第五十六話 ロマン・トーン 5/7

 そう言ったアプリリアージェの口元が、少しだけ曲がったようにロマンには見えた。同時に緑色の瞳が少し見開かれたように大きく開いた。微笑する黒髪の少女の雰囲気が、なぜか少し変わって見えた。

「ふむ」

 ロマンは一拍おくようにそう言うと、腕を組んでじっとアプリリアージェの緑色の瞳を見つめた。

「と、申されますと?」

「我々をできるだけ安全にこの町から逃がしていただきたいのです」

 アプリリアージェは悪びれずにそう言った。

「それはもちろん、できるだけの事は」

「それだけではありません」

 ロマンが言い終わらないうちにアプリリアージェは言葉を被せた。

「おそらくこの町には、我々の仲間が二人、もしくは四人います。二人ずつ二組に分かれている可能性が高いと思います。私達はまずはできるだけ早く彼らと合流したいのです」

「ほう」

「一組は若い男女。もう一組はアルヴの女性二人組なのですが……」

「ふむ。その言い振りからすると、男女の方は訳ありのようですね。アルヴではない……のですな?」

 ロマンがそう問いかけると、すかさず少し離れたところから声がした。

「二人ともピクシイです!」

 声の主はエルネスティーネだった。

「うそではありません。ピクシイなのです。目立たないように今はデュナンの振りをしているかもしれませんが……でも、私にとってはとても大事な方達なのです」

「私達にとって、です」

 エルネスティーネの言葉を訂正する声はファルケンハインのものだった。

「なるほどなるほど」

 ロマンはアプリリアージェににっこりと笑いかけた。

「その二人はとても良い仲間をお持ちのようだ。しかし、ピクシィとは……これは驚かずにはいられませんな……」

「彼らがなぜピクシィなのか、という質問はご遠慮下さい。それよりも」

「ちょっと待って下さい」

 そこまで沈黙を守っていたアキラがたまらず声を出した。

 言葉と同時にフードを下ろした。もう隠す必要はないと判断したのだろう。どこからどう見てもデュナンでしかないその姿をロマンの前に晒した。

 だが、アキラの言葉と視線はロマンではなくアプリリアージェに向けられていた。

「大事な話に割り込んで申し訳ないが、ピクシィ二人が仲間というのはどういうことです? エイル君以外にもう一人ピクシィがいると?」

 アプリリアージェは珍しく微笑を崩して目を見開き、少しだけ驚いたような顔に変化したが、すぐに元の顔に戻った。

「まだお伝えしていませんでしたっけ?」

「聞いていませんよ」

「そう言われてみれば、知らぬのはもうアモウル殿だけのようですね」

 メリドがそう言うと、アプリリアージェはさも今思い出したようにポンと手を打った。

「私とした事が……てっきりヴェリーユで一度顔合わせしているものだと思い込んでいました」


 もちろんそれはアプリリアージェ一流の「おとぼけ」であることは明白であった。少なくともファルケンハインには理解が出来ていた。もはや隠すつもりはない話なのだが、ヴェリーユ入りしてからアキラと落ち着いて話をする時間などはなかったのだ。そもそもアキラとエルデは出会う事なくヴェリーユを後にしたのだから。

 アプリリアージェとしてはアキラが声をかけてくれた事で二人の説明を一度で済ませる事ができる機会に恵まれた事になる。

 だが、果たしてアプリリアージェが二人についてどこまでを口にするのかは不明だった。ファルケンハインとしてはただ黙って見守るしかなかった。

 だが……。


「エルデです。エルデ・ヴァイスがもう一人のピクシィです」

 説明を始めたのはエルネスティーネであった。アプリリアージェはその声に眉をひそめたがすぐに真顔に戻り、何も言わなかった。

「エルデって……」

「エイルがただの二重人格だと思っていましたか?」

 エルネスティーネはアキラとの会話をアプリリアージェから完全に奪う事を決めたようだった。いや、自分の言葉でアキラに伝える事を決心していたに違いない。

 その証拠にエルネスティーネはアプリリアージェの顔色をうかがうような様子を一切見せなかった。

「どういう事です?」

 アキラの問いかけはアプリリアージェに向けられていた。しかしアプリリアージェは沈黙を守った。

 一拍おいたエルネスティーネが言葉を続けた。アプリリアージェが何も言わない事で自分の発言が容認されたものとここで完全に判断したのだろう。壁際から進み出て、ロマンとアキラの近くに寄ってきた。

