第十六話 リリとジーナ 5/5
「何年経っても全然打ち解けないあの子を、いったいペトルウシュカ男爵はどうやって手懐けたのかしらね」
「忘れたのか? 男爵は『女たらし』なんだぞ。大賢者様も肩書きを無視すりゃ年頃の娘だろ? そう考えるとウサギが猛獣の檻に進んで入っていったようなものだからなあ」
「仮にも大賢者よ? ただのウサギな訳がないじゃないの」
「『仮』はひどいな。あの方の実力は知っているだろうに」
「言葉の綾よ。でも確かに、精神状態の制御が強いわけではないわね」
「ただ、だ。上席賢者だって二年も仕えていれば人間くさいところは見え隠れするものだが、《天色の槢》に関しては最初に会った時から二年間、態度が寸分かわらなかったわけだしな。突然普通の娘の一面を見せられると、俺としては少々拍子抜けだ」
《黄丹の搦手》はそう言って、大げさに肩をすくめてみせた。
「
「知恵と戦略じゃなくて、頓知と陰謀でギャフンと言わすつもりだったの?」
「まともにやって太刀打ちできる相手じゃない事はよーくわかっているからな」
「まあ、そうね。それで? どうするつもり?」
「どうするとは? 確かに今は念願を叶える好機かもしれんが、あんな状態の子供をいじめてまでお前はギャフンと言わせたいのか? というか、俺は別に大賢者が嫌いな訳じゃないんだぞ。いつまで経っても他人行儀なのが気に入らないだけだ」
《薄鈍の階》は一応、誰もいないことを確認するように周囲を警戒すると《黄丹の搦手》のすぐ横にやってきた。二人の肩が触れる程の距離である。
「そうではなくて」
そして、声を落とす。
「このことを賢者会に報告しなくてはいけないのではないの、リリ?」
リリと呼ばれた男の護衛役はさも嫌そうに肩をすくめてみせた。
「何をどう報告するんだ? 『
「いえ、それは……」
「俺は嫌だぞ、ジーナ。報告したければお前がしてくれ」
「そんなの、私も嫌よ。だいたい私は賢者会の犬に成り下がったつもりはないわよ」
「それについては、きわめて同感だな」
リリはそう言うとニヤリと笑って、さらに会話の調子を落とした。
「俺に考えがある。協力するか、ジーナ?」
《薄鈍の階》はため息をついた。
「あなたの言う『考え』の内容に依るわ。陰謀はゴメンよ。頓知だったら内容を聞いてから考えてあげる」
「いや。陰謀の範疇なんだが」
ジーナはため息をついて見せたが、顔は微笑んでいた。
「一応、聞くわ」
「なあに簡単な事だ。せっかくだからちょっと楽しませてもらおうって話だよ」
「楽しませてもらう?」
「大賢者が一般の人間に一目惚れしたなんて、前代未聞だろう? だったらついでだ。付き人として我らがご主人様を、誠心誠意応援しようという計画だ」
「応援って、どういう事?」
「下心などない。白状すると、今日みたいな《天色の槢》を、俺は嫌いじゃない。さっきも言ったが、もともと嫌いじゃないんだ」
「へえ?」
「意外そうな顔をするなよ。まあ二年も一緒に居れば、それなりに情も湧くというものさ。《天色の槢》は今までの上席と違って、俺達を雑兵のように扱ったりもしないしな。それが、あんな娘娘した顔を見せられてしまっては、俺の中の情の虫がうずうずしてしまうんだよ」
《薄鈍の階》、ジーナはリリの言葉に吹き出した。
「あらあら、まるであの子の兄にでもなったような言葉ね、リリ・トゥオリラ?」
「兄というよりはむしろ母の気分かもしれんな。だいたい俺たちは末席賢者。しかも俺もお前もお互いに能力的には四席にすらあがれる可能性はないと来ている。であるならばこんなつまらない報告を生真面目にこなして取るに足らない点数稼ぎをするより、俺たち全員がちょっといい気分になる方が得だろう?」
「俺達全員ねえ」
「なんだかんだ言いながら、お前だって《天色の槢》の事は嫌いじゃないんだろう?」
「まあね。実は私もさっきリリがからかった時に、《天色の槢》が見せたあの真っ赤な顔になんだか胸がちょっと疼いたわ。こう言っては不謹慎だけど、何だかあんまり可愛いらしくて笑ってしまいそうになって、思わずうつむいて誤魔化したくらいよ」
