第六十八話 囚われ人 2/4

「え?またそこに何かややこしい秘密とか謎とか恐ろしい何かとかがあるのかよ?」

「いや……」

 エルデは眉間に皺を寄せて目を閉じると首を横に振った。

「なんだよ、今更オレに秘密とかなしにしてくれよ」

「悪いけど、これだけは無理や……」

「エルデ……」

 エイルが顔を曇らせると、エルデはそれを見てニヤリと笑った。

「絶対無理。理由は単純に知らんからや」

「はあ?」

「あはは。今のアンタの悲しそうな顔、なかなか可愛いかったで」

「おまえなあ!」

 今度はエイルがエルデにからかわれた格好だった。だがエイルはムッとするよりも嬉しさがこみ上げてきた。間違いない。エルデは回復しているのだ。


「冗談みたいやけど、《黒き帳》の現名は師匠ですら知らんそうや。《深紅の綺羅》の現名を知っている人間もほとんどおらんそうやけど、《黒き帳》はもっと徹底してて、知ってるのは三聖と守護の一族だけらしいな」

「三聖って……《深紅の綺羅》はもう居ないし、そのうちの一人は本人だし……って事は」

「そやな。《黒き帳》の現名を知ってるんは本人を除くとイオスだけやろな」

「《黒き帳》の守護の一族っていうのは?」

大賢者銀の篝(しろがねのかがり) レイカ一族の傍系の人間らしいけど、こいつが大賢者のくせに全然正教会(ヴェリタス)に姿を見せへんらしい。少なくともウチが『時のゆりかご』から目覚めてからは誰も姿を見た事がないらしい」

「行方不明か」

「まあ、《黒き帳》の特命で暗躍してるんちゃうか、という憶測はできるけど、所詮憶測や。もしも会うたら《黒き帳》の現名を教えてもらおか」

「キセンはどうだったんだろう?」

「え?」

「本だよ。『合わせ月の夜』って本には書かれてたんじゃないのか?」

「まさか。……あ」

 エルデはある事に思い当たったようだ。



 エイルはうなずいた。

「《白き翼》というお前の名前の事はたぶん書かれてるんだろ?だったら可能性があるよな」

「よし、家捜ししてみるか……って、まあ無駄やろな」

「無駄?」

「呪法が込められた本らしいから、おそらく本人以外には見られへんくらいの仕掛けが込められてるやろし、そもそも見つけ出すのに時間がかかりそうや。興味はあるけど、ウチらの目的やないしな」

「あの部屋で表題を口にすればいいんじゃないのか?」

 エイルはキアーナ・ペンドルトンに案内された最初の図書室のような部屋の事を持ち出した。

 だがエルデは首を横に振った。

「これも憶測やけど、今となったらあの部屋の意味もわかる。あれは部屋自体が青緑女の力を誇示するための見本……つまり販促物みたいなもんや」

「なるほど。確かにあの仕組みを見ると普通は度肝を抜かれるよな」

「そんな大事な本を、呼んだら飛んでくるようにしてると思う?」

「してたら笑うな」

 エルデはうなずいた。

「大笑いやな」


 エイルは話題を元に戻した。

「それはそうとさっきの《黒き帳》の話だけど、亜神が現名を隠す必要、いや理由が何かあるのか?」

「あるっちゅうたら、ある」

「どんな?」

「名前はある意味で魂に渡す架け橋みたいなもんやからな。そもそもルーンを唱えるのには前文で自らの名前を名乗る必要があるんは知ってるやろ?」

 エイルはうなずいた。

 それはルーンの決まり事の一つである。

 最初に本名を名乗り、自分がそのルーンを使用できる事をエーテルに対して宣言する必要がある……確かそういう風にエルデから聞かされた事があった。

「まあ、最初に名乗るんは《黒き帳》っちゅう賢者の名でもええんやけど、そもそも色の名はそれぞれの家系、一族の長……王って呼ばれるんやけど……が継ぐものであって固有の名前とは言いにくい。でも、現名はその人間を特定する固有のもんやろ?」

