第五十八話 もう一つの秘密 1/5
「《黒き帳(くろきとばり)》やて?」
エルデは絞り出すような声でそうつぶやいた。
エイルはエルデの顔をのぞき込んだが、その表情は今までになく険しいものだった。
「《黒き帳》って、三聖の一人だよな?」
エルデはうなずいた。
「ファランドールで、絶対関わったらアカン人間選手権があったら、ダントツで一等賞総取りや」
「わかりやすいのかわかりにくいのかわからん例えだな。だいたい総取りって何だよ?」
「それ以上の例えが思いつかんくらいその例えの通りの存在や」
「お前でも全く歯が立たないとか言ってた、あの《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》よりヤバいっていうのか?」
エルデはそこで表情を崩した。苦笑とも嘲笑ともとれない笑いを浮かべ、エイルの質問に小さく鼻を鳴らした。
「《蒼穹の台》より力の強いルーナーがおったらお目にかかりたいもんや」
「いやいやいや。オレはお前が何を言っているのか全然わからねえよ。整合性とか自分の言葉に責任を持つとか、そういう概念がお前にはないのかよ!」
「《黒き帳》とか《蒼穹の台》の話題の前ではそんなもん、些細な問題や」
「いやいやいや!」
「ほんなら、アンタにわかりやすいように赤ちゃん言葉で言うたるわ。《蒼穹の台》は最強。《黒き帳》は最悪や。単純でわかりやすいやろ?」
「だ・か・ら!全然わからねーって!最強とか最悪とか、ガキの形容詞だぞ?そもそもそれ、比較じゃないよな?」
「これよりわかりやすい言い方は森羅万象を全て漁っても存在せえへん」
「森羅万象とか、バカ言ってんじゃねえよ」
「バカはアンタや!」
「オレはアホじゃないのか?」
「アホでバカでスカポンタンや!」
「だからスカポンタンって何だよ!」
「ああ、うるさいうるさい!あんた達はガキんちょか!」
キセンはそう叫ぶと手を叩いて言い争うエイルとエルデを止めた。
「最強とか最悪とか、私たちがいくら稚拙な順列つけても、そんなのあいつらには意味はないのよ。どっちにしろ、結界がなくなったらこの世界がとんでもないことになるっていう事だけは確かよ」
「確かなのかよ?」
キセンの言葉を受けて、エイルはエルデにそう訪ねた。だがエルデは首を横に振った。
「《黒き帳》には会うたこともないのに、ウチが知るわけないやろ。というか、結界に封じられているっちゅう話も初耳や」
「だったら名前を聞いただけでなんであんなに驚いたんだよ?というか、なんで最悪とかわかるんだよ」
「それは……」
エイルの問いかけに、エルデは口ごもった。
「その子の口からは言いにくそうだから、私が教えてあげるわ」
キセンはそう言うとエルデとエイルを見比べた。
「長く一緒にいるって言うわりに、あなたは何にも教えてもらってないのね」
これはエイルに対しての言葉である。
「そんなに秘密にしたい?どうせいつかバレるのよ?」
そしてこれはエルデに向けて投げられた言葉であった。
「言っちゃうわよ?いい?」
そしてこれもエルデに向けたものだ。
「そんなに知りたいんか?」
エルデはしかし、キセンではなくエイルに顔を向けてそう言った。
「言っておくがな」
エイルはため息をついた。
「オレはお前達が何をもったいぶってるのか全くわかってないからな」
「ほんなら教えたる。知った後に『もうイヤー!記憶を消してー』とか泣き叫んでも知らんからな」
「いやいやいや。何だよそれ」
「三聖は人間やないんやっ」
エルデはエイルの言葉を無視してそう叫んだ。
「え?」
虚を突かれたエイルは言葉を飲み込んだ。
「比喩やない。文字通りの意味や。種族として人間、アルヴやデュナンやピクシィとか言う人間の種とは全く違う生き物なんや」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなり何の」
「人間は三聖の種をこう呼ぶんや。『化け物』っちゅうてな」
「正しくは亜神、だけどね」
怒鳴るようなエルデとは対照的に冷静な低い声でキセンが補足した。
エイルはエルデが突然何をしゃべり出したのか理解できなかった。だが、合いの手のようにキセンがそう告げたせいで、エルデの言葉の意味を徐々に現実のものとして咀嚼し出している自分を見いだしていた。
エイルが実際に出会った三聖は《蒼穹の台》ただ一人である。だが、その人物がほかのルーナーとは明らかに違う存在感を持っていた事は間違いなかった。空間転移や『神の空間』と呼ぶ圧倒的な理不尽さを誇る力場を作り上げる事も身をもって知っている。一見するとただのアルヴィンの少年にしか見えないその姿形の向こう側には、他を圧する力がある。誰がなんと言おうと、エイルにとって三聖が持つ力が人間のそれと同列に語れない程強いものだという事については、もはや何の疑いも持っていなかった。
しかしそれは飛び抜けたルーナーとしての能力の高さから来るものではないのか。修行とやらで勝ち得た成果ではないのか?
なぜなら……
「でも、あいつはどう見てもアルヴィンだったじゃないか。それにあそこの女の人、あれが《深紅の綺羅》だっていうんなら、あれもデュナンだろ?化け物って言われても……」
エイルはスフィアに満ちたうす紅色の液体の中に浮かぶ《深紅の綺羅》を指した。
「……」
指さす先を、エルデの視線は追わなかった。エイルをじっと見つめる黒い瞳には、さっきまでの怒りに変わり、言いようのない悲しみが浮かんでいるように感じられた。
「あははは。あなた、正気で言っているの?」
キセンは乾いた笑い声を響かせた。
「どこの世界に三眼を持つ人間がいるのよ?」
その言葉は、あまりに単純な問いかけであった。だがそれは、エイルの心の奥底を針のような鋭さで貫いた。
「ファランドールだろうがフォウだろうが、三眼は人間じゃないのよ。そうだわ。エイル君だってフォウで三つの眼を持つ存在を見たことがあるでしょう?」
キセンの指摘に、エイルは絶句した。
キセンの言う通りである。フォウにも三つの眼を持つ人に似た存在がある。
そう。人に似てはいるが、それは人ではない。
それは「神」であったり「天」と呼ばれることもある。そして「化け物」と呼ばれるものもまた多く存在した。
ただしすべては架空のものである。宗教や伝説が作り上げた本当には存在しない、事実を超越した観念とも言うべきものである。
それが、ファランドールでは存在している。
簡単な事だった。キセンの言葉を受け入れてしまえば全てがすっきりする。
賢者は人とは違う異形の存在。化け物なのだと。
「賢者は全員人ではない、亜神っていうヒトとは違う種だっていうのか?」
キセンの言葉を認めてしまうと、もちろんそうなる。
「ラウやファーンも化け物だって言うのか?」
エイルはそれは認めたくなかった。なぜなら、それを認めてしまうと、大事なことを素通りするわけにはいかなくなるからだ。ラウやファーンという人物をキセンが知っている訳はないのだが、エイルにとってはそんな事はどうでも良かった。認めたくない事を言うキセンに、ただ言葉を投げつけたいだけだったのだ。
「ラウやファーンって言う賢者の事は知らないけど、君の問いに対する答えは『否』よ。賢者と三聖は全く違う存在なのよ、エイル君。まあ、私から見たらどっちも同じ。あの能力はただの化け物だわ」
「あなたの感想を聞きたいんじゃない」
エイルはそう言ってキセンに一瞥をくれると、目の前の「相棒」の肩に手を乗せた。
「人間なんだよな、賢者は」
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