第五十九話 四聖 3/4

「えええ?」

「いやいやいや。オレ達は別にそう言うんじゃないですから」

 エイルは手を振って即座に否定した。だがその態度に一瞬エルデが顔を曇らせたのに気づいたのはキセンだけだった。

「そ、そ、そや。ウチらは別に」

 キセンは苦笑すると今度はため息をついた。

「はいはーい。つまんないけどそれじゃ今日のところはそういう事にしときましょう。それより急ぐんでしょ?」

 エイルとエルデは顔を見合わせると、うなずき合った。

「いい加減、私の事は信じて欲しいものね。少なくともここを死守しないといけない立場にある私としては、ここの事を知っているあなたたちを敵に回すなんていう選択をすると思う?」

「あなたの事はまだよくわからないけど、少なくともオレはプロット先生から悪意は感じていませんから、ティアナの件では本当の事を言ってくれてると信じてます。それにオレ達の味方になってくれるといいって思ってます」

「ありがと。やっぱり同郷だと気持ちが伝わりやすいわね。そっちの飛んでもないお嬢さんより話がわかるから助かっちゃうわ」

 そう言ってチラっと自分を見たキセンに、エルデは咳払いを一つしてから呼びかけた。

「キセン・プロット」

「改まって、何?」

「ウチはお前を完全に信用でけへん。でも、結果としてウチは今、胸のつかえが取れて相当気分がええ」

「はいはい。よござんしたね。言ったでしょ?私は初々しい若者達が仲むつまじくしているのを見るのが大好きなのよ」

「あの、一言もそんな事は言ってませんけど?」

 エイルが突っ込んだ。

「あら、そうだっけ」

「なんでそんなものが好きなんですか?」

「あら、それも言ってなかった?」

「言ってません」

「そうかなあ。まあ、君がそう言うのならそうなのかもしれないわね。」

 キセンはそう言うと小さく肩をすくめたが、それは特に反省を表す仕草ではなく、むしろエイルに対してがっかりしたと言った風情を醸し出していた。

「白状するわ」

「白状、ですか?」

「そう。実は私って、男女の甘いやりとりを描いたドラマが大好きなのよね。世間じゃ同じ種類のドラマでも、不倫とか禁断とかでドロドロ、滅滅、修羅場満載っていうのがはやりみたいだけど、私は断然純粋で胸がキュンってなるヤツがいいのよね。でもこっちに来てからそう言う娯楽ものは一切見られないし、挙げ句の果てにこの場所からあまり離れられなくなっちゃったしで、禁断症状が出る寸前なのよ。だからあなた達のような初々しい……」

「あ、そこまで」

 エイルはそう言ってプロットの言葉を途中で切った。

「プロット先生の意外なオバサン趣味には驚きましたけど、おっしゃる事はよくわかりましたから」

「ドラマ?」

 キセンはオバサンという言葉に眉根を寄せたが、エルデは例によって未知の言葉に反応した。

「演劇みたいなものだな。フォウでは好きな時に見たい演劇を一人でも鑑賞できる仕組みがあるんだ」

「ほう?」

 チラリとエルデの表情に目をやったエイルは、そこにキセンと同じように目を輝かせている少女の姿を見つけると、反射的に目をそらした。エルデの一面をまた一つ知ってしまった事はいい。だが、そういう話はエイルが最も苦手とするところだったからだ。だからその話はそこで打ち切りにしたかった。

「落ち着いたら、フォウの話をいろいろしてやるから」

「ドラマというヤツの話も詳しく頼む」

「いや、悪いけどオレ、そういうのってほとんど見た事ないから……」

「なんやて?」

「で、話は変わるけど、エイル君?」

 キセンは再び長い脱線に入りそうな二人の会話に割って入った。

「こ、今度は何ですか?」

「あなたにはまだいろいろと話があるの。だから、用事を済ませたらまたここへ戻ること。そっちの四聖ちゃんも言ってた通り、君って思っていたよりバカじゃないみたいだから、ある程度話相手になりそうだしね」

「どういう意味ですか?」

「あなた、さっき言ってたわよね?この世界の法則には違和感がある。この世界はおかしいって。さっきの文字の話もそう」

「ああ……確かにそう言いました」

「その辺りについての話よ。長くなるから日を改めた方がいいわ。君は戻りたくないのかもしれないけど、私はできればフォウに戻りたい。でもこの世界の仕組みを知っちゃったから、実はすぐには戻れないのよ。その辺の話。もちろん……」

