第七十四話 エスカの誤算 1/6
エッダの王宮に併設されている迎賓館は、各地からの来訪者で賑わっていた。
いや、「賑わっている」という表現はこの場合、適切ではないかもしれない。なぜなら彼らはすべて翌日に迫った「大葬」の為に訪れているのである。ここでは便宜上「賑やか」ではなく「その場は喧噪に満ちていた」とでも表現すべきなのであろう。
どちらにしろ迎賓館にいた多くの人間が、翌日の「大葬」を前にして多少の興奮状態にあったのは確かであったろう。
大葬とはすなわち、カラティア朝シルフィード王国前国王、故アプサラス三世の公式な葬儀の呼称である。
シルフィード王国の首都エッダにはその大葬に参列する者が内外から相当数集まっており、その中でも国王名で出された公式招待客の一行は迎賓館に集中していたのである。
その大葬を翌日に控え、迎賓館では晩餐の宴が執り行われていた。
行事の内容が内容だけに、当然ながら歌や踊り、芸能付きのきらびやかな晩餐会というべきものではない。だが招かれた人数は相当な数に上る。宴の規模は自然に大きくなるのは避けられない状況である。厳かな雰囲気ながらも大広間には豪華な食事とふんだんな酒の用意がされていた。
そもそも迎賓館という一つの建物に内外の賓客が集っているのである。参列客は企図せずとも夕食の為にその場所、その時に一同に顔を合わせることになる。それこそが重要な事であった。
二ヶ月も前に他界したアプサラス三世はすでに王宮内での密葬が終わっている。当時の混乱も収まり、表面上は落ち着きを取り戻したこの時期に開かれる儀礼的な行事である大葬を第一の目的としている参列者は少数であろう。
すなわち大葬当日の行事には「参列した」という事実のみが必要であり、行事自体に興味を抱くものはさほど多くはない。重要なのはむしろ前日の晩餐の宴であり、多くの参列者の主たる目的はまさに参列者同士の情報交換であると言っても差し支えがないのかも知れないのだ。
少なくとも晩餐の宴に顔を出す者は、間違い無く晩餐の宴を目的にする者達であった。
そこには旧交を温める者、腹の探り合いをする者、自らは一歩引いて参列者の様子を観察する者など様々な人間がうごめいていたのである。
彼らの話題は一見多種多様でありながら、どちらにしろいくつかに絞られていた。
一つはアプサラス三世とは直接関係の無い話。すなわち世界情勢に対するものである。混乱がまだ収束しないサラマンダ侯国に対するドライアドの干渉は大きな火種と言えた。昨今ではあからさまな軍事干渉も散見されるが、シルフィードはだんまりを決め込んでいる。つまり、両国の思惑を探る、あるいは探り合おうとしているのである。
それとは別に表面上最も多いのはうわさ話である。それも醜聞に属する話題である。
アプサラス三世の逝去があまりに突然だった為に、発表された病死という死因に不信感を持つ者は多い。そんな状況にありながら、シルフィード王国の中枢にあるガルフ・キャンタビレイ王国軍大元帥が、依然として新都となるノッダから帰還していないことについて様々な憶測を話し合っていた。
それはつまり現在のシルフィード王国の国家体制が一枚岩ではないことを表しており、それに対するドライアド王国の出方を含め、今後の世界情勢を俯瞰しようとしているのである。
参列者の多くは軍での階級は所有していても純粋な軍人ではない。勿論正式に招かれた賓客ではなく随行のものには軍人もいるが、多くの場合彼らは迎賓館に部屋はあてがわれず、市中に別途用意された宿舎に分散していた。だから彼らは彼らなりに市中で情報交換を行っていたのであろう。
各国、各勢力の代表参列者以外に招かれた列席者は、儀式の内容が内容だけに、カラティア家と関係の深い者で占められていた。
たとえ国が分かれていようと、貴族同士は何かしらつながりがあるものだ。
ドライアド王国に所領がある伯爵が、実はシルフィードの侯爵筋であることなどはもはや珍しくもない。
サラマンダの貴族の多くはドライアドとシルフィードの貴族の血縁であるし、サラマンダでの貴族同士の交流も考えるとファランドール中の貴族はお互いになにかしらのつながりがあると言っても過言ではないだろう。
ウンディーネの豪商にしてもカラティア朝とだけ取引があるわけではない。
政治家もしかり。
従って彼らにとってここは、葬儀の場ではなく、ファランドール中の情報が一堂に会する重要な情報収集の場であったのだ。
つまりこの「大葬」には、多くの人間が参列したがっていたという事である。果たして想像を絶する人間がエッダに集い、情報の量もそれにつれて増えていくことになった。
「いやいや、俺なりに予想はしてたが、それを上回るすごい人数だな」
エスカ・ペトルウシュカはこの期間中大食堂として使われている迎賓館の広間の様子を見てため息をついた。
戦争の噂がささやかれる中という特殊な事情もあるだろうが、その年が特別な年である事を参列者のほとんど……いやすべての人間が認識しているだけに、話題もそれに関する者が多いようであった。
勿論「合わせ月」の年だからである。
それはそこかしこの立ち話の中に「イエナ三世」と「エレメンタル」いう言葉が頻繁に出てくることでもわかる。
そして情報やうわさ話や伝説に関する見解合戦などとは全く別な価値観を、参列者は共有していた。
それは大葬の目玉とも言えるものである。
そう。彼らはシルフィードの新しい女王を一目見ようと期待してエッダ入りしたのである。
しかし当のイエナ三世は、体調が優れないという理由で来賓の前には未だに一度も顔を見せていなかった。
参加者が最も多くなる大葬前日の晩餐の宴にはさすがに顔見せを行うだろうというのが大方の予想だったが、その日もイエナ三世の姿を誰も拝めずじまいであった。
「なにせエレメンタルが国王ですからな。これはファランドールの歴史が始まって以来の出来事ですぞ。強気のドライアドも、実のところはうかつに手を出すのは躊躇われるところでしょうな」
エスカの耳にそんな声が届く。
「しかも国王自らが戦線に参加するのがカラティア王朝のならい。ドライアドとしては、その力をいかに封じるかが鍵になるでしょうな」
「私の掴んでいる情報では、ドライアドは未だエレメンタルを一人も確保できていないようですしね」
エスカは声のする方を見やった。
どちらもデュナンだ。一人は貴族風の服装だが、もう一人は飾りの少ないこざっぱりした礼服である。おそらく商人であろう。二人ともエスカが見知った顔ではない。という事はドライアドの貴族筋ではない。サラマンダの人間か、あるいはウンディーネ共和国の者であろうと思われた。
「私なら、エレメンタルがいる部隊には、できるだけ被害が少なくて済むような部隊をあてがいますな」
「と言うと?」
「傭兵や雑魚で固めた部隊ですよ」
「それではいたずらに消耗するだけでしょう。何度も同じ事をやっていては、ドライアドが不利になってしまう」
「その間に違うところから一気に攻め込むのですよ。そう、たとえばすでに完成しているという噂の新都ノッダあたりを占領してしまえば、戦局はほぼ決まってしまいそうですな」
「これこれ、声が大きい」
声が大きいと言う割には、あまり周りに気を遣うそぶりもない面々が多かった。
さすがに警護に当たっている近衛軍兵士が立つ近くではそのような話は交わされていなかったが、それでも至る所で戦争の仮定話は花盛りと言って良かった。
エスカはそれらの話が耳に入るたびに、心の中でため息をついていた。
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