第一話 エスカ・ペトルウシュカ 5/6

 アカデミーを卒業して後、ミリアはついぞ弟のエスカとは会うことなく決して長いとは言えない生涯を閉じたが、「エスカ・ペトルウシュカの肖像」というエスカの全身を描いた三枚の連作肖像画を残している。あまりにも有名なこの三枚のエスカの肖像こそ今日我々がエスカ・ペトルウシュカの往時の正確な姿を知る最高最良の資料である。それによると既述の通りエスカ・ペトルウシュカが相当に端正な顔立ちをしたデュナンであったことがわかる。その絵を前にすると「絶世の美男子」とはエスカの為にあるような言葉だと誰しもが思うに違いない。

 ミリアは一切自画像を描かなかった。その為、彼自身の顔形は他筆によるしかないが、それらを見てもペトルウシュカの兄弟はあまり似ていなかった事は事実のようである。多くの証言や文献もそれを後押しするものばかりであり、容姿がかなり違う兄弟であった事は間違いのないところであろう。

 実の兄の手になるものとは言うものの、件の三枚のエスカの連作はエスカ本人を前にして描かれたものではないようである。

 それというのもすでに何回となく記している通りミリアは軍に入った以降の弟とは一度も会ってはおらず、その後に成長した姿を知らないはずである。記憶と想像で「その後」のエスカを描いたと考えられている。

 その証拠にミリアの描いたエスカの右目は、普通に開かれているからである。

 国宝でもある三枚の有名な「エスカ・ペトルウシュカの肖像」にはそれぞれ「赤のエスカ」「白のエスカ」「黒のエスカ」という題が後世に付けられているが、そのうち「赤のエスカ」こそはドライアドのエスカ・ペトルウシュカ男爵の佐官時代の儀式用陸軍式礼装であろうと言われている。金糸の縁取りに紺と銀の模様があしらわれた真っ赤な軍服の胸には様々な勲章がそれこそ無秩序にぶら下がっており、長剣を鞘ごと素手で摑んで無造作に立っているエスカの眼差しはどこか憂鬱そうで、見る者に不安と少々の憐憫の情を沸き立たせる。

 おそらくこの日、五大老に謁見する前のエスカの表情はその絵にそっくりであったに違いない。


「我が軍は」

 エスカの愚痴はまだ続いていた。

「軍の組織体系だけでなく、軍服もシルフィードのものを真似りゃ良かったんだ。いや、むしろ組織体系なんかどうでもいい。参考にすべきは軍服だ」

「失礼ながら」

 ロンドはその愚痴については相手をせず、勲章の位置を無意味にのろのろといじっているエスカに苦笑しながら声をかけた。

 その声色は事務的なものではなく、優しい響きがあった。

「そのような駄々のコネ方はミリア様とそっくりでございます」

 エスカは勲章をいじる手を止めた。

「何だと?  俺も兄貴に劣らぬ『うつけ』の才能があるってことかよ?」

 エスカは両の掌を広げてじっと見つめた。

「血か? この体に流れる血のせいか? まずいぞ。思いっきりまずい事態じゃねえか」

 ロンドはしかしまともにエスカの相手をするつもりは毛頭ないようであった。

「昨今、貴族の奥方衆が集うお茶の話題として『ひょっとしたら男爵にご婚姻の話が出るやも知れぬ』という噂が囁かれております」

「ふん」

 エスカはロンドの言葉に鼻を鳴らして抗議した。

「ペトルウシュカ公爵の位を譲り受けた後ならまだわかるが、クレストがあるってえだけの爵位でしかない男爵ごときの俺に、それ相応の相手が用意されるほど甘かねえだろうよ」

「同感でございます」

「まさかその為に今日俺を呼んだわけでもあるまいが、何かの交換条件かついでの命令のようにその話は出るかも知れねえな」

「私もそれが気にかかっておりまして」

「へっ。おおかた五大老の誰かが俺を青田買いしておこうとでも考えてるんだろうが、そんな手に乗るわけねえっての。安心しろ」

「おっしゃるとおりです。お相手は慎重にお選び下さらねば。ただ……」

「『ただ』、何だ?」

「エスカ様のお歳ですと既に通じ合う特定の女性が一人や二人、居てもおかしくございません。いえ、積極的に申しあげると『なぜ独身なんだ』と口さがない連中が言うのももっともだと言わざるを得ません」