 その拍子に懐から茶色い塊が飛び出すと、エルネスティーネの肩で止まった。マーナートの「マナちゃん」である。

 それを見たゾフィーの視線が「マナちゃん」に釘付けになったが、それには誰も気付かなかった。

「ロマン様もご一緒に聞いて下さい。これはとても重要で、そして秘密にすべき話なのです」

 アプリリアージェとの会話が中途半端に途切れた形ではあったが、エルネスティーネの様子から、これはどうやらアプリリアージェが語ろうとした話に繋がるものだとロマンは判断した。一応確認の為にアプリリアージェに目をやったが、その微笑が動かないのを確認すると大きく頷いた。

「伺いましょう。そしてその秘密を守る事を誓いましょう。マーリンの名にかけて」

 

 アキラもロマンに続いてうなずいた。

 あのジャミールの里から続く地下道「龍の道」で別れた後のアプリリアージェ達に、何か重大な出来事があったのだということはわかった。だが、エルネスティーネが自らそれを説明する事に対しては少し違和感を覚えていた。要するに「龍の道」に入る以前からエルネスティーネの言う「秘密」が存在していたという事なのであろう。エルネスティーネはそれを今ここで明かすと言っているのである。

 今は非常時と言えた。なぜその「今」、この重要な会見の場でエルネスティーネが一行の司令官であるアプリリアージェを差し置いて自分の意思で秘密を暴露しようとしているのか。それがアキラには理解できないでいた。

 だがその謎はすぐにエルネスティーネ自身の口から明かされた。


「私達は今、とてもずるい事をしています。見方によっては卑怯と言われても仕方のない事です」

 エルネスティーネはそう言ったが、ロマンもアキラもその意味をはかりかねた。

「我々は今ここで確実な安全を確保したいのです。だから謀によりまずはこの部屋で圧倒的な優位を築きました」

 そこまで言われてもまだ意味がわからない二人は、思わず互いに顔を見合わせた。

「我々はこの部屋の出入り口をルーンで封じてもらった上で、あなたたちからその扉の鍵を奪いました」

 もちろん、ティアナがゾフィーと握手をした事を言っているのである。エルネスティーネはアプリリアージェがそうし向けたのをちゃんと知っていたのである。

 だがカラティア家の最後の直系であるエルネスティーネにとって、その行為は「ずるい」事であると認識されていた。

「ティアナはキャンセラです」

「キャンセラですと?」

 エルネスティーネの説明に、さすがのロマンも驚きを隠せない顔でゾフィーを見た。

「え?」

 じっとエルネスティーネの肩、つまり「マナちゃん」を凝視してたゾフィーは自分に注がれる視線を感じてようやく我に返った。どうやらエルネスティーネの話は耳に入ってはいなかったようだった。

「ごめんなさい、ゾフィー。あなたはしばらくの間ルーンが使えなくなってしまいました」

 エルネスティーネはそう言うと頭を小さく下げた。

「臆病な我々を許して下さい。けれども我々は今ここで囚われる訳にはいかないのです。念には念を入れる為に行った事です。もちろん私や私の仲間達にはあなた達に対する敵意はありません。つまり本題に入る前に、我々には二心がないという証明をしたかったのです。ですから、敢えてその行為をお伝えする事にしました」

「ネスティの言葉が嘘だと思うのなら、扉を開けてみて下さい、ゾフィー」

 アプリリアージェは顔色一つ変えず、微笑したままでそう言った。エルネスティーネを制する様子もない。むしろ打ち合わせをしたかのような口ぶりだった。

 だが、そうでない事は明白であった。

「いつもの」状態ではないのだ。エルネスティーネが交渉役になる事など今まで一度もなかった。それはファルケンハインでなくともティアナも、そしてアキラでさえ理解していた。エルネスティーネ・カラティアとは、守られるべき存在として常に護衛達の後ろを歩く存在であったはずなのだから。

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