第五十六話 ロマン・トーン 1/7

 アプリリアージェ達は息を潜めて暗い地下道を歩いていた。

 地下道と言えば聞こえがいいが、そこは水路脇の作業通路で、人が並んで歩けるほどの幅もない、狭く、つまりは一歩足を踏み外せば水路に転落するほどの危うい通路であった。

 地下水路はハイデルーヴェン中に張り巡らされているかのようで、道中、分岐や脇道が無数に存在していた。

 水路に灯りはもちろんない。アルヴの少女がかざすルーンに反応するルナタイト、それにアキラが持っていた衝撃を与えると光るセレナタイトの前後からの淡い光りだけが頼りであった。

 水路に流れる水は温度変化の少ない地下水で、この時期には水面から湯気が立ち上っているのがわかる。地上よりずいぶん温度が高い地下通路ではあったが、それなりに気温は低いのであろう。


「今日は何と言うか、地下道ばかりでモグラにでもなったような気分だな」

 アキラは途中でおどけたようにそう言ったが、案内役のアルヴの少女に強くたしなめられた。それは目的地に着くまではできるだけしゃべるなという指示でもあった。

「そういう大事な事は最初に言ってもらえればうれしいんだが」

 確かにその通りではある。だがそれを指摘したアキラの返事に、少女は言い訳すらしなかった。

「ひそひそ話ならかまいません。しかしあなたの声は大きすぎます。地下の通路ではどこでどう反射するかわからないのです。それに集音ができる感知用の精霊陣が張られている可能性もあります」

(だから、そういう事を始めに言っておいて欲しいと言ったのだがな)

 アキラはしかしその言葉は心の中にしまう事にした。こんなところでつまらない問答をするつもりはさらさら無かったのだ。

 

「ここです」

 少女が立ち止まってそう言った。石組みの壁が続く場所だった。

 アキラは辺りを注意深く見たが、特別なものはなにもない。いや、それどころか目印になるようなものすら見つけられなかった。何を持って「ここ」だと言い切れるのかが不思議だったが、おそらく少女には何かが見えているのだろう。もしくはかんじているのかもしれない。

 アキラがそんなことを考えていると、少女はそこで小さな声でルーンを唱えた。ごく短いルーンで、すぐに詠唱は終わり、少女は次に石組みの壁を力一杯押した。すると壁の一部が音もなく消え去り、向こう側に空間が見えた。そこは大人のデュナンが十人ほど立って入れるほどの木張りの四角い部屋であった。

 促されるままに一行はその部屋に入った。

「この部屋は昇降機になっています」

 質問される前に少女はそう言うと、今入ってきたばかりの扉を押し戻してルーンをかけた。要するに部屋はこれから上か下へ動くという事である。

 部屋を見渡したアキラは、少女が昇降機と呼ぶ箱状の部屋の天井の一角から一本の綱がぶら下がっているのを発見した。それは床の隅にある穴を貫通してさらに下に向かって垂れている。

 アルヴの少女はまさにその綱を掴んだ。そして無造作に二三度引っ張った。

 一行が何が起こるのかと身構える間もなく、部屋全体が一度だけ小さく揺れたかと思うと、やがてゆっくりと下がっているのがわかった。

 どうやらこの昇降機は人の力で動く仕組みのようだった。綱は合図の為にあるのだろう。

 どの程度の速度で下がっているのかはわからなかったが、一行は沈黙を守ったまま結構長い間、降下する感覚を味わった。つまり部屋はけっこう深いところまで降下しているという事である。

 アキラは綱が貫通している床の穴から下をのぞき込もうとして少女にたしなめられた。

「お願いですから、じっとしていて下さい」

(そう言う注意は部屋に入った時にしていてもらえないだろうか? )

 アキラは心の中でそう言うと、頭を掻いた。

 少女の言葉からは敵意のようなものは感じられないのだが、暗くて様子がわからない状況は不安であった。そしてそれはアキラだけではない。


 ティアナは部屋が動き始めるとすぐにエルネスティーネを抱き、部屋の壁に背を付けて自らの体を固定させ、揺れに備えた。そんなティアナの心配をよそに、大きく揺れる事もなく部屋の動きが止まった。昇降機という事でそれなりの着地の衝撃を予想していた一行は、あまりの衝撃のなさに拍子抜けしたほどであった。