「ンなこたあ、百も承知してるってーの」

「まあ、それはそれとして、最近はエスカ様の性癖に疑いを持つものも多いと聞き及んでおります」

「性癖?」

「女人(にょにん)に興味がないのでは、と」

 エスカはがっくりと肩を落とした。

「いや。だから俺、あからさまに娼館通いしてるだろ?」

 その芝居がかった姿に、またもやロンドは笑いがこみ上げてきた。ロンドの位置からは見えないがおそらくエスカの表情は態度以上にやれやれと言った顔をしているに違いないと思ったからだ。

「あからさま過ぎて嘘っぽい、と」

「そう思われてるのか?」

 ロンドは苦笑しながらうなずいた。

「娼館に入っても、ただ大騒ぎしているだけだというのはもう、知れ渡っておりますよ」

「やれやれ」

「まあ、世間体のいい話ではありませんな。せめて別宅をつくり、そこに側女(そばめ)などを置いて大々的に」

「おいおい、ロンド」

「これは失敬」

「側女ねえ。まあ、俺も女は嫌いじゃねえけどよ」

「敢えて申しあげておきますが、そういう過程がめんどくさいということであれば、手近で済まされてもよろしいかと。なあに、私に遠慮なさる事はございません」

「実の娘を主人の側女として差し出すってのか?」

「望外の喜びでございます」

「俺、まだ死にたくねえんだがな」

「抵抗するでしょうなあ」

「俺はデュナンだぞ?  いくら女だって言ってもアルヴの腕力にかなうわけねえだろ?」「我が娘はアルヴに見えますが、ああ見えて立派なデュアルでございます」

「いや、どう見て立派なアルヴだろ。腕力に差がありすぎる。押し倒した瞬間に、殴り殺されるか絞め殺されるだろうな。いや、押し倒せるかどうかがそもそも問題だぜ」

「まあ、私は興味本位でそういう場面を一度見てみたいだけでございますが」

「お前、見かけによらず相当屈折した性格してんな」

「冗談でございますよ」

「冗談にも程がある。だいたい俺は他の男に首ったけの女を奪う趣味はねえ」

「まあ、世間向けの形の話でございます」

「心配すんな。実はそっちの方はフェリックスにこっそり頼んである」

「国王陛下に、ですか?」

 ロンドは難しい顔をしてエスカを睨んだ。そんな話は聞いていないという抗議の意味だったが、エスカはロンドの顔を見ようとはしなかった。

「バードの中で都合の良さそうな女を見繕ってくれと言ってある。そいつを防波堤にするつもりだ」

「左様ですか。陛下は面食いですから、器量の良い方を選んでいただけそうですな」

「俺もそれだけはちょっと期待してる」

「その美貌のバードに骨抜きにされるやもしれませんな」

「されてみてえもんだな。ま、防波堤だけじゃ面白くねえから、宣伝用の人形にもなってもらうつもりだがな。だから見栄えがいい方がいいのは確かだ。その辺はフェリックスにそれとなく念押しをしてる」

「ほう。もしや、それは?」

 エスカはうなずいた。

「ああ。場合によっては俺の側近として置いとく。どうせアキラが戻るまでの代役だ。だったら女でバードなら一石三鳥だろ?  副官の問題、幕僚にバードを加える事、俺の性癖の噂の打ち消し」

「相変わらず、エスカ様らしい虫のいい計画でございますな。取らぬ狸の皮算用ぶりにこのロンド・キリエンカ、いたく感服いたしました」

「嫌みはよせ。むしろ合理的と言え。俺だってそんな虫のいい事は本気で考えてるわきゃねえんだよ。とりあえずは虫除けになれば充分だ。だからフェリックスにはバードとしての力の強さなんかより、とにかく美形でできるだけ若い女って事で頼んである。バード庁はまだ五大老の力が完全には及ばねえ組織だから、あいつの一存が通りやすい」

「まあ、バード庁はマーリン正教会との繋がりで、その力を維持しておりますからな」

「そういう事だ。五大老もバード庁にちょっかいは出しているようだが、ありゃもうほとんど諦めて、新教会への鞍替えを決めてるだろうな。だから、少なくとも今日、ジジイのお下がりなど差し出されようものなら、こっちもそれなりの抵抗をしねえとな」

「言葉にお気をつけ下さいませ」

 ロンドの叱責にエスカは「わかっている」と言った感じで手を振って見せた。 

 そつのない会話と適切な言葉選びで、五大老をして「若いのに油断ならない」と言わせるほどのエスカである。品のない下世話な物言いによる毒のある軽口がこの場だけのものであるのはもちろんのことではあったが、それにしてもそういう本音がエスカの口から発せられるという事は、すなわち自分が隙を見せる事のできる相手だと思われている証左であり、ロンドとしてはエスカが時折見せるその絶妙な気遣いにいつも眉間に皺を寄せながらも小さなため息で何もかも許してしまえるのであった。

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