第六十六話 族長の交代 5/5
ルーチェも当然それを観察していたのだろう。イブロドとしては納得の人選であった。
「お話を伺った限り、ミュインモスの番はラシフさまだけが背負うものではないと考えます」
「しかし、私が勝手にやった事じゃ。責任は私にある」
「それは違います!」
「そうです。アヤカの言う通りです、ラシフさま」
アヤカに続き、別の局員達もラシフに声をかけた。
「ラシフ様が恩人だと思うあの方は、私にとっても恩人です」
アヤカはそこに居並ぶ局員が自分と同じ気持ちである事を確信したのだろう。声に俄然熱がこもった。
「私だけではありません。ここにいる全員、いえ、おそらくジャミール一族全てがあの方を恩人だと思っているに違い在りません」
「そうだ!」
「そうです!」
壇上の局員達が口々にアヤカの言葉に賛同した。それに呼応するように講堂にいた参列者からも声が上がった。
「アヤカの言う通りです、ラシフさま」
ぽつぽつとした声は、やがて講堂全体を包んだ。列席者にもルーチェがやろうとしていた意図がようやく理解できたのだ。
「俺も力になりますよ」
「俺だってそうです」
「私もです」
「そこにいる局員だけで足りないのであれば、いつでも声をかけてくれ」
局員がラシフの補佐をする事は、すなわちラシフの負担を抑え、かつゼプスへ届けるルーンの力も増す。
それは一族が敬愛してやまないラシフを救う事になり、同時に自分たちを故郷へ送り返す手助けをしてくれたあの「賢者」への恩返しにもなるのである。おそらくその場にいた誰もが、出来る事なら自分も喜んでその力になりたいと願っていた。
「お前たち……」
ラシフはその声を聞くと声を詰まらせた。
「言っておきますが、これは族長命令ですよ、おばあさま」
ルーチェがいたずらっぽい声でそう言うと、ラシフは小さくすすり上げた。
「謀ったな、ルーチェ。こんな見え透いた事をする娘に育っていたとは少々遺憾ではあるがな……」
ラシフはそこまで言うと、何かを思い出したかのようにハッと顔を上げ、視線を講堂の入り口に立つルーチェの夫に向けた。
「あの男の入れ知恵か」
「人聞きが悪いですよ、おばあさま」
ルーチェはそう言うと頬を膨らませた。
「命令という言葉を使いましたが、これはもう一族の総意です。それから、あの人の事を悪し様に言うのはいくらおばあさまでも許しませんから」
ラシフは小さくため息をついた。ルーチェがアトラックに「ぞっこん」なのは周知の事実であったが、そう言う場面ですら臆面もなく口を突くのはさすがにどうかと思ったものの、もはや意見をするのもばかばかしくなったのだ。
だが、ラシフにはいかに一族の総意でも承伏できない点があった。
「皆の気持ちはわかった。しかし、ミュインモスは一人の人間、しかもそれなりの力を持つルーナーとしか契約は出来ぬ。そもそも契約を解除する方法を私は知らぬ」
だが、ラシフのその言葉をルーチェは待っていたようだった。ルーチェの合図を受けたアヤカは歩み出るとラシフの目の前で片膝を突いた。
「どうぞ」
そして畳んだ鮮やかな黄色い布を両手でラシフに差し出した。
「これは?」
「精霊陣を施した布です」
ルーチェはそう言って手に取るようにラシフを促した。
「精霊陣じゃと?」
「ご存じの通り、我が夫アトラックは実に有能でして、これも我が夫の知識があればこそ作れた精霊陣なのですよ」
夫自慢にも程があると言ってしまうとそれまでだが、事実アトラックの持つ「一度読んだ事柄は滅多に忘れない」という能力には、誰もが舌を巻いていた。当のラシフですら「とんでもない拾いものをした」と嬉しそうにイブロドに漏らす程だったのだ。もちろん今以上に舞い上がらせる訳には行かないので、ルーチェの前では決して口にした事はない。
アトラックは自身の持つそれまでの「知識」を基盤にジャミールに古くから伝わるルーンに関する様々な記録を読み、調べていた。その中にはラシフ達が既に忘れてしまっていたルーンが数多くあり、精霊陣にまつわる記述も数多く残されていたのである。アトラックはそれを現代に蘇らせる事に成功していた。
