第十八話 休日の刺客 2/3

 貴族や政治家、高級軍人との関係構築を積極的にはかる者として、それは金額的にはきわめて質素なものと言えるが、効果は意外に大きなものだった。エスカの行為が新鮮であることに加え、彼が持ってくる「ちょっとしたもの」は、どれも高価でも豪華でもないが、良質で、そして多くは口に入って消えるものだから、評価がしやすい。また、簡単に評価出来るものだけに、「評価を聞くためにもう一度会う」という口実をも作りやすいのだ。

 周到なエスカである。相手の好みを事前に調査した上で「ちょっとしたもの」を選ぶわけであるから、不興を買う事はまずない。

 したがって、次に会う時には良くて笑顔。悪くても社交辞令としての礼の言葉を得ることはできるのだ。

 気に入ればよし、気に入らなければさらにいい。なぜならそこから次の話に踏み込めるからだ。ペトルウシュカ男爵家所有の鱒池の鱒が駄目なのならば、どこの地方の鱒が好みなのか?生で駄目なら燻製はどうか?鱒に合うワインであればどうなのか?

 相手の嗜好を知る事は相手の素顔や人となりを知る第一歩でもある。どちらにしろエスカは「次」の行動を厭わない。

 もちろんそれらエスカの人脈作りはロンドという人物が後ろにいる事が前提であった。いや、ロンドと彼が率いる屋敷の配下全員が主人の「武器」であると言っていいだろう。

 そうやってエスカは長くミュゼにあって、多方面から自分の立ち位置を強固なものにしていたのだが、出る杭は打たれる※たとえ通り、エスカに危機感を覚える者が少なからず存在する。今ではさすがに「敵」の正体はある程度把握していた。対処についてもその戦略・戦術は既に策定済みの段階であったが、それを実行に移す事については時期尚早と判断していた。

 だが、ここへ来て急激な動きがあった。もちろんエスカにとってである。

 大佐から少将に二段階階級が上がった事に加え、シルフィード王国前国王、アプサラス三世の国葬といえる「大葬」に参列する重要人物の付き人として任命されたわけである。事を済ませて帰国した暁には、子爵、いや伯爵位を下賜されるのではないかという噂がまことしやかに囁かれていたのである。

 伯爵位はともかく、子爵になる事は既定であった。それは過去の事例からも明らかなのだ。

 言い換えるなら「五大老が後ろ盾についた」という事を示すそれらの事実は、ドライアドの政(まつりごと)の世界においては大きな事件なのである。

 こうなってしまったからには、エスカの政敵が選ぶもっとも短絡的な手段がエスカという存在そのものを消してしまう事である。


 過去にもエスカの周りには暗殺未遂事件が何度もあった事は、ニームもエスカを調査している途上で情報として摑んではいた。

 エスカから公安に対しては一切報告が無いために、それらの情報から「噂」以上の信憑性は得られなかったが、ニームは全て事実であろうと判断していた。

 そしてその裏付けが今、そこで成されようとしていた。


 ニームは右手を水平にして精杖を取り出そうとしたが、エスカは「よせ」と言ってそれを制した。

「なぜだ。白昼堂々と将軍を暗殺しようという、あらゆる基準を照らし合わせてみても極めて頭が悪いと言わざるを得ぬ輩(やから)だぞ?私がさっさと滅してやろう」

「相手はルーナーだと思うか?」

 エスカはニームにそう尋ねた。

 ニームは左右に一部だけ長く伸ばしている髪をまとめている細い布に手を当てるようにして周囲の気配を深く読んだ。おそらくその布の一つには気配を探知できる精霊陣が描かれているのであろう。

「ルーナーはいない。フェアリーはわからんが、相手はざっと十人だな」

「そのくらいだったら、お前が出る幕じゃねえよ。ここは俺に任せろ」

「お前がやるよりも私がルーンを唱える方が早い」

「いや……」

 エスカはニームの肩に回した手を緩めると、ポンっと頭を優しく叩いた。

「お前は俺の秘密兵器だ。お前が力を使っていいのは俺が死にそうになってからだ。約束しろ」

「なぜだ?ここでお前が戦うのは合理的ではない」

「この場だけを考えると合理的じゃねえように見えるかも知れんがな、どこかで俺達の事を見極めようとしている奴が居たらどうする?俺が連れている女が、ただのバードどころじゃねえ強力なルーナーだとわかると、次は周到な準備をされかねねえだろ?そうなる方が面倒だ」

