第二十九話 爵位返上命令 4/4

「名代。敵はこちらの事をよく調べた上で周到な戦術をもって襲ってきたと考えられます。こちらに一定以上近寄ろうとしないのも、この船に高位のルーナーが乗っている事を知っているからでしょう」

「お、お前はさっき、必ず助けると言ったではないか」

「もちろんです。このエスカ・ペトルウシュカ、自らの宣言を翻すつもりはございません。ただ、こうなった以上、名代のお力に頼るしかございません」

「だから、わしは絶対に行かんぞ。相手は海賊だ。行ったら殺されるに決まっておる」

 ニームはその時になってようやく海賊の書状の中身に目を通した。

 そこには簡単に

「交渉役として公爵を寄越せ。それ以外は一切認めない。期限は今から一時間」

 とだけ記されていた。

 海賊としても味方の無駄な血は流したくないのであろう。出来れば戦闘は避けたいに違いない。ただ、問題は「公爵」とわざわざマルク・ペシカレフを名指しで書いている事であった。エスカが言うように、どう考えてもこちらの事を調べた上での計画的な犯行であることは間違い無い。そもそも視界の効かない夜のうちに近づいていた事からも、グェルダンの航路を知って待ち伏せていたとしか思えなかった。


「まずは落ち着いて下さい。名代も海賊のやり方についてはご存じでしょう?この書状に

書かれているとおりにしないと、彼らは何をやってくるかわかりません。ここは書かれている通りにしなければならないでしょう」

「嫌だ。絶対にわしは行かん」

「ですから、名代のお力を使えば、この書状の指示に従いながら、かつ名代はこの船から出ず、事が終わるまで安全な場所でお待ちいただく事が可能なのです」

「わしの力だと?」

「名代でなければ使えぬ力です。その力を使っていただければ、このエスカ、先ほどの言葉をそのまま実行してみせましょう」

「ほ、本当か?本当に本当か?」

「無論です」

「よし。何だ、その力とやらは?」

 マルクのその言葉に、エスカはまずは深々と礼をして見せた。

 正面にいるマルクには見えなかったが、しかしニームはエスカの顔がしてやったりといった風にニヤリと笑っているのを見逃さなかった。

 顔を上げたエスカはすでに真顔に戻っていた。

「私、すなわちエスカ・ペトルウシュカを、エスタリア領を納める公爵に任じていただきたい」

「な、何だと?」

 さすがのマルクも、エスカのその言葉には我が耳を疑った。いや、マルクだけではない。その場にいた全員が息を吞んだ一瞬であった。

「お、お前は自分が何を言っているのかわかっておるのか?」

 しかし、エスカの顔は真剣であった。

「無論です。名代もごらんになられたでしょう?書状には『公爵』と書かれていましたが、ペシカレフ公爵とは書かれていなかった。公爵であればいいのです。しかしながら我らには現在公爵はお一人だけ。ならばもう一人、誰かが公爵になればよいのです。法的に今ここでそれが可能な人間は私一人」

「お前が、公爵?」

「ええ。私が公爵にさえなれば、問題解決。『公爵』とだけ書かれている呼び出し状です。ペトルウシュカ公爵が折衝の場に向かって何の問題がありましょうや?」


 いや、問題はそこではないだろう、と心の中で突っ込みかけて、しかしニームは愕然とした。ドライアドの貴族法を頭の中で無意識に検索していて、ある記載を見つけたのだ。

「爵位を持つ貴族がその領地を維持する能力に著しく欠け、これを当該爵位に不適当な人物であると判断された場合、その爵位は国王の名において剥奪され、しかるべき継承権を有する者に与えられる」

 そう言う一文が確かにある。エスカはそれを「国王名代」の名の下に今この場でやって見せろというのである。有事下で本来の役職にあるとは言え、それはどうとでもなろう。儀式の間だけ有事を解除するとエスカが宣言すればいいだけの話である。いったんその場の最高指揮権を得た者が持つ特権と言えた。

 ただし、この法は俗に伯爵法と呼ばれるものであり、男爵はおろか上位である侯爵に適用される事すらほとんど例がない。主語も曖昧で解釈の余地が多すぎる事も問題であろう。ましてや特権でガチガチの鎧を纏った公爵に通じる法とは言えなかった。そもそもこの法が公爵に対して使えるのであれば、五大老はとっくにドライアドの貴族名鑑からペトルウシュカではなくペシカレフ公爵の名を消しているに違いないのである。


「なに、名目だけでいいのですよ。実際に公爵に対して有効な法であるかどうかなどという法解釈はこの際必要在りません。今回の交渉に臨むにあたり、法の上で私が公爵になったという手続きが行われているかどうかが重要です。もちろん、ドライアド王国にとってではなく、相手に対して、です」

 エスカはあくまでも冷静な態度でそう言った。既に誰もそれが冗談で言っているのではない事はわかっていた。

「しかし、高級爵位の生前譲渡は出来ぬはず」

「それとて不文律です、名代。私は成文化された法律についてのみ申し上げております」

「しかし……」

「名代。『方便』という言葉をご存じですか?」

「わかった」

 うなずいたものの、マルクはさすがに怖じ気づいていた。当たり前である。「振り」とは言え、本人の全くあずかり知らぬ場所で、公爵という貴族の最上位である爵位を剥奪しようというのである。それも本人であるミリア・ペトルウシュカはその場に不在である。しかも酒の席でのお遊びではない。正式な外交団の面前で、である。軍の高級将校に加え王宮の事務官も政府の事務官も同席している手前、国の記録にも残る。「その場限り」とはいえ、「事実」は残るのだ。

 しかし、自分の命の方がそんな事よりも何倍も大事なマルクは、エスカの言う「方便」という言葉に逃げ込む事で、自らの行為が妥当であり緊急事態を回避するためにはきわめて正当なものであると思い込む事にした。


「諸君、聞いたとおりだ」

 マルクが一連の公爵交代……いや、正確に記すならば爵位返上と下賜の命令というべきであろうか……を告げた後、エスカはその場に居た人間を見渡して宣言した。公式な文書に記されたエスカの言葉は次の通りであるという。


「このエスカ・ペトルウシュカ、国王名代より下賜された公爵として、アナクラとの会見に臨む」

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