第一話 エスカ・ペトルウシュカ 3/6
エスカ・ペトルウシュカについてここで多くを書く必要はないかもしれない。
言わずと知れた「赤い薔薇の王」の若い時代の名である。
別名「隻眼の獅子」とも呼ばれる彼は、文字通り片目を瞑っている姿で描かれている肖像画が多い。
彼が右目の視力を失ったのはとある事件が原因であるが、その原因についてはここでは割愛しておこう。
エスカはエスタリア領主、ミリア・ペトルウシュカ公爵と同じ父と母の間に生まれた一歳違いの、そして唯一の実弟であった。
武についての才能を全く発揮しなかった兄と違い、弟のエスカは剣の腕前に長けていたようである。また気さくでおおらかな人情家という人柄もあり、人臣から圧倒的な信任を得ていたとされる。
同じ両親から生まれた兄ミリアと違う点として剣術と性格以外では、その境遇が挙げられる。
地元エスタリア生まれのミリアに対し、エスカは両親の留都期間にミュゼで産声を上げた、ミュゼっ子である。また、貴族学校(アカデミー)卒業後に仕官せず帰郷した兄と違い、年少組と呼ばれる予備学校時代からミュゼに移り住むと、その後アカデミー卒業後もついにエスタリアの地を踏む事はなかった事実も忘れてはならない。
すなわちエスカは本来地元であるはずのソリュートで暮らした期間がかなり短い。出生後もしばらくミュゼで育った彼は、ソリュートで暮らした期間は二年ほどであろう。それ故にこれほどまでに人望のある存在でありながら、唯一エスタリア地方での人気に於いては兄に後塵を拝している。
元々性格が違いすぎる上に、境遇の違いによる世界観の相違まであれば、両者が対立するのは時間の問題であった。
自領エスタリアの経営を巡る意見の食い違いに端を発したと言われるミリアとの不仲は様々な説話になっているほどつとに有名であるが、実際問題としてアカデミー卒業後もミュゼに留まって軍に籍を置いたエスカと、仕官もせずさっさと自領に戻ったミリアとの間で直接的な口論がそれほど多くあったとは考えられない。
アカデミー卒業後、兄弟はついに相まみえることはなく、それぞれの波乱に富んだ人生を閉じた為、あまたの説話として伝えられているような「正義の弟と悪の兄」という図式の兄弟喧嘩が果たして本当に長く繰り広げられていたのかどうかは怪しい限りであろう。
もっとも、兄についての批判や不満をエスカが隠そうとしていなかったことは様々な記述にあるように疑いがないようである。エスカが兄を排斥したがっていた事もまた事実であろう。ただ、後生の人間として違和感を覚えるのは、ミリア側に立った資料の中にはエスカを兄が批判する記述が一切見られない点である。
ファランドールの歴史上「もっとも仲の悪い兄弟」として有名なこの二人であるが、その実態は大いなる謎に包まれていると言うべきではないだろうか。
放漫経営であらゆる価値観に照らし合わせても無能と呼ぶしかない領主であったミリアに対してとった弟エスカの言行は、これまたあらゆる常識に照らしても是とすべきものであり、むしろエスカはミリアに対して比較的温情的な態度でこれにあたったと言ってもよいほどであろう。
口さがない人々の中には、「自分が気に入っていた侍女を寝とられた恨みがエスカの口を悪くしたのではないか?」などという者もいるようだが、たとえそういう事実があったにせよミリアに対してエスカが行動を非難する根拠としては春霞程度の重さもないものであろう。
アカデミー卒業後、ドライアドの法に従い一番下の尉官、すなわち准尉からはじまった軍におけるエスカの地位は、わずか三年で少佐にまで上がっていった。
王室にとっては重要と言っていいペトルウシュカという家柄の良さという強力な威光に加え、豊富な知識や熱心な研究の成果が功を奏したとも言えるが、それを有効に利用する能力に併せ、自らを周りに認めさせることが出来るだけの好機にも恵まれ続けた彼の類い希な強運あってこそとも言えるだろう。もちろん実力があってこそ、好機を生かせるわけではある。
戦略論や戦術論についてはアカデミーの歴史の中でも極めて優秀な上位の成績を収めていた事がそれを実証している。
