。それでその時ふと顔を上げて中佐の応接間の壁を見ると、いくつか姿のいい懐剣が飾られていましてね。その中で一目で気に入ったこれをくれと頼んだところ、やりたいところだが、自分のものではないのでダメだと言う事になりまして」

「自分のものではないというと?」

「いえ、彼自身が父親の屋敷からめぼしいものを勝手に持ちだして飾っているのだと」

「大元帥の懐剣?」

 ミドオーバの父親はシルフィードの両翼の一人、サミュエル・ミドオーバ大元帥に他ならない。

 シュクルと、そしてトルマを除いた四人は互いに顔を見合わせていた。トルマは目を伏せて唇を固く結んだままであった。

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