そこでキセンはエルデに視線を投げた。

「あなたも一緒にね」

「ふん。お前みたいな得体の知れんやつのところにお人好しのエイル一人で行かせるわけ無いやろ」

「あら。私は善人に対しては人畜無害な存在よ」

「よう言うた。この毒女。お前のせいでウチは……」

「ドラマのお話、たっぷり聞かせてあげるわよ。今まで見た中で私の一番のおすすめはね……」

「いやその話、今はいいですから、ガヤルド……じゃなくてプロット教授長」

「あらそう?」

「まあ、お前がそこまで言うんなら……来てやらん……っちゅう訳でもないで」

 エルデのその言葉を聞いて、エイルは小さくため息をついた。意外に趣味が合う二人かも知れないと思うと、なぜか憂鬱な気分がこみ上げてきた。

「ともかく、お互いに秘密が減って良かったじゃないの。亜神のお嬢ちゃんにとっては特に、彼氏にだけは知られたくなーいなんて思ってたんでしょうけど、秘密のベールがほとんどはがされちゃって、もうほとんど真っ裸よね」

「いやいやいや、教育者として、その表現はどうかと」

 エイルはまた言い争いが再開しないかと内心ひやひやしながら、キセンの言葉がそれ以上過激にならないようにいさめた。だがその表情はいさめるというよりはむしろ懇願に近いものだった。

 キセンはエイルのその顔を見ると、小さく吹き出した。

「誰が教育者なもんですか。ま、あなたに免じてこの反則的に綺麗な子猫ちゃんをからかうのはこれくらいにしといてあげる。とは言ってももう脱ぐものがあんまり無いんでしょうけど」

 からかわないと言いつつもあくまでも挑発的な言葉をやめないキセンを見て、エイルは悟った。これはもう悪気とかそう言う問題ではないのだと。無意識にそういう言葉が口を突くのだ。ヴェロニカ・ガヤルドーヴァという、エイルにとって雲の上の存在と言える歴史的な科学者の普段の姿は、ただ口が悪く、ドラマ好きの「お姉さん」に過ぎないのだ、と。

 それが大きな間違いだった事にエイルが気付くのは後の事だが、ある意味ではキセンの本質なのかも知れなかった。

 エイルには一つの持論があった。それは「口が悪くても本音を言う女に、本当の悪人はいない」というものだ。

 もちろんそれはエイルがエルデの本体と出会ってからごく短時間の間に身につけたものだったのだが……。そしてその持論は全ての人間に当てはまるものではないという事を思い知ったのは、キセンに出会ってからであった。



「言わせておけばこの青緑……」

「はいはーい、あなたはそっち方面の話に耐性がなさ過ぎ。亜神なら亜神らしく、こんなフォウの人間ごときにいちいちムカっ腹たてないで、もっと堂々としてらっしゃい」

「やかましい!」

「まあでも、四聖に名を連ねる程の亜神なのに、同じ年頃のデュナンの娘なんかより、よっぽどウブなところとか、私は嫌いじゃないわよ」

「……」

 キセンのその言葉はエルデの眉間にしわを寄せ、口をつぐませた。

「なによ?黙っちゃって。調子狂うじゃない」

「――まあウチもお前にはいろいろ聞きたい事がある。《黒き帳》の事とか『合わせ月の夜』っちゅう本の事ととか」

「あ、私、それも言ってなかったっけ?」

「何をや?」

「『合わせ月の夜』の本に書かれた内容を他人に話したり、本を見せたり捨てたり焼いたりしたら、その罰としてその本にかけられている呪いが発動。結果として私、エラい目に遭うみたいなのよ」

「え?それはどんな呪いなんですか?」

『喰らい』の呪法で長く苦しんだエイルが「呪い」という言葉に敏感に反応した。

「なんでも私は持っている記憶を全てなくすそうよ」

「ほう……」

 呪いの内容を聞いたエルデが目を細めた。

「ウチの勘違いかもしれへんけど、お前はもう随分ウチらに本の内容を話してるんと違うか?『四聖』とか、ウチの事とか、その本に書かれてたから知ったんやろ?」

 エルデの指摘はもっともだった。エイルもキセンの言葉を聞いた時、そこに矛盾を感じた。それとも呪いはしばらくたたないと発動しないのだろうか?いや、その前に記憶が全部無くなるというのなら、キセンが禁を破って本の内容を他人に話す事などあり得ないと考えるべきだろう。

「いい質問ね」

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