もちろんルーナーではないアトラックには解読自体が困難な精霊陣が多かったが、それはルーナーであるルーチェの知識と能力が補う形となった。つまりルーチェとアトラックは二人揃った事でジャミールにとってはすばらしい伝道者となったのである。
「発見した精霊陣の一つに、ある程度の能力を持つルーナーを中継役として、複数のルーナーがルーンを伝送するものがありました。私なりに整え直して実験もしましたが、充分使える形になっています。その精霊陣をミュインモスの鞘に巻き付けて、それをおばあさまが抱いていれば、別のルーナーがおばあさまを通じてルーンをゼプスに流し込む事ができるに違いありません」
ルーチェの説明は明快であった。仕事の合間を見つけては、ルーチェがアトラックと一緒に様々な精霊陣の研究をしている事はイブロドも知っていた。ルーンが伝送できる精霊陣を見つけた事も聞いてはいたのだ。だが既に実用になるほど習得していた事は意外であった。
だがどちらにしろこれでラシフには断る理由がなくなってしまった。
「本当に良いのか?私のわがままなのだぞ」
「おばあさま。まだ言いますか?」
「しかし」
煮えきれない態度のラシフを見て、ルーチェはあからさまに大きなため息をついて見せた。
「やれやれ。賢者様がおっしゃっていた事がよくわかりました」
「なんだと?」
「賢者様はおばあさまの事をこうおっしゃってました。『自分は他人に喜んで何でもするくせに、他人が自分に何かしようとすると、いきなりものすごくめんどくさい女になる』 と」
「な!」
ルーチェの言葉にラシフは思わず唇を噛んだ。
「でも、そう言った時の賢者様のお顔はとても優しそうでしたよ」
「え?」
ルーチェの言葉に、ラシフは心のどこかを掴まれたような気分になった。不機嫌な顔が一瞬で崩れ、今度はそのまま子供がベソをかくような顔になった。
「あの小童め……」
「ですから、これ以上私達を困らせないで下さいな」
ルーチェはラシフの目に涙を認めると、優しくそう声をかけた。
「そうです、ラシフ様だけで賢者様を守ろうなんてズルいですよ」
アヤカが続いてそう言うと、ラシフは細い指でそっと涙をぬぐい、捧げられた布を受けとった。
美しい黄色い布を広げると、その幅は広げた親指と小指がかろうじて隠れる程度のものだったが、長さはラシフの身長程もあり、ミュインモスの鞘を何重にも巻く事ができた。
「綺麗な布じゃな」
鞘を巻き上げたラシフはそう言うと、再び袖で涙をぬぐった。
「どうした事か、最近、涙腺が緩くなっていかん」
言い訳のようにそうつぶやくラシフを、講堂にいた面々は暖かい眼差しで見守っていた。ラシフが人前で涙を見せる事など、以前には考えられなかった事である。だがジャミールを出る際に行った儀式で大泣きして以来、ラシフはたびたび涙を見せていた。だから今ではむしろラシフを涙もろい人間だと認識する里人もふえていた。
そしてもちろん、人々はそんなラシフもラシフらしいと感じていた。
「謹んで拝命します。族長殿」
ミュインモスの鞘に巻かれた黄色い布をじっと見つめていたラシフは、もう一度涙をぬぐった。そしてくしゃくしゃになった顔を上げてそう言うと、ルーチェに深々と頭を下げた。
講堂の至る所から安堵のため息と、そして鼻をすする音が聞こえた。
そんな中、一人が拍手をした。そしてそれに呼応するように拍手の音が講堂に広がり、やがて割れんばかりの音となり、講堂と、そしてラシフの胸を震わせた。
ジャミールの里に拍手という習慣はない。それを持っているのはシルフィードの人間である。だが、これを機に、アアクの人々は拍手で何かを称えるという習慣を持つようになった。
鳴り止まぬ拍手の中で、イブロドは確信していた。
会場の後方で最初に拍手をしたのは、アトラックに違いないと。
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