彼は与えられた好機を逃すことなく摑み、傍目からは順風満帆な状態で頭角を現していたと考えられるが、詳しく分析すると彼が軍の上層部に認められたのは好機に恵まれる強運に併せ、時のドライアド国王エラン五世と個人的につきあいが深かったという事情もあるようで、事実その後押しが尋常ではなかったことは後世の研究でかなり詳らかになっている。
人心把握については彼自身のものだけではなく、彼がミュゼに呼んだエスタリアの優秀な家臣達の活躍がそれを支えていた事も忘れてはならないだろう。自領の力をどんどん低下させるミリアをミュゼに居ながらにして幽閉状態に追い込むことに成功した彼は、ミリアから取り上げた自領の蓄えの多くを自らの出世の為に惜しみなく使ったと言われている。上納する税には常に規定額に加え相当の上乗せを行い、王や五大老、政治や人事において要となる人物にはそつなく気の利いた贈り物を欠かさない、その際出来る限り使者を送らず自らが出向くなど、彼のまめな外交的な性格がかいま見える。自領で抱えるエスタリア兵を五大老の土地へ派遣し、海賊討伐やサラマンダから流れたと見られる山賊討伐に当たらせるなど経済・軍事的に様々な手法を用い、表に、そして裏に彼の出世工作は巧みに続いたと考えられている。
特にエスタリア軍の存在は大きい。
各貴族達も私兵を抱えてはいたものの、経済的な理由から辺境の治安維持には常に頭を悩ませていた。その問題を自分たちの身銭を一銭も使うことなく、かつ手も汚すことなく解決してもらったという事実はエスカの存在感を高める上で大きな要因になったに違いない。
また、遠征で各地を訪れた「四連白野薔薇」のクレストを染め上げた旗を掲げるエスタリア兵の規律ある行動は先々で人心を摑んだ。それは彼らを称える歌や説話がいまだに語り継がれている事でもわかる。
エスカが巧みなのは、そう言ったやや目立ちすぎるとも言える出世工作に眉を顰める立場の連中、いわゆる政敵と言える存在の人間達に対しても周到な外交作戦を有していた事である。
彼は五大老の領地の一通りの治安維持活動を終えると、エスタリア軍そのものをそっくり国王に献上してみせた。これはその地方領の軍としてはいささか強力な部隊に懸念をもたれる前にあっさり放棄してみせることで自らが国家に対して全く他意が無いことを示すとともに、さらに自らの存在を認めさせる行為となった。なぜならその献上軍の維持費については、可能な限り自領エスタリアの財政の中でやりくりをするという「おまけ」まで付けていたのだから驚くしかない。
さらにエスカは「学友」である国王に対してこう耳打ちしたとされている。
「この兵を今度は僕の政敵連中の土地で起こっている政情不安地域の平定に使ってくれないか。兵力要請をされていなくてもいい。もちろん出兵費用は僕が持つ」
と。
これにはエスカの政敵連中達も驚いたに違いない。
彼らには選択肢は二つあった。
もちろん受け入れることと断ることである。
断るのは簡単である。ただし断った瞬間に、抱えている内憂について国家の力を利用して解決する道は閉ざされることになる。かと言って受け入れるのは容易に見えるが、それはすなわちエスカとの出世争いに対して後れをとる事を意味する。
なぜなら兵を受け入れる事はすなわち自らの領地に内憂を抱えていることを公に国王に告白しているようなものであり、それは自領平定もできずにミュゼでのうのうとしているのか? と 思われることにもなる。
また、エスカの巧みな根回しにより平定部隊の指揮系統は国王直轄とされ、要するにそれはエスカの息のかかった指揮官によって統率されるエスカの軍隊であり、決して自分たちの思い通りになる無料の兵隊達というわけではなかったのだ。
断るにしても各地の不穏な動きは国家もある程度把握しており、知らぬ存ぜぬでは済まない状況にまで発展している所も少なくはない。
エスカはそのあたりを国王に指摘される前に五大老の領地では問題部分を既に平らげており、彼らの領地が検討地域に上がることがないように環境を整えていたのだ。問題視されるのは政敵達の領土のみであった。
この、多くの犠牲と金を湯水のように使ったエスカの戦略は功を奏し、彼のとんとん拍子の出世を強力に支え続けた。
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