「お前は笑いの沸点が低すぎる」
「だから末席なのよ」
ジーナはそう言うとその時の事を思い出したようにクスクスと笑った。
「それなら決まりだな。もともと俺達は賢者会から『
「大いに、ね」
ジーナはまだクスクス笑いながら続けた。
「そうね。私はそもそも賢者会が大賢者ともあろう立場にある方の部下に、我々のような末席のさらに末席を、それも二人だけしかつけなかった事がどうにも気に入らなかったわ。賢者会と《天色の槢》の間に何があるのかは知らないし知りたくもないけれど、あからさまな嫌がらせにしか見えなかったのよね」
「そうだな。当初は俺たちもそれに憤慨して、精一杯お守りしようなどと盛り上がっていたこともあったな」
「そうそう。でもあんな子供なのに態度は老人みたいだから、いつからかそんな気分も忘れてしまっていたわね」
「今日の《天色の槢》の態度ではっきりしたよ。あの子は老人なんかじゃない。怒りと驚きの感情は表にすぐ出せるが、喜びやうれしさと言った感情を表現したり制御したりするすべをあまり知らないのだろうな」
ジーナは大きくうなずいた。同じ事を思っていたのだ。
「どうしていいかわからない事は、全部無表情な態度に放り込もうとしてもがいていた、という事ね」
「俺達はもっと早くこの事を理解しているべきだったのかも知れないな」
「よし。それなら、これを機会にあの子を大いに泣かせましょう」
「おいおい」
「いじめて泣かすと言っているんじゃないわ。人が泣くのは何も悲しいからや苦しいからだけじゃなくて、嬉しくて泣いてもいいのだということを、あの子に知ってもらいたい。私がかつて知ったように、ね」
「そうだな」
リリはそう言うと寄り添うように立っているジーナの髪をそっと撫でてやった。
「馬鹿、駄目よ。見つかったらそれこそ《天色の槢》からの信頼がなくなってしまう」
「そうだな。よし、じゃあ話は決まった。俺はリンゼルリッヒ・トゥオリラの名にかけて全力で《天色の槢》の思いを成就させるべく力を尽くすことをお前に誓おう」
「私もあなたに誓うわ。ジナイーダ・イルフランは、こうなったら思い切り《天色の槢》いえ、ニーム・タ=タンを可愛がっちゃう事を、ね」
「相手のペトルウシュカ男爵については、信頼に足る人物である事はもう調べがついてる。我らがご主人様を委ねるにしては悪い相手ではない」
「でも、あの娼館通いだけは自重してもらわなければね」
「なに、あれも男爵一流の処世術だろう。俺の見立てでは、『側室』として特級バードを家に迎え入れた後は、ピタリと止まると見たがな」
「ふふ。それも同感。そうなると、問題はこちら側ね。免疫は全くなさそうだし、あのふわふわした様子では、あの子が舞い上がり過ぎて失敗しないかが心配だわ」
「だから俺達がいるのだろう?」
「そうね」
「この後すぐに、大葬の為にシルフィードに出立だ。けっこう長い旅になる。意外に展開は早いかもしれないな」
「まあ、その前に肝心の男爵の気持ちも確認しておかないといけないわね」
「うーん。そればかりは趣味嗜好があるからな。男爵が色気たっぷりの女性を好むとしたら、踏み込んだ手を使う必要があるやもしれん」
「踏み込んだ手って、まさか?」
「いや、俺も禁忌に手を出すつもりはないから安心しろ。それより屋敷の情報は探れそうなのか?」
「末席だけど私も一応賢者の端くれ。それに悪意のない行動ならば、バレたとしてもあの男爵ならお目こぼしがあるでしょう。まあ、見ていなさい」
「賢者になって初めてやりがいのある仕事をしている気分になってきたよ」
「これが賢者の仕事だなんてよく言えるわね」
「お前だって張り切ってるではないか」
「私、あなたと一緒で俗っぽいもの」
リンゼルリッヒとジナイーダは顔を見合わせると、声を殺して笑いあった。
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