「どう違うんだ?使うルーンの威力に差が出るのか?」

「その辺はややこしい話になるから細かくは説明せえへんけど、要するに感情により密接に繋がるのが現名っちゅう事や。感情がない人間には意味はない」

 エイルはエルデの言わんとする意味を理解しようと努めたが、正解に辿り着くのはどだい無理というものだった。だが、感覚的にある事に辿り着く事はできた。

「よくわからんが三聖黒き帳は他人に現名で呼ばれたくない、という事なのか?」

「ウチにもわからへん。でもウチも同じような事を考えてる」

 エルデはそう言うと左手を弱々しく動かして自分の胸に当てた。

「もしそうなんやったら、これだけはわかる。《黒き帳》にはまだ感情がある、っちゅうことや」

 それがどういう意味なのか。それもエイルにはわからなかった。

 だがその話はそこで途切れた。エルデは十二色の話の続きをしたがっていたからだ。


「この話はこのへんにしとこ。思いっきり横道に逸れてもうたしな。って、考えてみたらウチら二人はいっつもこんな感じやな」

「お前が妙なところに突っ込むからだろ?」

「アンタが話の腰を折る名人やからやろ」

 エルデは饒舌だったが、楽な様子で話しているわけではない。声を出す事自体が辛そうなのだ。

 しかしエイルは止めなかった。

 話に興味があって、聞きたくてたまらないという理由ももちろんある。だがそれよりもエルデ自身が話したがっているように思えたからだ。

「伝説ではマーリンに初めて族名をもらったのが、その十二の一族やって言われてる。それぞれの種族には、名乗るべき族名と、他の一族と区別する為の、種族を表す色が与えられたそうや。そやからその十二の家系は別名十二色って言われてる」

「なるほど、十二色っていうのは文字通り色の事なんだな」

「まさかとは思うけど、色とか聞いて別のこと考えてたんとちゃうやろな?」

「訳がわからんが、お前が思ったより元気そうだってことはわかった」

「ふん、まあええけど。で、そのうちの四種族が亜神や。あとの八種族はマーリンにそれぞれ亜神を守護する事が義務づけられてる。まあ、担当やな」

 自分の正体が知られてしまったエルデは、もうエイルに対して隠す事もないと思っているのだろう。自分を、つまり亜神を取り巻く太古から連綿と続く「人」が知らない物語を語り始めていた。

 もちろん、その合間合間に回復のルーンを唱える事は忘れなかった。

 エルデの想定よりは回復に時間がかかっているのだろう。だがエイルは自分の腕の中にいる少女の体温が、急激に戻っていくのを感じていた。まるで氷の人形のように冷たかった肩も腕も指も、今は人のぬくもりがする。エイルはそれが嬉しくて、エルデに回した腕に力を入れた。もっとその体温を感じたいと思ったのだ。

「あんまり強うしたら痛いやん」

 エルデは抗議したが、

「あ、悪い」

 そう言ってエルデが腕の力を緩めると、

「なんで緩めるねん!」

 と、また抗議をした。

「訳がわからん」

「訳がわからんとか言うてるあんたが訳がわからんわ」

「はあ?」

 エルデは大きなため息を一つついた。

「もうええ。それはそうと、今は何時くらいやろ?」

 あの出来事から、相当な時間が経っているのは確かだった。だがエイルには正確な時間を知る術はない。

 エルデはある程度動かす事が出来るようになっていた右手を動かし、精杖の頭頂部を掲げて小さく何かをつぶやいた。

「まずいな」

 そしてその直後にそう言うと、エイルの胸からその背中を離した。立ち上がろうとしたのだ。

「おい、大丈夫なのか?」

「もうすぐ七時や」

 エイルはその言葉でエルデの言わんとしている事を悟った。《淡黄の扇(たんこうのおうぎ)》という賢者名を持つ新教会の僧正、ランディ・アルオマーンがキセン・プロットとの取引のためにあの「魔法の鏡」で見ていた部屋にやってくる時間だった。

 もちろんキセンは《淡黄の扇》と会う事はない。そうなると、昨日の様子からして《淡黄の扇》側はこの建物全体を捜索する可能性があった。取引をしていた「物」は、彼にしてみればどうしても欲しい物であるはずだからだ。

「早くここを離れよう。オレに負ぶされ」

 そう言って背中を向けたエイルの後頭部を、エルデは手に持った精杖ノルンで軽く小突いた。

「痛てっ」

「うそつけ!これくらいで痛いはずないやろ」

「いや、そこはお約束の反応だろ?と言うか、お前、歩けるのか?」

「悔しいけど、まだまともには歩けへんな」

「だったら」

「悪いけど……」

 エルデはそう言うと目を伏せた。今までの冗談めかした会話で作られていた場の空気が一変した。

 よく見ると、エルデは目を伏せているだけではない。エイルに対して少しだけ頭を下げている。

「ここはウチのわがままを通させてくれへんか?」

「わがまま?」

「これは、ウチの仕事なんや」

 突然のエルデの態度に、エイルは混乱した。

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