「そうは言うが、お前が一人で戦おうというのか?相手は十人もの刺客だぞ?剣の腕前は次席だったのだろう?」

 ニームの頭上に、今度はげんこつが落ちた。

「ぐっ」

「うるせえ。人が気にしてる事を」

「何をする、この私を誰だと思っているのだ」

「澄ましていると近寄りがたい美人だが、しゃべらせると意外に可愛い、俺の大事なニームだ」

「え……」

 エスカの言葉はニームを数瞬間、凍り付かせるのに充分な威力を持っていた。

「余計な心配はするな。安心しろ。俺の剣はそんじょそこらの奴らより数段上の、言って見りゃ規格外の腕前だ」

「だが、次席だったのだろう?」

「主席の奴は規格の桁が違ったんだよっ」

「自信が、あるのだろうな?」

 エスカはうなずいた。

「なあに、こんな時に身内一人守れないような人間にこの先なんぞあるものか」

 そう言うと、エスカは釣り竿を竿受けに丁寧に据え付けると、無造作に立ち上がった。

「まあ、誰にも気づかれない『おまじない』をかけられる事についちゃ、やぶさかじゃねえけどな」

 手をさしのべてニームが立ち上がるのを手伝いながら小さくそうつぶやくと、エスカは背中を向けたまま、よく通る声で桟橋の取り付きに居る「賊」に声をかけた。

「何の用だ?せっかく甘い時間を楽しんでるところに、無粋過ぎやしないか?」

 賊からは返答がない。

 エスカは自分が楯になるような格好で、小さなニームを真後ろに隠すと、ようやくその賊達に顔を向けた。

 敵の数はニームの言うとおり、十人だった。

 服装もばらばらで、なおかつ良い身なりのものはいない。全員が剣を腰に差しており、射手が一人もいなかった。

 エスカはそれだけを見て、相手の素性を理解した。

「どうだ?交渉と行こうじゃねえか?」

 エスカは両手を広げると、今度はそう切り出した。

 賊達は不審げな顔で互いに顔を見合わせていたが、その中の一人が初めて声を出した。

「この期に及んで何のつもりだ?」

「見たところ、お前達は金で雇われたんだろ?俺を殺すために」

 エスカの問いかけには、しかし誰も答えなかった。

「まあ、たぶん顔も身分も伏せた『やんごとなき家の従者』あたりにうまい話を持ちかけられたってところだろ?そこで、だ」

 エスカは十人もの刺客を前に全く落ち着いた態度で、微笑さえ浮かべながら話を続けた。

「雇い主が誰だかわからない奴にそこそこの金で雇われたんだろうが、俺が思うにおまえら、事が済んだら今度は口封じされるぜ。お前らを雇った奴から、な」

 エスカの言葉は賊達の動揺を誘った。

 それを見て、エスカは追い打ちをかけた。

「そいつの十倍払おう。もちろん半金だけ前払いなんてケチな事は言わねえよ。お前らもたぶんもう知ってるだろうが、俺の屋敷はすぐそこだ。耳をそろえて先払いって奴だ」

「俺達を雇って何をさせるつもりだ?雇い主を捜して殺せなんてのはお断りだぜ?何処に行けば会えるのかもわからねえんだ」

「おいっ」

 一人がそう叫ぶと、誰かがそれを制した。

「いらぬことを言うな」

「はした金で何処かの誰かに雇われて、半金を受け取る前に殺されるのがいいか、その十倍の金を受け取って、これから護衛として三食付きで俺の下に付くのがいいか、考えるまでもないと思うがな?何せ俺はドライアド軍の将軍様だぜ?名前も素性も確かなもんさ」

「惑わされるな。ここで逃がしたら、間違い無くこいつの手の者に殺されるぞ。どこの世界に自分を殺しに来た人間を本気で用心棒に買収しようなんていう奴がいるのだ?」

 やや士気が乱れた『賊』の一番後ろにいた体格のいいデュナンは、大きな声でそう言い放つと腰から剣を抜き、その切っ先をエスカに向けた。

 エスカはその男をにらみ据えながらも、さらに言葉を続けた。

「なるほど、お前が見届け役か。俺が殺された後、後ろからそいつらを斬り殺す役だな?」

「なんだと?」

 エスカの言葉に、賊達全員がその男を振り返った。

 その時、背中に小さな手の感触を覚えたエスカは、バネがはじかれたかのような勢いで、賊の中央に切り込んで行った。


 エスカは早かった。

 風のフェアリーでもない『ただの』デュナンだったが、本人が自己評価するだけあって、剣技の方は相当のもののようだった。

 剣を抜いたエスカが、桟橋の取り付きにたどり着いた時には、事態の変化に気づいた賊達はようやく剣の柄に手をかけたところだった。

「うぉりゃああああ」

 気合い一閃、袈裟懸けに切り下ろした剣は賊の顔面に深い傷をつけると、今度は上方に跳ね上がった。その勢いで隣にいたもう一人の脇腹が鈍い音を立て、一瞬でその場に二人分の血しぶきが上がった。

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