「この昇降機はとてもよくできていて、昇降軸に沿って上下し、停止の際も緩衝器というものを取り付けて衝撃を吸収する構造になっています。だからさほど揺れないのです」

 まるで一同の心を読んだかのようなアルヴの少女の説明に、アキラ達は顔を見合わせた。

「お見受けすると、あなた方には相当な知識と技術を持った仲間がいるようですね」

 アプリリアージェがささやくようにそう言うと、

「もう普通の大きさの声を出してもかまいません。目的地に着きましたから」

 アルヴの少女はアプリリアージェの質問をはぐらかすようにそう言った。アプリリアージェもそれ以上追求するつもりはないようで鷹揚にうなずいて見せただけだった。

 答えられる質問であれば、少女は答えただろう。アプリリアージェはそう考えたのだ。今のアプリリアージェの質問について、少女は答える事を許されていないか、もしくは判断できないでいるのだろう。ならばそれ以上の追求は無意味であり、下手をすると少女に要らぬ敵意をもたれかねなかった。現在アプリリアージェ達は保護された難民のようなものだ。とりあえずは最終的な目的地に着くまで、もめ事を起こす必要はないと判断した。


 もともと少女の事を完全に信用している訳ではなかったアキラは、今の少女の態度を見て、アプリリアージェとは逆にその疑惑を少し深めた。そんなアキラの心の中を見透かしたようにアプリリアージェがポンとアキラの肩を叩いた。

「ん?」

 やや厳しい表情をしていたアキラは、自分を見つめる穏やかな微笑を視界に捉えた。

「目的地につけばそれなりの人物が我々の疑問や質問をまとめて聞いてくれるという事でしょう」

 アプリリアージェのその言葉が聞こえたのか聞こえないのか、少女はそれには何の反応もしなかった。だが部屋の扉を開ける前に一つの指示を出した。

「あなた」

 少女はファルケンハインを指さすと、その指先を今度はアキラに向けてこう言った。「あなたのそのマントを、この人に着せて下さい」

 簡単な指示だったが、その場に居た全員が少女の言葉の意図を理解した。アキラでさえもその指示には素直にうなずいてみせた。

 アキラはデュナンである。つまりそれがバレないように頭を隠せという事である。アキラはマントを着用しておらず、アキラが着る事ができるマントはファルケンハインのものしかなかった。つまり少女の指示はこれ以上ない程的確と言えた。

 ファルケンハインから差し出されたアルヴスパイアのマントを受け取りながら、アキラは少し苦笑した。

 もちろん自分の立場がついさきほどと完全に逆転した事に対して、である。


「大丈夫ですよ」

 アキラであってもアルヴであるファルケンハインのマントは大き過ぎた。体に合わないマントを羽織ったアキラが裾の具合を気にかけているところへ、今まで口を閉ざしていたエルネスティーネがそう声をかけた。

 それはいつもと変わらぬエルネスティーネらしいのどかで柔らかで、そして優しく響く澄んだ声だった。

「なかなか似合っていますよ。ねえ、ティアナ?」

 そう言ってティアナを見上げる表情も穏やかな優しさに満ちていた。アキラは思わずカテナ・ノルドルンドと呼ばれる副堂頭と対峙していたあの厳しく険しい表情をしたエルネスティーネを思い出していた。とても同一人物とは思えない面変わりであった。

 だが、どちらもエルネスティーネなのであろう。誇り高きカラティア家の血は、必要とあらば甘い菓子を思わせるような笑顔を、相手を眼差しで射殺す事も可能と思える程の形相をした鬼神の面に置き換える事ができるのだ。

「そうでしょうか? 私にはアモウルさんにファルのマントは少々大きすぎるように思えますが」

 ティアナはエルネスティーネに賛同しなかった。

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